くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

パパ達よ、新しい父親像を創造せよ!

 
 現代の母は、筆者の母親の子育て時代の話からすると、体裁を気にする文化と周りが体裁を要求する文化が、母らしく振る舞えない時代なのかもしれません。

 

 

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新しい「パパ」の後姿を見せてほしい

 

 

 今回は、パパさん応援記事です。

  日本は慣習的に、仕事を持っていても無くても女性が子育てする事になっている時点で不公平なのですが、周りがそれを押し付けて、さらに他人の子育てに対する寛容さが無いように思います。

 冒頭の筆者の母親の世代では、なりふり構わず子供を背負ってでも働く姿に、誰も違和感は感じませんでしたし、むしろ協力的でさえありました。

 いつからそのような寛容さが無くなったのかは、ここでは触れませんが今は間違いなくそうです、まれにそういう懐かしい姿のお母さんを(あー、こういう姿の母を「ママ」という表現は違いますね)微笑ましく思いますが、そこまでして育てないのか、昔以上に世間の目がそれさえさせないのか?

 ある意味、そんな覚悟というか「かなぐり捨てる」必死さが見えにくい現代は、周りのサポートを拒んでいるかのように見られて損をしてるのかもしれません。


 さて、本題です。
 決してママさんだけで子育てしなければいけないわけなどなく、この頃はパパにこそ先の覚悟が必要なのかもしれません。

 高度成長期に、男は外で働いて子供に背中を見せてこそ父親、などと言う政策や企業の目論見に気付かず、父戦士は家庭を顧みることなく猪突猛進してまいりました。

 今考えればそれが、「男の悲哀」の始まりだったのでしょう。

 やがて父は、パパとよばれる優しい男になっていきます、これも先の陰謀(笑)にちがいありません。
 しかし、パパは仕事一本で家庭の居場所を失っているのに気づきません、そういうパパを見て育った次世代のパパは、今度はイクメンと改名させられます。

 何という事でしょう!!

 イクメンパパには寝耳に水でした、なぜなら見習うべき前例が無かったからです。
彼らのようになれなかった男はママを捨てて子育て放棄してしまうのです。
行く末は、残されたシングルママ・ワーキングママなんです。

 ちょっと、この話は乱暴なところはありますが、信じて疑わない政府の・会社の方針に儒順に従ってきたパパママの行く末なのは間違いありません。

 日本の子育ては、どこかで少しおかしな方向へ進んでしまったのかもしれません、それに気づいたときに、新世代のパパの役割とは何でしょうか?

 ママは相変わらず育児と生活のための仕事にあえいでいます。

 かつて、家庭のヒーローだった「パパ」は未だに「父は仕事に忙しい」とだけ言っていればいいのでしょうか?

 ぜひ、頑張るママをリスペクトして、パパも新しい男らしさを見せつけようじゃありませんか、そしてもうお分かりだと思いますが政府や仕事に盲信することなく、家族あっての時分だと思い返してみてはどうでしょうか。

 もう、すでに実践している同朋が、新しい時代創りへの加勢を待っていますから。

 

 

男性も家事・育児をする社会を作ろうよ!

http://toyokeizai.net/articles/-/70611

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