くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

安保反対運動の向こうにある次世代のビジョンと願い

 

  いよいよ市民講義運動は、かつての学生運動や米の反戦運動の様子を呈し、若者の新興反対団体や海外で活躍する芸能人を巻き込んで現象化しようとしています。

 

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  これは政府与野党とも、ここまでとは予想もしていなかったでしょうね、一旦ここ迄現象化しだすとそこにあるのは勢いと祭りと変わらない連帯感と高揚感だけです。

 

 この動きの中で参加する場合、自分の本当の主張や芯を維持するのは尋常じゃ無くなって来るという点を心得る必要があります。

 参加者の中には、単に反対だけでなく様々な意見(敢えて賛成派も含まれるようです)の方々が加わって意見交換も盛んにされているようで、ヘタにTVやネットだけの情報に頼っている向きよりはより良いかもしれません。

 

 ただ安倍総理はこの件については、出演TV番組で相変わらず採決前提で話されていますし、運動に対する気持ちの受け取りをどこまで汲み取っているかを示していないと判断しているのか、相変わらず国民側の賛成派は半数を下回っています。

 

 政府と国民のこの思いの乖離はどうして埋まらないのでしょうか、

単に数字で見ている冷ややかな意見では、この位の数字は想定内としているものも有るようですが、政府与党が沖縄米軍基地と同様にありきの態度を崩さないならば、意地の張り合いで終わってしまわないか心配です。

 

 このムーブメントは70年談話、特に次世代へ戦争責任を引き継がないとうたった点は国内外で評価が高いだけに、それを掲げた政府に慢心が無いかどうかをこの時期に刻み込もうとしているかのように見えます。

 その点で今回の国民運動は、現時点では無く将来の次期政権までの政治の不穏当を確かめる運動であり、その証拠にいつに無く積極的な次に日本を背負う若者達の政治参加がそれを物語っているように、既に次の一手を睨んだ動きでもあるのです。

 

 若ものは間違いなく本気だと信じられます、それは今風にこだわるだけでなく地道に集会や陳情を行うなど、多様な活動をしているからです、むしろ頼もしくもあります。

 

 なので尚の事、今ここで一つのファッションや流行りもので終わらせないためにもこの現象の意味を、今生きてそれを参加したり見ている意味を、そしてそれで感じた想いやその可能性と使命を、心に焼き付けて欲しいと思うのです。

 

 


「廃案、ハイアン」、世代超えNOの波 国会前に集結:朝日新聞デジタルhttp://www.asahi.com/articles/ASH8Z5QK3H8ZUTIL01B.html

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