くろま流 × NAGOYA式 ブログ

地域産業・観光を広い目線から、東海・名古屋あるあるをリサーチ。

大須やゴールデン街、外国訪問客に人気の古い歓楽街を護りたい

商業防災 

 

 東京オリンピック伊勢志摩サミット・地方創生に向けての観光産業の盛り上がりが順調だった中、名古屋と東京で連続して起きた火災は、訪日外国人にも評判の高い商業地の問題を浮き彫りにしました。

f:id:kromaryu:20160414212944j:plain

 

外国人観光客に人気の古くは戦後から続く日本庶民の歓楽街、そんな日本文化の詰まった隠れた観光スポット、大須商店街新宿ゴールデン街の火災は、古い街並みや町文化をいかに残していくのか、大きな問題を改めて突きつけられました。

 

 連続したかのように、それぞれ出火原因は異なりますが、動画も多く撮影されました。筆者もたまたま大須の行きつけの店に寄った時に、現場を通りましたが、未だ燃え残った炭の匂いがしていましたが、細い通りを隔てたブロックは延焼をま逃れていたのを見た時は、ホッとしました。

 

 それぞれの火災の経緯はニュースでたくさんながされたので、ポイントだけ。

8日夜、名古屋市中区にある大須商店街でステーキハウスの店舗から火が出て9棟が全半焼した火災。

 店が半焼したから揚げ店の店長の女性は「商店街として消防訓練をやったばかりなのに、こうした火事が起きて残念です。屋根も落ちそうなほど焼けてしまいとても悲しいです」と話していました。

 また、商店街の利用客は「火がでたステーキハウスは行列ができる人気店で評判だったので、いつか行きたいと思っていました。とても残念です」と話していました。

 大須商店街のおさらいです。

名古屋大須商店街に馴染む外国人観光客

いろいろな顔を持つ大須商店街

 名古屋にある大須(おおす)商店街をご存知でしょうか。名古屋駅からも繁華街の栄(さかえ)からも近い、約1,200店が軒を並べる有数の商店街です。

 江戸時代に大須観音が移転してきて以来の門前町であり、第7代尾張藩主の徳川宗春公の文化推奨によって盛り場として発展しました(第8代将軍徳川吉宗公の倹約令に対抗したとの説もあります)。大正時代以降は劇場や演舞場も設けられるなど、戦前の名古屋で随一の繁華街となります。

 戦時中は名古屋大空襲で焼き尽くされ、戦後は名古屋の中心が栄(さかえ)に移ってしまうなど、すたれた時期がありました。それでも、1970年代には電気街として発展を遂げ、東京の秋葉原や大阪の日本橋と並ぶ、日本三大電気街のひとつと言われるまでに復活しました。

 今でこそ、大型家電量販店の名古屋駅前への進出によって、電気街としては頭打ちの感は否めませんが、電気街の延長線上でオタク文化の醸成地にもなっていきました。「お帰りなさいませ ご主人様」のフレーズを最初に使ったのは、大須メイドカフェだと言われています(諸説あり)。

 東京で言えば、秋葉原(または池袋)、浅草、人形町を合わせたようなところと言えば良いでしょうか。門前町、盛り場、電気街、オタク文化の街・・・と、いろいろな顔を持ち合わせている商店街です。大須商店街公式ホームページでも、「ごった煮」の雰囲気と表現しています。

 大須観音の近くは門前町の雰囲気
 大須商店街の奥深そうな懐へ、大須観音側から入っていきます。さすが門前町だけあって、すぐに目につくのが、和菓子のお店です。「青柳家本店」や「大須ういろ」など、名古屋名物のういろうで有名なお店や、「朝日軒」というせんべい屋が軒を並べています。

 大須商店街のすぐそばに、名古屋スポーツセンターがあります。通称、「大須スケートリンク」。浅田真央選手のほか、古くは伊藤みどりさんや、若手では宇野昌麿選手など、多くの有名選手を輩出してきたので、「フィギュアスケート界の聖地」とも言われています。

 多国籍化する飲食店
 商店街をさらに奥へ進みます。訪れたこの日は成人の日で、多くの人でごった返していました。外国人も多いという印象はありましたが、集団旅行客はほとんど見かけませんでした。個人またはファミリーでの少人数の旅行客か、または、日本に在住している人たちかもしれません。

 商店街を歩いていると、何となくですが、アジア料理系の香りを感じました。それもそのはず、トルコのファーストフードであるケパブの店、水たばこも吸えるトルコ料理のレストラン、さらには、ブラジル料理店によく遭遇します。

商店街を訪れる人だけでなく、商店街を構成するお店もまた、多国籍化が進んでいるようです。

 中古品販売大手、コメ兵の本拠地
 コメ兵のルーツは愛知県半田市の米屋です。その2代目の石原大二氏は、事業資金を集めるために、妻が嫁入り時に持参した着物などを行商したことをきっかけに、家々をまわって古着を集めて行商して歩いたところ、面白いように売れたそうです。

 その後、終戦間もない、物資不足で衣料への需要が高い時代、古着の行商の成功体験を踏まえ、1947年に大須で約5坪の古着屋「米兵商店」を開業しました。これが後に、中古品販売の大手企業となるコメ兵の前身です(参考:コメ兵の歩み)。

 大須商店街にて感じたこと

 訪日観光客の爆買いとは関係なく、大須商店街に海外の人が馴染んでいるという印象を強く持ちました。今回、訪日観光客の動向を確認したいと思い訪れてみましたが、大須商店街が異文化を受け入れるマインドを持ち合わせている様子を垣間見ることができたように思います。

