くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

大阪探訪、昨年の続きで真田丸と、名古屋城のライバルを視察?

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 今年大河「真田丸」が始まって、NHK協賛怒涛の赤い旗が街中にはためく大阪編です。今回は筆者も、先日の休みに歴史好きの友人と大阪に行ってまいりましたが、昨年に続いて真田丸関連ともう一個、大阪城を見学できましたのでその話を中心に記事ります。

 三光神社は、今年NHK歴史秘話ヒストリアでも出たそうですが、今回はそれ以外を回ったわです。

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 大阪を訪れた本来の目的は、今もっとも歴史的な話題で露出度の高い「真田丸」関連の史跡を回るためですが、昨年秋に先の友人と、安居天満宮・三光神社へ訪れていて、時間が足らずそれ以外の史跡が回れなかったので続きとなります。

 

 真田信繁(幸村)が、冬の陣で戦死した時、息を引き取ったとされる松の木があるという安居神社です。昨年、回った際に時間が遅くて、門が閉まっていましたが、今回は予定一番に入ったので大丈夫でした。街中の奥にあるので、大通りから奥に入る方法と、急な階段を昇って入る方法があります。

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 次に向かったのは、真田幸村が、大阪冬の陣に向かう前に祈願したと言われる紀志長吉神社へ。お参りしてから、参道先を歩いて数分にある御休憩所(住宅敷地の中に碑があるだけです)へ。

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  その後、大阪名物と聞いて「つるとんたん」本店で昼食、ベタに心斎橋の賑わいを見学した後で、ようやく、今回2つめのメイン、大阪城に向かいました。

 

 大阪城は当然人は多いのですが、噂にたがわず外国人観光客でにぎわってい他のが、まず印象的でした。(中国と韓国の方ばかりです)

 次に思ったのは、ご存知の方はご存知でしょうが、大阪城も、名古屋城と同じ観光城で、エレベーターが突き出ていたり、中は完全に博物館仕様になっていて、名古屋城だけでなく、変にほっとしたりします。

 ただ、名古屋城とは異なって、最上階の展望塔は外に出て(岐阜城みたいに安全ネットが張ってあります)大阪市のパノラマを直に眺められるのは、ちょっとうらやましかったですね。

 まあ、無いものねだりではありますが、名古屋もこんなパノラマが直で見られると良いですけどね。

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 大阪城のある公園の敷地は、思ったより広くて高低差があるのが印象的でした。

 本丸のお堀は、深く幅も広くて。実際にこんな城があったと思うと、大阪夏の陣・冬の陣で家康が、攻めあぐねたというお堀の効果がとても良く実感できます。

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 本丸敷地内にある博物館は、レトロな建物をそのまま使っています、丁度名古屋市庁・愛知県庁と同じくらい歴史的価値のありそうな、レンガ外壁の建物が鎮座していますので、その先に天守閣があるのですが、その手前に売る気まんまんの売店も、あったりさすが商人の街大阪と、清々しささえ感じます。(売り物は完全に海外客向け仕様)

 

 今回大阪城を訪れたのは、先の「真田丸」みたいな歴史探報目的とは、少し異なっており、どちらかと言えば名古屋城木造復元化の話題に沿った興味が大きかったのですが、最も現状の名古屋城に近い施設になる、観光城である大阪城を見るに当たって、参考になりました。

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 発見としては、「太閤なにわの夢募金」と言って、大阪城でも天守閣復元にまつわる動きがあるようで、天守前の広場にパネル展示がありました。

 

 大阪城も、オリジナル(秀吉が造築した)天守は無く、現在立っている天守は少し本来の場所より奥に建っています。

 その動きとは、本来建っていた場所の地下には、未だ天守を支えていた石垣が埋まっているそうで、そのオリジナルの石垣を掘り起こそうと、寄付を募っているのです。

 やはり、ここでも復古の動きはあるようですが、あくまでも元天守の石垣のみのようですね。この温度差は興味深いですが、やはり名古屋と似たような課題を抱えているのが、見えてきます。

 

 いろんな目的で、筆者としては大阪を日帰りという限られた時間で満喫はできたと思いますが、行ってみないと判らない事は沢山あると、実感できますね。