くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

家族で望ましい選択、胃ろう・ポート問題

 

 ご家族が入院、自分で満足に食事が取れない状態になったった場合、これは突然訪れますその時、それはその家族の延命をするかしないかを、あなたがその場で判断することです。
 

 

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 家族が自分では何もできない状態、それだけでもかなりのダメージなんですが、それは突然告知されたりします。いえ、その事実から逃げていただけかもしれませんが、それなりに病院側は相談に乗ってくれますし、聞くこと全てに誠意をもって答えてくれるのです。

 それでも「どうしたら、良いんでしょう?」という問いにはこたえてくれません。


 そこだけは、家族が判断するしかないのです。

 ポートは、家族の体を傷つけます。少しだけですが傷は消えません。

 胃ろうは、傷つきませんが苦しみます。

 最近は傷も、管も最小になって、患者のダメージを少なくしてくれますから、以前のように痛々しいイメージはありませんが、いったんそうしてしまえば途中でとめることはできないのです。


 片道切符ですね。

 その時点で、また以前のようにも回復する見込みが期待できない、と改めて現実を突き付けられます。 

 この選択を迫られる時点で、本来ひと昔ならとっくにいつ亡くなっていてもおかしくない状態、ということです。
 つまり、人としての機能を失っているのを承知で、それでも家族のために(もしくは本人事前希望)「延命」するということです。

 それが本人にとって、また家族にとって有益なのか無益なのかは、残った家族が決断しなければなりません。

 少し古いですが、上の説明図にあるグラフでは、胃ろう器具出荷数が右肩上がりです、出荷数が増えているのは、延命をを望む方が多いのと、一方医療側も安易に生命維持の観点から勧めてくるのも原因です。

 

 人の尊厳を判断する上で、人としての死をご本人が、そして残されたものがどう判断するかは、今後も生命倫理の永遠のテーマでなければなりません。

 

 

 

胃瘻やポートをめぐる問題をどう考えるか? | coFFeedoctors
http://www.huffingtonpost.jp/coffeedoctors/port_b_7609698.html

www.huffingtonpost.jp