くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

子育てのイチオシ、人として対等な共感関係を作るコト


 一見、男女差別と誤解されるかもしれませんが、子育てはやはり母親の存在が核になって回るものだと筆者は思っています。

 

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 そこで核になるべく、母・主婦の方々にお考え頂けるテーマを紹介します。

 

☆叱らない怒らない子育てを選びませんか? 

 これは両親共通の話です。「叱らない子育て」には放任主義がありますが、万が一の際「親が責任を取らない」放任状態では、単に無責任になってしまいますが、未熟な親御さんだと、子供が怖くてものを言えない人がいたとすると、子供は正確な大人になれません。

 こういった間違った「叱らない子育て」は子供を潰してしまいますが、反対に感情で怒る間違った「叱る子育て」も、歪んだ人間を作ってしまう可能性があります。

 ニュアンスとしては、叱るというより「たしなめる」「丁寧に教える」ことが親のすべき「叱らない子育て」ではないでしょうか。

 経験値の少ない人に、物事を教えるのは根気と柔軟性のいることです。相手が子供なら余計に粘り・忍耐力が試されます。
 根気よく教えるより、怒るか見ぬふりして放任する方がラクで、流してしまう親御さんが多いのかもしれません。

 感情的な親の反応は、本人が思っている以上に子供は察知してくれるものです、そういうときは、素直に接すれば心も打ちとけてくれると思っています。


                 ◇

☆ひきこもり主婦・自分を責める女性たち

 ひきこもり主婦なるになりやすい人、という定義がそもそも筆者は気に入らないのですが、現実こういった方が少なからずいらっしゃる以上、やむ得ないでしょう。

 言い換えれば「コミュニケーションに抵抗がある人」の一部と言えるでしょうか、上のテーマで触れた親子の対話がとれないと、お子さんの成長に影響が出る可能性がありますが、意外に子供は柔軟なもので、反面教師として親を見て成長するかもしれません。

 ただ、ご本人にも子供にも朗かに、自分を責める(自我の否定)を見せるのは子供には自信喪失の種を植えてしまうかもしれません。
 なかなか子供の前だけ、明るく振る舞うのもしんどいかもしれません、それは無理をすべきでは無くて、きちんと子供に自分の不安とできない理由を説明できる勇気がないと、子供は親の行動の真意を理解できずに、親と同じ道を歩んでしまいかねませんので、その点はたとえ話や、絵本・マンガでもいいので、自分の心情をできるだけ同意してもらえる工夫はした方がよさそうです。

 

 最後に、えらそうな事を書きましたが、やはり人の先輩として積極的にお子さんとのコミュニケーションとる、お互い人間同士と認めてさらけ出すのが自然ではないでしょうか。
 毎日一度でも合う機会を作るだけならできますし、大人の都合を押し付けなければ、人間のホンネとして子供は理解してくれる筈です。

 

 その「理解してもらえた」という、
共感の瞬間体験は、親子でなければ得られない、子供にとても大切なものです。

 

 

※下記記事内容は、上の記事と直接関連ありません、テーマの参考にしたものです。

叱らない怒らない子育てを選びませんか?
http://www.planetforce.net/happy-child/

www.planetforce.net

 

ひきこもり主婦 -「私は社会のお荷物」自分を責める女たち
http://president.jp/articles/-/15198

president.jp