市民集う、知の館という発想、出版物と図書館の在り方を見直す時
ここ十年程で、お恥ずかしい話で筆者はめっきり本を読む回数が激減しましたが、最新の欲しいニュースや情報が手に入り、ネット情報も最近は紙媒体のそれより速さも確度が高くなっているため、段々あえて本などから情報を仕入れなくなってしまいました。
これはあくまで筆者の話なので、ネット社会の中でも紙媒体のメリットを高く評価されていらっしゃる方は多く、事実まだまだネット情報・文字とは違ったメリットがありますので、決して否定するものではありません。
今回は地方創生を考える中、地域に暮らすひとたちにとって、文化や歴史、社会などの知識や情報を手に入れるのに役立ってきた、 図書館についてみていきたいと思っています。
ネットの発達で、筆者の様に紙媒体からの入手の機会がめっきり減った人も多いと思いますが、特に年齢が浅くなればなるほど、学校・会社以外で受動的に紙媒体に触れるチャンスは積極的に取っていないように見られます。
そのため、最も学習・勉強する時間の多い若年層の図書館利用、大人の利用も小説や歴史・実用書などから得ていた知識・情緒も古いものが多く、最新の情報はネットからと言った慣習が定着しています。
今でも、図書館で読まれるのは、小説・古書・定番の実用書などにメリットは絞られて居ますが、一定のニーズはあるようです。
一部、こういった公共施設は、夏は避暑で冬は暖を取る休憩所的な見方をしている人もいらっしゃるようで、そうなると以下の記事の様なご意見も出てきます。
市立図書館って必要なんだろうか - ゆとりずむ
図書館へ行かなくなる大きな要因は、行った時に大抵借りたい本が手に入らない、というきっかけがあって、それが何度か続くとその期待感が減ると「無いモノだ」 というあきらめになって行かなくなる。
少し経って、また期待していっても無ければ大抵行かなくなってしまう、この間にネットで購入したり、必要な情報が手に入ってしまうと、図書館必要ないとなるのは自明の理です。
本が売れぬのは図書館のせい? 新刊貸し出し「待った」
また、一方で2000年前後を境に出版本自体の売り上げはピークを過ぎているそうで、それまで出版業社と図書館協会との間で取り交わされていた、新刊の定数提供も部数売上そのもが下がっていて、図書館へ回す余裕がなくなっているという、業界関係の事情変かもあるようです。
本が売れないから図書館には回さない、回さなくなった分読者の目に触れる機会は激減するという悪循環が起こっていて、出版そのものに大きな仕組みの改革を求められる時代になっている現状を無視できなくなっています。
地域の文化・芸術など知的な要求を満たしてきた図書館が、今までとは違った切り口の提案を求められているのでしょうか。
筆者としては、図書館という施設は無くなって欲しくはありません、その中に居るだけでも、文化人だと言う実感ができるからだし、昔読みふけった様々なものが思い出されて、新たな知識欲が沸き起こってくるからです。
また、その場で勉強に励むもの、会話は出来ないにしてもそれぞれの共通の目的が確認し合えるある意味公共の場だと思うからです。
今までの様に、情報を求めに訪れるだけでなく、思いもしなかった報せや、地域に役立ち情報に触れる場所、お互いの意見・知識を交換したり、協議できる場所としての機能はこれからも地域振興には大事な機能だと考えられます。
ただ、今までのような単に情報を拾いに行くだけの施設では、間に合わなくなっているのは間違いないでしょう。
図書館のあらたな切り口の提案を期待して止みません。