くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

読み易いと言って15年後も原発選択でいいの?

 

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  私たちの生活に必要不可欠な、発電インフラを変えていくことは、現状維持の莫大な建設コストと維持管理にさらにかかるため、既存インフラに頼る傾向がありますが、原発最攻勢の時代とは異なり、原発安全神話は崩れ去っており、先の東北大震災の結果をみるとおり、暴走した際にかかるコストは言うまでもなく、政府の言う省コストとはとても言えないことが分かっているため、原発依存にこだわる理由は既にない。

 にも関わらず未だ、2030年の発電比率案で、原発こそが最も低コストと言いきって再稼働する動きには、単に他事でもない限り国民の意思を反映させているとは言いがたいのでは、という記事です。

 記事中では、まともにその他の案については話し合いさえなく、既存原発炉のみならず、新造までが取り上げられ当に「原発ありき」の姿勢は、何かよほどのうまみか、安全担保が保障されなければあり得ない話に思えます。

 筆者の見立て(単に好みかもしれませんが)では、東京新聞系(名古屋では中日新聞)は、比較的中立の姿勢を通している、客観性の高い媒体と認識しているため、ここの社説で取り上げられるのは、余ほどではないかと勘ぐりたくもなります。

 それに、過去の事例としても、旧ソ連チェルノブイリの生きた事例も参考にする必要があるでしょう。
 原発先進国である、米・ロは原発推進については大枠では密接に結びついているため、エネルギー供給方法が全世界でおおむね「原発ありき」の動きになっていることは、政府の見解に大きな補助となっているのは、否定できません。

 

 ただ、本当に右ならえで動いても、問題が起これば各国で事故処理しなければならないわけで、先の土地広い大国ならまだしも、小国である日本が単に右ならえででは、バランスも悪いし、負担も大きい。

 もう少し政府は、右ならえではない日本ならではの、原発以外の選択肢を本気になって実施いただけないものか、とは思います。

 

【社説】15年後の電源 まだ原発に頼るのか
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015050402000137.html

www.tokyo-np.co.jp


 電力を原発に頼る危うさ・ロシア編
http://s.webry.info/sp/nekotomo.at.webry.info/201106/article_6.html