くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

戦後70年のこの年を考えるコトの大切さ。

 今年2015年は戦後70年を迎える年です、安倍総理は「憲法改正」「安倍談話」にも意欲を見せており、近隣国との「集団的自衛権」など日本が抱えるなど、戦後残された様々な問題を今までとまた違ったより国際的な視点で、見つめなおす時期にある今を再認識したいと思います。

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 70年という年月はあまりにも長く、今までが当然の様に引き継がれてきた戦争への思いは色や形を変えてきて、単に引き継げば良いという話ではなくなっています。
たとえば、時代のの経過は世代間の認識のずれをも起こします。

 戦後節目の成人たちは、戦後70年の成人式の意識調査インタビューでは戦争で日本はどこの国に負けたのか?日本はその戦争でどのような事をしたのか?その結果今近隣国との関係はどうなっているのかを、考える情報を持ち合わせていなかったそうです。


 それほど新世代の若者たちにとって、戦争といまそこにある国際的な問題は別物として認識されている現状があります。

隣国中国の李克強首相は3月15日記者会見で「先人の歴史責任負うべき」
 と戦後70年談話で敏感な反応を示し
安倍晋三首相が今年夏にも公表する戦後70年談話を念頭に「国家指導者は先人が作り上げた成果を継承するだけでなく、先人の犯罪行為がもたらした歴史責任も負うべきだ」と述べ、日本側をけん制。


 そんな中で政府もその折に触れ、粛々と慰霊式を開いて英霊の鎮魂を祈る姿勢を示しています。

厚労、防衛相が慰霊式出席へ 硫黄島、戦後70年で。
共同通信 2015年3月10日 21時46分 (2015年3月10日 21時48分 更新)
 太平洋戦争末期の激戦地・硫黄島(東京都小笠原村)で日米合同の慰霊式典が21日に開かれ、政府が塩崎恭久厚生労働相中谷元・防衛相を出席させる方向で調整していることが10日、分かった。今年が戦後70年の節目に当たることを踏まえた措置。


 そして、名古屋でも3月14日私設ですが、名古屋空襲70年としてその追悼の催しが行われました。

名古屋空襲から70年で追悼式
太平洋戦争中に行われた名古屋空襲のうち、3000人近くが亡くなった、昭和20年3月の空襲から3月で70年となり、14日、名古屋市で犠牲者を追悼する催しが開かれました。

航空機産業が集中していた名古屋市は、アメリカによる空襲を60回以上受け、特に昭和20年3月には、3回にわたって大規模な空襲を受けました。
名古屋の歴史を記した「新修 名古屋市史」によりますと、この空襲で空襲の全犠牲者の3分の1以上となる、2962人が亡くなりました。
14日は、名古屋空襲の犠牲者を追悼する催しが、名古屋市名東区の「戦争と平和の資料館ピースあいち」で行われました。
この中では当時、軍需工場で働き空襲の直撃を受けた女性が書いた手記の朗読が行われ、参加者の中には涙を流す人もいました。
また、ともし火を並べて犠牲者を供養する法要も行われました。
主催した「ピースあいち」の吉田稔さんは「犠牲者を追悼し、悲惨な体験を語りついでいくことが平和を考える上で大切だと思います」と話していました。

 安倍政権は、この記念する年を政治的な解釈で世界平和を推し進める主導国としての位置づけへの節目とするよう様々な準備を進めています。
 こういった国民の戦争認識や平和解釈とずれを生じていないか?監視し、私たちの民意が中心となる政治となるように意識を持つ事が大切です。

 こういった催しを今後も続けることで自ら学び、国際社会の中での日本人の自覚を持てるよう準備しなければなりません。