くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

安保法改定の年と、世界と上手に付き合う日本の始まりの年

 

 今年は、日本の防衛面でも大きな動きがあった1年でしたので、物騒な話ですが当ブログでもそれなりにまとめておきたいと思います。  

 

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 今まで日本は憲法9条を中心とした、非核三原則に基づいた防衛意識で世界に主張してきましたし、戦後そのスタンスは不動だと信じて疑いませんでしたが、今年はその流れを変えるのではないかと激震が走りましたね。

 日本の防衛で大きいのは、2007年1月9日防衛省が発足し、同省は従来の内閣府の外局であった防衛庁から独立、他の省と同格の位置づけとなって、存在感が大きく増して以来、今年の安全保障関連法案可決・憲法9条改定是非の議論など、日本国内防衛についての大きな意識変化は、来年以降も重要なトピックになりそうです。

 安保改定法案反対については、国会議事堂や各地方都市などで、膨大な数の国民の反対デモがその危機感を余すところなく表していたのも、今年のおおきな時代のうねりを現していたと思います。

 また「SEALDs」という、今まで政治行動に無関心だった、若者たちの独自の動きも話題になりましたし、一時的な運動に終わらずに今後も継続されていくであろう所に、若者たちの意識の変化も顕著になってきたのも特徴です。

 

 今年は、防衛省発足当時安倍総理が記念式典で「戦後レジームから脱却し、新たな国づくりを行うための基礎、大きな一歩となる」と述べ、如何なる国であれ国防は国家組織の基盤であり、この根幹を担う機関が内閣府の外局の「庁」であったことが異常であったと総理の発言が示している通り、その正常性を図らずも照明する年だったのでしょうか。

 1年前、中東のISISが日本人ジャーナリスト二名を公開処刑にし、今年からは本格的に、独自の論理で世界中に聖戦・制裁の名のもとにテロを起こしており、日本でさえその脅威の蚊帳の外にはなり得なくなってしまいました。

 それに、日本東南の東・南シナ海での中国の領海拡大の動きが顕著になった年であり、流石に核兵器は振りかざさないにしても、戦争脅威の防衛準備を具体化が論議されるなど、日本的な平和を脅かす年でもあったわけです。

 日本は、軍は持たないにしても、自衛隊の防衛準備・強化をはかり、国民の本意と裏返した具体的な侵略敵との対策を進めているようです。 

襲撃や地雷に強い 輸送防護車をお披露目 防衛省

http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000064611.html

 従来から国際協力に関してはこれからも積極的に協力していくことになりますが、安保改正によってPKOなど海外派遣される自衛隊員は、より危険な状況に巻き込まれないように留意する必要があります。

 南スーダンPKO派遣いよいよ、名古屋自衛隊員お気をつけて!

http://kuromaryu.hatenablog.jp/entry/2015/11/21/064848

 来年からも、自衛隊の活躍の場は、増えることはあっても減る事は無いと思われますが、それを理由に軍事費を故意に増加されないよう、私たちは監視しなければならなくなるでしょう。

  ただでさえリアル攻撃されるものとは他に、サイバーテロ攻撃は増加していて、ネット上での防御対策は日本は後れをとっており、それでも今年から本格的にオープンに対策強化を図っています。

サイバー攻撃防御、演習を大幅に拡大…総務省

http://www.yomiuri.co.jp/national/20151217-OYT1T50086.html

  安倍総理が今年夏国民に、法改正の必要性をTVで直接説明した話の中で出た「かかる火の粉は払わねばならない」という言葉は、たしか石川五右衛門の言葉とされていたと思いますが、奇しくも日本は近隣さえも神経を使わないといけない関係になっていますし、何時対岸の火の粉が降るかかるか判らなくなっています。

 ここで忘れてはならない事は、今欧州が体験している国際紛争・危機の体現は対岸の火事ではない事です。この点は私たちが将来の引き継ぎ手を護るべく、時として立ち向かわなければならない事です。

 ただ、反対にそれは必ずしも戦争に行って闘うことではありません。今までの様に相手の強い意志をのらりくらりとかわして済まさずに、意志をはっきりと示してそれにかかわる責任も持つ姿勢を持つ事です。

 

 来年以降は、ますます海外と触れる機会は多くなる一方で、考え方の違いで起こる問題や、多様性に対応する柔軟性が求められる年になるでしょう。

 日本人と言う独自性は稀有で、世界に誇れるものではあるのですが、世界の中では絶対的なものでは無いだけに、如何に世界と対話しながら独自性を主張できるかが、これから私たちが、子供達が学ばななければならない大事な事だと知った年でもありましたので、忘れないようにしたいと思います。