自衛隊員54人自殺・平和との間で苦しむ心
安倍首相は26日国会答弁で「国民に被害は及ばないが、自衛隊員はその犠牲になる事はある」と野党質疑に改めて「国民の犠牲になる」ことを明言しました。
今まで散々、安定した公務員の触れ込みで募集していた自衛官募集も、そもそも入隊志望動機に問題があったし、公務員感覚で入隊しようと考える人はもう入らないほうが良いでしょう。
協定などで各国から中東へ派遣された軍隊の兵士は、アメリカでもそうでしたし、ドイツでもそうでした、運よく帰国を許されたものの辿る末路は、悲惨を極めると報告されます。
大分依然にレビューした映画「アメリカン・スナイパー」や、俳優シルベスタ・スタローンの看板映画にもなった「ランボー」の主人公は、どちらも戦争に駆り出されたあと、精神を病んで常人ではやらないような非行・感覚を持つに至ります。
今回紹介記事で自殺した人は、優しい人だったのでしょう。
精神をむしばんでいく自身の感覚に恐怖し、異常な行動に出る前に、自らの命を絶った可能性があるのです。
なんと悲壮な事でしょう、所詮戦争は国を護る大義名分で正当化する殺人行為です、まだ人同士が闘っているうちは、まだ歯止めがきいていますが、これが機械化されて、機会が人を殺すようにいずれなるでしょう。
そうなれば、容赦はありません。
そこにあるのは、自国の都合に正当化された殺戮の修羅場です、機械に情けも手心もありません、今は機械ではありませんが、戦場へ行った尋常な神経の人々はそこで異常な世界に対峙させられるのです。
さて、近い将来日本は何らかの形で戦争に巻き込まれる危険が避けられなくなっているようですが、その際は自衛官の犠牲を私たちは、受け止めていかなければなりません。
その上で考えていただきたい。もしご自身が戦場へ派遣され、その現実を見届けたとき、狂気から自分の神経をまもり通さないといけません。
もし、無事で帰りたければ、それを確実にできない場合は、二度と安全が保障された世界へは戻れなくなるかもしれないのです。
54人の自衛官の死は、私達国民と無縁の話ではなく、その尊い命の上に乗っていると思わざるを得ません。
政治家の方も、党の政策という狭い範疇で自分は行かないからと「蚊帳の外」思考で動いてもらっても困るのです。
http://mainichi.jp/select/news/20150606k0000m040121000c.html