くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

怪談好き?妖怪やお化けが今も息づくワケ

 

 水木しげるさんが描かれた戦記マンガを読まれた方も多いかと思いますが、実際の戦地経験がリアルに描いてあり、またこの戦地での積年の思いが、やがてあの鬼太郎マンガの強い個性に繋がっていきます。

 

 

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 筆者位の世代だと、まずゲゲゲの鬼太郎マンガから感心を持って、後から戦場記を描かれた事を知るのですが、その事を知ったとき、あの鬼太郎マンガの怪しさと不気味さを、理解するのです。

 中沢啓治さん作画のはだしのゲンも同じ思いで描かれたものですが、ゲゲゲの鬼太郎のような妖怪話の方が、今の世相に受け入れられ易いかも知れませんね。

 

 筆者はリアルさがないと伝える意味が半減してしまう気がしますが、とかく平和な国では、戦場の悲惨さをストレートにされるのは、敬遠されてしまうようです。

 でも忘れて欲しく無いのは、体験者はそんな選択も許され無いまま、経験しているという現実です。

 

 同じ国に住む者として、日本の歴史事実を経験者は心の中で戦争と闘いながら、それを吐き出そうとする事で、救いを求めているのだと思います。

 聴く側にも準備と覚悟は要ることですが、救いを求める者を無条件に拒絶するのは、傷に泥を塗る行為になりかねません。

 

 女性の方々は理解しやすいとおもいますが、人は苦しい時には共感を求めたくなるものですよね。

 話をどこまで理解出来るかは、二の次で受け入れてくれれば人は苦しみから一時安らげます。

 

 戦争体験を聴くという事は、歴史の事実を知るのと同時に、人に共感する体験をする大事な機会でもあるのです。

 この体験は子供の成長にとっても大切な要素では無いでしょうか。

 

 さて、ゲゲゲの鬼太郎のような妖怪モノに流れるものは、物悲しい人の心を妖怪が代わって代弁していて、その健気さに愛おしささえ感じられたりします。

 

 戦争体験の話だけで無く、日本の悲惨で悲しい歴史に残るうらめしさは、妖怪話として賢く残されています。

 

 そこに出てくる個性豊かな妖怪やお化け達は、日本が忘れようとしている思いや心の代弁者に他なりません。

 

 この夏の一時に、その思いの底にあるモノに触れてみるのも良いでは無いでしょうか?

 

 

 

調布で水木しげるの戦争と新聞報道展 平和祈念事業の一環で - 調布経済
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