ハレとケ、自然と人が共生できる知恵
おそらくですが、日本の村落ではずーっと昔から人がどこからか流れて住み着き、また誰が別の村落へ移っていく、血液のように人が流れ、人の気配はそこから絶える事は無かったのでしょう。
土地の少ない日本の国土は、人が流れ流れて淀みのように集まって、住みよい土地が村となる。
村と村がくっついて大きくもなれば、無くなる村もありますが、人が住まった後は、気配を残す。
気配が残る土地は、また人が住みやすくなる、こうして人は人の気配に安堵して、集まってくる。
今でも、日本の住民は自然の中に気配を感じ取って、ある時は感謝し、ある時は畏れおののき、自然にあるあらゆるモノに神や怨霊を見いだして、上手く付き合ってきました。
おそらく原初の日本は、いろんな所から流れ着いて、陸の末端に定着した人々が、自然の恵みや四季の変化に何かを見いだしたのでしょう。
万物に感謝して祀り祝って、また万物に畏れ弔う。
良くも悪くも、全てを自然と受け入れて、生きてきたから人なつっこいのでしょうね。
幸い海外に比べて戦をする機会が少なかった(もしくは避けてきた)事も大きかったかも知れません。
その分、多少排他的な気性もありますが、他国の人から見れば善人が多いとの評価が目立ちます。
日本人が人や自然となじみやすいのは、長い歴史の中で全てを受け入れて、その上で身を委ねて生きてきたからではないかと思います。
自然の中に人の痕跡を見つけ、人が集まればぞれを祝う、その人が集まる時は感謝して祭る、人が自然へ去っていけば弔う。
多種多様な自然の変化を畏れた日本の人々は、移動しながらその自然の中に、ある時は人の痕跡を見いだして安堵し、ある時は集まって祝い、痕跡を残して別れる。
自分の跡を残した場所を原点にする事で、厳しい自然の中で生きていけた。
だから、必ず人は原点を確かめるために、その風景や人に会いに戻ってくるのでしょう。
@たった3軒の集落で見つけた「シェアハウス」的生活 ハレとケを支える存在 | THE PAGE(ザ・ページ
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