くろま流 × NAGOYA式 ブログ

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介護・看護不仲説?仲介すべきは政府。


 日本の場合、本来介護と医療は別のものでした。少なくとも筆者が子供だった頃ははそうだったはずです、しかし時代は変わって単純では無くなっているようです。

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 これから介護を受けようとされる世代を介護する世代は、筆者の当時と比べ圧倒的に人数が減っています、その上に核家族化が進んだ今では、実の親子でさえよそよそしく、お互いを気遣う故か?介護の認識がかわっているのかもしれません。

 子世代が親世代を当たり前に面倒をみるという道教的常識が、教育方針の変化によって個々に責任を取るのが当たり前の様に変わってきました。

 さて、ここまでは前フリです。

 つまり、人口減少と親子関係の認識の変化が、親の看取りを『介護』に変えてしまいました。ここで言う『介護』とは無償でされる介護のことではなく、医療の様に有償で第三者が行う『介護』の意味です。

 これを悪しき慣習だと言いたいのではなくて、この結果、新しい雇用が発生した点は褒められますが『看護』(有償化はと同医療の一環と考えて)と同様『介護』もビジネス化を始めたということです。

 『看護』はそうなって久しいので、今ではお金を払えば払うだけ質の良い治療が受けられるのは異論はありません。しかし『介護』は先に書いた通り、つい最近まで家族で無償で行われてきたために、まだ施設や人材が十分ではありません。

 その中で、ビジネスとは言え、道徳的な認識も未だ強い人たちが多く、それがその分野で働いている人たちに十分な報酬を得にくい雰囲気が色濃く残っています。

 筆者も親介護の経験を経て見聞きし、少しは承知しているつもりですが、看護も介護も、人の命を扱う仕事だけに相当厳しい仕事です。
 ここに来て両者はきつい上に、看護側は一般の医療行為と介護での医療行為を平行することになり、介護は3Kとまで言われて中々優秀な人材が育ちません。

 また紹介記事にもありますが、看護は国家資格の威厳みたいな慣習が出来ていて、まだ日の浅い介護は、国家資格があるこそすれ、その威厳は比例して浅いので、医療と介護のパワーバランスが問題視されるのは、無理ないかもしれません。

 これから、両者とも若手世代の減少は確実な時代で、彼らが介護を受けるようになるまでは、一人当たり相当数の看護・介護を賄わなければならない現実には、国家レベルでの、介護を組み込んだ新しい医療の仕組み・保障を作り直さないと、日本での職業介護の成立は困難でしょう。

 この手の業界はいろいろあるそうなので、残念ながら簡単には進まないでしょう。
今は、なまじネットに情報が溢れていて、過度に将来を憂いてネガティブ思考に陥り兼ねません。
 今でも変わらず大切なのは、今ある家族関係をより良く過ごすのに集中して、家族の温かみを育む方が幸せかもしれません。 

 

うまくいかない介護と看護・・・現場で一体なにが?
http://news.kaigonohonne.com/article/375

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