くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

地方創生 時に足下の宝を見落とす事がある

 

  日本は明治維新で西洋文化・技術を吸収しては、世界大戦後の高度経済成長期に日本文化・技術を放棄したのかもしれません。

 

 

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 今、日本は国際化の波に呑まれつつありますが、世界に目を向けてみると改めて日本の特徴がハッキリと見えてくるようになります。

 観光立国を旗印にして数年、政府や地方都市は、海外企業誘致や観光客の呼び込みに力を入れていれ、徐々にその効果は現れて、至る所に外国人をみかけるようになりましたね。

 

 そこで、日本人が外国人の反応に戸惑ったのは、彼らが日本に求めるものが意外なことに、日本がこぞって捨て去ろうとしていた古き良き日本の原風景だったとは、とても皮肉な話です。

 

 古きを捨てると言っても、辛うじて重要文化財は残しましたが、ほんのごく一部を覗いて、庶民の生活環境は西洋ナイズされ、観光客の目を惹くにはインパクトがなさすぎたのですね。

 

 日本人は明治以後、執り憑かれたように、西洋に追いつき追い越そうと躍起になりました。

 開国以来の反動が大きかったのでしょう、しかしその反面で足元にあった日本のアイデンティティさえも忘れ去ろうとしていたわけです。

 

 これは、実はとても恐ろしい事なんですね、アイデンティティと言うのは産まれて存在を示す上では、本質は変える事は出来ないのに、変えたつもりで事を起こしても行き先を見誤るだけだからです。

 

 それならいっそ本来の日本文化を、如何に生かして「らしさ」を作り上げる方が、どれだけ合理的で創造性に富んでいることか。

 

 日本は「心の開国」をする事で、自身そのものを見直せてそれによって多様性を認め合う素地が出来上がっていくのです。

 

 私たちが、多様な文化・思想の人々と対等に接する事を望むのならば、もしくは「おもてなし」の心を持ちたいのであれば、自身のルーツを省みて、それに誇りを持てるよう心がけるのが、近道のような気がします。

 

 時に、よそから教えられた事が、ズバリ的を射ている話は良く在ることですから、素直に耳を傾けるのも良いのではないでしょうか。

 

 そこは、ゆるく。

でもしっかりと。

 

 


「コンクリートの田舎に、誰が戻りたいの?」 古民家再生の第一人者アレックス・カーさん、地方創生を語る
http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/11/alex-kerr-chiiori-japan_n_7777752.html

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