くろま流 × NAGOYA式 ブログ

地域産業・観光を広い目線から、東海・名古屋あるあるをリサーチ。

学びやで消える金次郎像に日本の断捨離の課題がみえる

 

 今回は、二宮金次郎銅像から日本のアイデンティティに繫がる、一見「え?」と思われてしまいそうな話ですが、書いてみました。

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 二宮金次郎と言えば、ある一定年齢以上の方は、小学校の定番銅像(石像)というイメージが強いと思いますが、もう何年も前から、時代にそぐわないとの事情で姿を消している小学校が多いようです。

消え行く二宮金次郎と “歩きスマホ” の微妙な関係
NAVERまとめ

 それで、上のまとめにもあるよに事情はありますが、心残りなのは学校の大人たちは、本当に銅像の存在していた意味を十分考えて撤去されたのか? という事です。

 厳密に各小学校で撤去を検討した機関がどのくらいあったかは知る由もないですが、こういう手合いのものは、一か所が実施すると一気に途中のプロセスをすっ飛ばして性急に行われる傾向があります。

 

「時代にそぐわないから(その他もろもろ事情)」撤去される二宮金次郎像は、薪を背負って本を読み歩く姿のビジュアルが重要ではなく、なぜその格好なのかを思い返して始めて、小学校の敷地内にある存在感を示せていたはずです。

 この思想と言うかメッセージが時代にそぐわなくなっているから、撤去されたのでしょうか。

戦前、二宮金次郎は「勤勉」のシンボルであったので、その銅像を学校に建てることが推奨された。 バブル期以降、勤勉を忘れた日本人は、学校の改修の際に二宮金次郎を撤去している。(抜粋)

 という発想をすっ飛ばし、ビジュアルが今に合わなきゃ撤去というのは、ちょっと違う気がするし、筆者個人としては本来なら小学校で教えるべきは「見た目より中身だよ」というメッセージも大切なテーマでもあると思うのです。

 

 本来のテーマである「勤勉」を知らしめるにはとてもいいきっかけになる像なんですが、少なくともビジュアルだけで判断するのは、むしろ学校が見た目重視で中身の充実を軽視していると取られても不思議ではありません。

 しまいには「勤勉」そのものが時代にそぐわないという理屈にすり変わって、目先のイメージが優先される社会を助長しかねません。

 これは、あくまで見た目重視の意見を受け入れただけで撤去した場合の、反論なのですが、教育とは別の理由やバイアスがかかって撤去されたのでは? と邪推もしたくなります。

 

 その考えられるバイアスの一つとしては戦前からあったことが考えられますが、戦争を意識するとか、戦前の皇国教育観の強かったイメージの払しょくを考えた可能性はあります。

 戦前戦後(太平洋戦争の事)から日本古来からあった独特の思想は、民主化の旗の基に焚書などで、国宝級の書物が処分されたそうです。

 戦後GHQが思想統制のために焚書を勧めたのは未だ仕方ないとしても、戦前にも日本人の手で自主的に重要な和書が処分されたと聞いたことがあり、ショックを受けました。


 自国の長年培った大切なノウハウを、私たちの先祖も含めて、無秩序に捨て去った歴史を持っていることを顧みなければならないと思っています。

 二宮金次郎像減少の事例は、表面的な刹那的な理由だけで本来の理由を飛ばして、捨て去られる日本文化の範囲に入るかはわかりませんが、この発想のズレは今観光需要を狙う日本にとっては、致命的な錯誤になりかねないのです。

 

 良い意味で日本人は、他国の人民と比べても昔から新しい考えや文化を、積極的に取り入れて来た経緯はありますが、いくら新しいものを取り入れるからといって、古いものの残った確固たる理由をないがしろにしてまで、新しいモノを取り入れる姿勢は、今後多くの国とつい合う上で、慎重に判断すべきと考えています。

 日本人自ら、ただ物凄い早さで古いものを脈絡なく捨て去る姿を他所に、海外旅行者は古き良き日本を再発見して寵愛する、と言う妙な図式を見るに至っては、私たち日本人は広い視野で日本文化・慣習の「断捨離」をできているのだろか? と気になっていたところに、なじみのある銅像撤去が加速している様子とダブってしまいました。

 

 今までは海外訪問者も少なく日本人だけの基準で取捨選択していれば良かったのですが、「世界遺産」の観光効果が示すとおり、日本人が求めるものと、海外観光者が求める間のギャップは、悲しいかな顕著になっています。

 私達は良かれと最先端の西洋のおもてなしが、海外旅行者には響かないで、日本人には当たり前の文化こそ、求める旅行者が後を絶ちませんが、これからのおもてなしとは、彼らの好奇心を刺激する為の取捨選択を考えなくてはならないでしょう。

 同時に忘れてはならないのは、海外に人に気付きをもらった事で、日本にとって最も大切なモノとは何か? というアイデンティティを自覚することです。

 これこそが、延いては世界との共感につながる歩み寄りであり、それが新たなアジア諸国のリーダーとなるチャンスだと考えています。