大人が子供の成長をサポートするいくつかの取り組み
これからの地域の街の成長を担う子供達は、親の恩恵を受け、学校の恩恵を受け、社会で様々なチャンスを得て、社会を担っていきますが、子どもの才能を伸ばすためのサポートあれこれを紹介します。
小学校での教育は、日本では6年と長く子供にとって最も多感な時期を過ごすところでもありますが、ここのところ暫くの間「道徳」教育が実施されない傾向があるようです。
これは何かの冗談ですか? 小学校「道徳教育」の驚きの実態 法よりも道徳が大事なの!?
筆者が習った道徳が全てが全て、今の社会に必要なモノなのかは、今語るものではないですが、様々な情報が溢れすぎて、道徳事態の解釈の幅があまりにも広がりすぎている気がします。
「道徳」といわれると、多くの人は漠然と「人として良いこと」と考えてしまう。しかし、「道徳」の内容はあまりに曖昧だ。また、法律と違って、誰が作るのかもはっきりしない。このため、「道徳」の授業には、一部の人や集団にしか通用しない規範を、漠然とした圧力で押し付けてしまう危険がある。
この抜粋の内容自体が、すでにそれを現しています。
人は、ある程度方向性を持った規律のようなものは幸か不幸か必要なのです。過去習った道徳はそれを担ってきましたが、道徳の意味を形骸化させてしまった罪は大きいと思われます。それがだれがしたかは敢えて申しませんが。
中学生にもなると、人格が固まってきて、一個の人間としての主張が強くなりますが、その分より競争も激しくなりますし、それについていけない子ははじき出されてしまいます。
子供は未成熟な大人予備軍ですから、小さくても人格を持っていますので、それを考慮せず、親に私物化されたり見放された子供ほど不幸な状況はありません。
社会の荒波にもまれて弱り切った子供の最後の砦は、親ですし、これほどありがたい存在はないでしょう。やはり、両親に温かく育てられた子供は、心豊かな人間になりやすいのではないでしょうか。親御さんのちょっとした機転の利く思いやりは、ちゃんと伝わるんですね。
高校生になると、いよいよ社会に出るための情報や、アルバイトなどで社会に触れる機会も増えてきますよね。下記記事の様な学校の特色を生かした社会の仕組みに沿った取り組みも有益です。
県岐阜商高が株式会社設立 全校生徒が株主
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20160203/201602030857_26655.shtml
とくに日本は、と言いますか世界の多くの国は資本社会であり、資本を基に経済が動いていますから、株式の売り買いに実際に触れることは特にいい経験になります。
一頃では株式取引を個人がすることは博打(投機)と同じと誤解されている節がありましたが、投資と投機は別物である事を、若い内から実地で覚えるのは、お金について幅広い考え方ができて、筆者も羨ましいくらいです。
最後に、当ブログでなんども引用させていただいている、田原総一朗さんのインタビュー記事を元にさせていただきます。
若き企業家へのインタビューですが、子供の頃から自由に発明をしていた少年が企業家になる、海外へも飛んで広い視野をもって我が道を進む。
私達の国の教育は、広く平等にというスタンスで進められていたことで、全体のレベルを上げる効果はある程度ありましたが、その一方で均一化による個々の才能の芽を摘んできたのも否定できません。
これからの日本の教育はどこを目指すべきなのでしょうか、最近では子供の個性を伸ばそうとする親御さんも増えてきたように思いますが、教育する側のスキルが不足すると言うジレンマにもなっています。
日本の教育は高度成長期にもあった、追いつき追い越せの時代がまたまたやて来たのかもしれません。しかし今度は均一化ではなく、子供たちの個性を学問や仕事につなげられる仕組みで追いついて欲しいと願うばかりです。