くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

尾張名古屋のシンボル名古屋城天守閣、木造復元への前向きな第一歩

 

 現在の名古屋城は、戦時に焼失した苦い経験から、鉄筋コンクリートと言う苦肉の策を採らざるを得ず、元来の木造でなかったのは時代の流れかもしれませんが、何か釈然としませんでした。

 

 

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 当時、名古屋のシンボル・希望の象徴を復興させるに当たり、市民は象徴を失う事は二度とあってはならないと言う思いは強かったと思います。

 名古屋市は大空襲で東京同様焼け野原になりました、その復興に耐火建築は避けられない選択だったのです。

 

 名古屋市の景観の象徴でもある碁盤の様に、南北に走るだだっ広い道路は、街をリデザインした証であり、名古屋城の南に広がる久屋大通公園は、かつての城下町を象徴意識したに違いありません。

 

 今でもこの街は、名古屋城が中心であり、ステイタスであることは変わらないと自負できます。

 

 そう言った位置づけの名古屋城は、名古屋独特の見栄ではあってもあくまで本来の木造建築にこだわって欲しいと、筆者も思うのです。

 

 実際名古屋城を見に行くと、見上げるばかりの巨大な建造物で、それはそれは圧巻です。

 中に入ると思うのは、観光用として配慮されてそれはそれでも素晴らしいとは思うのですが、やはりお城としてはでは無く観光施設でしかなく、城の横から不自然なエレベーターが突き出ている様は、正直残念に思えてしまうのです。

 

 今回木造建築化への予算が可決された事は、その残念な想いが市民の多くの気持ちだったと言う事だと思うのです。

 東京でオリンピック競技場計画で、様々な問題が話題になった事は名古屋でも大きな反響があったでしょうが、お陰様で良い教訓を得た思いです。

 加えて、オリンピック開催と同じ年に完成させると言う、ある意味タイアップしたイベントとして、 盛り上がりそうです。

 

 日本建築としても最大級である名古屋城は、いよいよ日本最大の木造建築物として復活するに当たって、従来木造建築と言う訳にはいかないかも知れません。

 どこまで純木造化が可能か、巨大故に都市防火の目からそれなりの対策はh不可避なわけで、例えば耐火性能の高い材木の防火処理や、木材に準じた新素材の検討、消化システムなどの現代建築物の必須条件をどう満たして行くか、問題は山積しています。

 

 従来に無い新しい木造建築のある意味指針にもなる、一大プロジェクトであることは、その問題すらも話題になりそうです。

 

 そして何より、この地域の進める「観光」「産業」の象徴としてこの街を盛り上げ、ますます名古屋を中心とした地域創生と、東海地方の存在感を高めてくれるでしょう。