 

 続いて新宿ゴールデン街の火災の様子と、街について。

 少なくとも建物3棟、およそ300平方メートルを瞬く間に焼いた。火元は同所8番街の一角にある飲食店の2階部分とみられ、火元から離れたブロックに店を持つママは「この辺は古い木造の連棟でしょ。壁に油だのアルコールだの染み付いているからすぐ燃え広がっちゃう。ママたちの平均年齢が50歳くらいと年々、高齢化が進んでいる。80歳過ぎて現役のママもいるし、中にはカウンターに座っているのがやっとのママもいて、夜なら火事に気が付いても逃げるのが難しかったかも。無事で何より」と胸をなで下ろした。

 戦後の闇市を起源に持つ新宿ゴールデン街は、6600平方メートルの地域に約300のスナックやバーが密集。作家や演劇人などの常連客も多く、外国人の観光名所にもなっている。一方で大半が木造建築で長屋のように密接しており、常に防災上の問題が指摘されてきた。

 俎上にのぼりそうなのが、ゴールデン街区画整理だ。4年後の東京五輪も念頭に新宿では再開発が進み、かつてのシンボル、新宿コマ劇場は現在高層ホテルになっている。

「隙間なく建物が密集するゴールデン街は、現在の建築法に照らし合わせると違法。前々からこの地域をサラ地にし、大規模商業施設を建て、その中にゴールデン街が丸々引っ越す計画が浮上していた」とは関係者。

 

 ただ幸いにも救われるのは、有名な場所で、サラリーマンなど日ごろ多くの常連客に助けられている。それに古くから在って、お互い助け合ってきた連帯感が嬉しい。

【大火災】ゴールデン街の不屈「燃えてもここは変わらない」

  約300店が密集するこの街はかねて防災上の問題が指摘され、2020年の東京五輪を念頭に再開発計画が浮上したこともあったが、同街特有の事情で頓挫。街の店主らは「燃えてもここは変わらない。
みんなで助け合っていく」と、火事が起きたこの日も通常通り、たくましく営業を行った。

 しかし、そうは簡単にいかないのが、同所の複雑なところだ。古き良き昭和のにおいにこだわる店主は多く、再開発を進めようものなら反対運動が起きることは確実。長年同所で店を構えるママはこう付け加える。

「ここは土地、建物の権利が複雑で、誰に所有権があるか分からないところも多い。又貸しの又貸しという店もあるし、持ち主が亡くなったままのところもある。役所の人がそうした煩雑な業務をさばけるわけがない。私たちは私たちのルールでやっていくわよ!」

 同所では「みんなで助け合う」という家族意識が強く、同ママは「燃えちゃった店のために寄付を募ったり、みんなで食事を分けたりするわ」とキッパリ。ある店は店内に置きっぱなしにしていた2週間分の売り上げ金ごと焼失してしまったが「みんなで励ますしかないわね」(同)。

 別の店舗の男性経営者もこう言ってのける。

「ボヤや地上げに絡んだ放火は過去にもあった。今回の火事は悲しいが、落ち込んでいるヒマはない。むしろ今日は心配した常連さんが来てくれるから繁盛するんじゃないか(笑い)。ショックなフリをしながら、せっせと食材を追加注文するママもいたよ。ここの住人はたくましいんだ」

 

 日本の多くの商店街は、戦後から続くものも多いモノの、多くは時代の移り変わりや流行の変化で改装を繰り返され、海外の訪問客にとっては逆に、古さを残す大須商店街や員塾ゴールデン街が注目されていきました。

 今まで、日本人にとって「新しい・西洋化」が最適と言われ続けてきましたが、外国人にとっての日本が感じられるのは「日本の変わらない風景」や「古き良き日本の景色」がいかに大事なモノかを、教えられようとしています。

 

 史跡や文化財は国を挙げて保護できますが、古い町並みや商店街は「住む人の生活」が関わってきますから、保護とか管理は思った以上に困難を極めます。

 かといって、このまま捨てていいのかという課題が突きつけられています。

 今回の火災は、決して住民が保存する努力を怠っていたわけでなく、むしろ結束して防災意識は高かったと言われていますが、木造建屋が密集しているだけにいざ燃えだすと、狭い路地や延焼で一気に被害は膨らんでしまいます。

http://mainichi.jp/articles/20160317/ddn/010/040/071000c


  筆者の住んでいる地域も、数少ない消防車の入れない程入り組んだ道にひしめき合うように古い木造建屋が集積しており、一見田舎の小道みたいな場所ですが、一軒が火を出せばおそらく今回の商店街のようになるでしょう。

 なので、防災については筆者も他人事ではないので、今回の火災・延焼はとてもショッキングで、センセーショナルでしたし、いかに狭小地防災が難しいものかを思い知らされたのです。

 

  しかし、こう言った注目される稀有な観光地は、何とか守っていかなくてはならない、日本の財産になりうるものだけに、地域ごとに事情はことなるにしても、お互いさま意識で護っていくものなのでしょう。

 住民の生活空間であっても、同時に観光の要所でもあるという、古い町並みは重要文化財として国が保護できず、さらに単に防災指導を強化しては景観を壊しかねません。

 

 いずれは世代が変わっていけば自然と消滅していく運命なのかもしれませんが、それは商店街の住む人・利用する人が決めることで、求める人がいる以上何とか保護していかなければならない、高度な保全管理が要求されるだけに、各地域の観光地の同じ立場の人たちには、悩ましい課題になりそうです。