くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

いじめ無くす思いは、一つに取り組む姿勢見せるのもひとつ

 

 もうかなり前になるでしょうか、東海地方のネットワークでNHK名古屋では、今は伝説的な番組の「中学生日記」という現役参加型の創作TVドラマが放映されていました。ご記憶の方も多いと思いますが、そのメッカだった名古屋でも少なからずいじめが表面化しているのは、複雑な想いです。

 

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 人間関係の相対的な結果として、いじめは消えないとも言われることがありますが、無邪気だった小学生の頃はまだしも、多感な時期を迎える中学生の頃になると、表面化することが目立つようになります。

 筆者も子供時代にいじめられる事は何度かありましたので、少しは気持ちを理解できるのではないかとは思いますが、筆者は一種の必要悪だと割り切って過ごしていた時期がありました。

 日本に標準化されている性善説の立場で立てば、いじめた側もきっと両親の呵責があるから、被害者が苦しむだけじゃないという意見が出ます。しかし、その逆でなかなか性悪説の観点で語られる事は少ないのが、日本人の性分のように感じることは多々あります。

 古来から染みついた「事なかれ」な考え方はその柱になるものですが、これは狭い集落の中で、お互いの利害を共有するために、編み出された生活の知恵でもあります。

 でも、その器用さが災いして、問題が発生しても表面化を敢えて避ける傾向に繫がるのは、致し方ないと言ってしまえばそれまでです。

 

愛知)「いじめなくそう」 中学生が議会に提言
名古屋:朝日新聞デジタル

 何かのニュースで見た様な気がしますが、愛知県の中学校でいじめを無くす意識を付けるために、歌をみんなで創る活動をする学校があったり、全国各地の小中学校を中心に、独自に試みを行っているようです。

 筆者はもうすでに子供から離れて久しいので、正直今の子供たちがこう言った取り組みに、どのくらいリアリティを実感しているのかは、判断できませんが、こう言ったセンシティブな感情は、人に答えてしまった時点でホンネとはずれることもあると思いますので、それは仕方のないことでしょう。

 また、大人たちが地元の例でいえば、いじめを苦にして地下鉄で飛び降り自殺した問題について、翌日のインタビューで河村市長が、直接音頭ををとって真剣に取り組む、とコメントしました。

 こうしたシーンを見ても、事なかれ的な想いが見え隠れする姿を見てしまうのも、正直なところ「なんでそうなる?」というのが、大人になってしまったあとの正直なホンネです。

 それを解決するのには大人の処世術を子供に押し付けるか、子供の気持ちを真摯にくみ取る歩みよりを見せるか、極端に言えばどちらかだと思いますが、現実的にお互いの生活には、あきらかいに溝がある以上、限界があります。

 おそらく、いじめはなくならないと言われる要因の一つが、大人と子供の気持ちの境があって、疎通の不備で起こるからだろうと思われます。

 

 人間関係のなかで、共感の気持ちがある間は問題ないでしょうが、どうしても関係が深いほどズレが起こった時の反動は大きくなります。

 大人はこの事を経験上知っているので修正をできますが、子供達はその修正をしなさいと教えるのは酷です。

 現在は様々な情報が良かれ悪かれ容易に手に入り、一方で隠蔽も容易で第三者に周知されにくくなっていて、それを倫理的に判別しにくい時代ですから、いじめは起こると、より複雑になりやすいです。

 

 中学生日記が放映された地域柄、中学生の問題に真剣に取り組む姿勢は大事にしたい所ではあるのですが、TVによる子供達の間で起こる問題提起の限界が、この番組の終息を呼んだのも残念ながら、少なからず事実です。

 今、見えにくくなった閉鎖的な人間関係を、判断力もママならない子供たちが、大人に頼らず自分だけで 判断しなければならないのは、過酷でも避けられない中で子供達は、大人からその答えを模索しているようです。

 

 私達は、判り切ったニュースやゴシップに一喜一憂しているのではなく、いま直ぐ目の前にいる子供たちに、一日の長である自分そのものをいかに正確に見せられるかが、当面の、大人の宿題になっているのかもしれません。

 

 最後に余談ですが、地元中学生が好きな事に熱中して、前向きな結果を出す姿を、応援していきたいものです。

<ちゃお>中学3年生がマンガ家デビュー | ニコニコニュース

http://news.nicovideo.jp/watch/nw1960545