くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

内的問題の無自覚のままでは、外的な交渉はできない

 

 海外の人からみて、自虐的な思考・言動は日本人の得意とする(腹芸)と みなされる事があります、もちろん海外の人にも「二枚舌」という腹芸は存在するわけですが、日本のそれは内向きな故に、国内的危機をはらんでいるかもしれないのです。

 

 

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自虐的キャラを演ずるのが、男優:ジョニーデップはとても上手いが、主張もお得意

 

 

 二枚舌とは、相手に対して効果を期待するテクニックですが、国際関係の中で使わることがほとんどなのに対して、日本のそれは真逆で、国内に対して使われるという特殊な点が挙げられます。

 簡単にいえば「敵を欺く」のではなく「見方を出し抜く」場合の手法に使われることが多いということです。

 

 日本の歴史を振り返って、そのような心理的慣習が形成されているのは、思い当たるとすれば日本は小国ながら、まるで世界の縮図のように習慣も秩序も異なる部落単位で、狭い領地を奪い合ってきた歴史を持っています。

 何度か「統一国家」と歴史的にも唱ってはいますが、それは苦肉の策であって未だに地方の慣習・しきたりは厳然として地域に根差しています。

 

 その地方間のいさかいを表面上統一されたかに見せている国家は、海外との交易上統一国家という外面を保ってはいますが、日本人の内情では未だ相容れない心情がくすぶっているのです。

 政府が「国の政策」として地方にその土地の正当性を無視しておこなう列島改造の際に噴出して、その憤りを政府にぶちまける姿を見ることで確認されます。

 

 それまでは、自虐的に本音を抑え城主に忠誠をつくす顔を見せながら、芽を出すチャンスを伺う、という腹芸を培うとともに、同時に他地方民の不利益に対しては共有することはない。

 中央は、それを知っていて順繰りにその不利益を政策と称して承諾させることで、主従関係を認めさせていますが、今日本で問題になっている、横のつながりのないまま、常に中央の情報を鵜呑みにしなければならない構造が、海外との交渉に必要な外への自我の形成にものすごく不利になるということです。

 

 ようやくあらゆる情報が容易に入手できる時代になって、地方自ら開花するチャンスを持っているにもかかわらず、まだまだそのチャンスを逃している姿を見ているとみている限り、本来の「地方創生」は絵に描いた餅にしかならないでしょう。

 

 

 また、本来同じ日本人として国内のなすりあいを解決した上で、はじめて海外の対等な交渉ができるのに、それを未解決のまま国際問題にも対応していく離れ業を自らに課しているいるのは、まさに自虐的行為そのものです。

 日本人の意識の中で、社会や共同体への意識が分裂したままで混乱し、一貫した態度を示すことが困難な精神的な状況が出現している。

 共同体についての意識の一つは、三人吉三に示されるような、個人が共同体の中に融解して渾然一体となっているものである。

 もう一つの意識は、極端に孤立した個人の意識が、それぞれ直接的な接触を最小限にして、可能な限り制度や道具を媒介に、社会的な役割を果たすことを交換しているというもの。

 この二つの意識の統合が果たされないでは、一貫した責任主体を担える自我を備えた個人という精神性は現れず、民主主義は機能不全に陥ってしまう。社会の中に生きる個人の義務と権利を保護する法への信頼と尊敬は生じない。

 このような精神性を国民全体の空気として継続することは、国際情勢が変化した現在では危険である。

日本的なナルシスズムを克服して、自我を確立することが目指されるべきだ。

共同体についての意識の分裂と混乱 | 堀有伸(抜粋)

 

 

自虐的世話役と攻撃性の統合の困難 | 堀有

http://www.huffingtonpost.jp/arinobu-hori/post_9747_b_7759366.html

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