くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

英語教育推進と 能力差による超格差社会は関係ない

 

 大変面白いご意見をされてらっしゃる方の記事を見つけましたので、共有したくて紹介します、以前からもこういった英語学習の要否については、こういった意見が目立っていましたが、かなり問題は他にあるような気がします 

 

 

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 この本の著者が仰るとおり、英語を学ぶ前に 日本人として学ぶべきことはいくらでもあると言えばその通りではありますね。

 そうなんですが、ではその学びさえも学校でできていないと言うのは、どういう状態なんでしょうか?

 それが一律にできているというのは大事なのかもしれません、でも能力の格差が出るととらえるのか、逆に先生がどれだけ適性を見て伸ばしてあげられるかは、これからの日本の立場を主張する上で、大事な境界線になりと思います。

 

 それより重要なことは、日本の事はしっかり教える、基準以上の知識は教えるというスタンスに加えて、子供の伸びしろを確保していかに選択肢を与える教育ができるかが大事ではないでしょうか。

 

 その中に時代の流れで海外に興味を持ち、英語学習にのめり込む子供も増えるでしょう、勿論日本の特徴に関心を持ってのめり込む子供たちもでてくるでしょう。

 大人は彼らの選択する道を大人都合のバイアスを賭けずに広く提供し、選択の余地を広げてあげるだけで十分だと思うのです。

 

 何でもかんでもみんな足並みそろえる必要はありません、大人は日本の特徴を子供たちに植えこんであげれば、あとはそれを日本で生かすのか海外で生かすのかは、子供たちの人生です。

 

 それを、日本の人材が失われると、自暴自棄になって未来の目を大人が摘むことはあってはなりません。

 こどもは今まで散々どの国でも、今この時にも大人の搾取の対象にされてきたのです、しかし子供は大人が思うよりバカではありません。

 

 自分が生まれ育った土地は、大人になっても忘れはしません。

子供が地元に夢破れて、その土地を離れるのは本能的に搾取を感じるからです、縛る相手からは子供たちは必ず逃げていきます。

 戻ってきたい、貢献したい「ふるさと」というのは、自分の大事な基礎を思い出させてくれるところです。

 家族がいる事も大事な事ですが、子供の時分の時分の基礎作りをしてくれた日本あれば、どこへ行っても日本心を中心に思い思いに活躍してくれるのではないでしょうか。

 

 政府が押しつけがましく、英語を学ばせようとするのもどうかとは思いますが、積極的に海外へ出ていこうとする子供たちを推奨してあげる姿勢が、今の日本では必要です、そのために英語を学ばせるというのは、アリだと思うのですが。

 

 

 

「英語化」推進は“新たな植民地主義”の始まり! 能力差による超格差社会が誕生する - "本"人襲撃 - 連載コラム|週プレNEWS[週刊プレイボーイのニュースサイト

http://wpb.shueisha.co.jp/2015/08/11/51914/