くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

名古屋市に期待したい明確なビジョン、木造天守閣復元への道

 

 前回でも、当ブログの調査費ねん出記事で、お知らせした名古屋城木造化について、名古屋市の河村市長が10月13日の記者会見で、名古屋城天守閣の木造復元構想の実現に向け、部局横断のプロジェクトチームを新設すると明かしました。

 河村市長は「(木造復元は)都市計画において決定的な意味がある。
400年後まで中核的な存在になる」とし、「市の総力をあげて取り組まねばならない」と話した。設置時期は「一日も早く取り組みたい」と述べるにとどめた。

 河村市長は、市民に十分な理解を得られていない現状ではまだ慎重ではありますが、名古屋観光化へのプロセスは、これから起こるであろう大きなチャンスに敏感に反応しているようです。

 

 その一例として、名古屋城の直ぐ北西に建つホテル「ウェスティンゴヤキャッスル」を運営する、ナゴヤキャッスルは、同ホテルを5年後をメドに全面建替えを検討していると発表がありました。

 戦後建て替えられた名古屋城同様に、同ホテルも開業から45年が経ち耐震強度が現在のニーズと合わなくなったのを見据えての事のようですが、このホテルは宿泊のほかにも企業や団体の会議ににも利用を得意としていて、来るサミットや国際化する名古屋の機能に対応を強化する考えもあるようです。

 

 まだまだ始まったばかりですが、名古屋市の国際対応・本格的な観光都市化の動きは少しづつしかし、着々と実行に移されているのです。
 現実的には、たくさんの問題を抱えてはいるのですが、やはりこの観光化の核となるであろう、名古屋城はこの大役に対して、現在のお城を訪れた観光客には、筆者も含め様々な意見が出てきています。

 

名古屋城天守閣に木造復元構想 シャチホコも揺れる
市長が推進も課題は山積
日本経済新聞 電子版

 外観こそ焼失前とほぼ同じだが、再建で「本物感」が薄れてしまったとの声は少なくない。神戸市の男性会社員(33)は「映画に出てくるような城をイメージして訪れる人はガッカリしますね」とこぼす。

 名古屋城天守閣の復元には、昭和初期に行われた実測調査で詳細な図面が残されているという強みがある。名古屋城総合事務所の担当者は「充実した資料をもとに、史実通りの復元が可能な唯一の城」と胸を張る。名東区の男性会社員(50)も「最新技術を使えば素晴らしい天守閣ができる。ぜひ実現すべきだ」と期待を寄せる。

 木造復元はそう簡単ではない。市の試算では、節のない国産のヒノキを使って復元した場合、総工事費は約400億円で、今の建物を耐震改修した場合の約29億円に比べ、巨額だ。資金の工面などが課題となる。

 名古屋城は外国人向けのガイドブックにも掲載されており、昨年1年間で国内外から約165万人が訪れた。名古屋観光の“目玉”として定着しており、「今の天守閣だって見どころはたくさんある。取り壊してまで復元する必要があるのかな」(東京の女子大生)との声も上がる。

 

 上記のナゴヤキャッスルホテルの様に、戦後建築された鉄筋コンクリート製の観光施設などの建築物は、近いうちに建て替えの時期を迎える事を考えると、2020年の日本経済の節目をきっかけに、高額投資をするある意味弾みにはなるでしょう。

 もちろん、名古屋市がこの選択をしたならば、市の役割は市民などの生活の機能に加えて、城を中心に歴史を核とした観光都市として、産業の街と併せて認知度を上げていくことになります。

 なので、直接負担をする市民にとって、建て替えの動きに同意するのには、市政側には相応の説明とビジョンを解りやすく示す必要があります。

 

 一方、その高額の負担に見合う観光収益を得られるのか。堅実な名古屋市民としては懐疑的な方も多いとは思いますが、いずれどこかで相応にリスクを取らなければ、変化の大きい状況で成長を見込むのは難しいでしょう。
 そのリスクとして、名古屋城木造化を核とした観光都市として生きる道は、長い目で見て悪くない選択の一つなのかも知れません。

 

 名古屋城 徳川家康加藤清正らに命じ、天下分け目の「関ケ原の戦い」から10年後の1610年に築城が始まった。天守閣は1612年に完成した。1930年には天守閣など城内の建物24棟が、城郭建築としては初めて旧国宝に指定された。空襲で天守閣と本丸御殿など大半が焼失。天守閣は59年、5層7階で再建された。工事費約6億円のうち約2億円を市民の寄付で賄った。本丸御殿は復元工事中で、2018年の完成予定。