漸く、少し春の日を迎える準備
今日も東北は寒い日になるそうです、お体に気をつけてお過ごしください。
昨日一日は、記事を一つだけ書いてあとはずーっと東北関連のニュースを追ってました。
その中でとても気になった事があります。
世の風潮は4年たった今、未だ苦しむ人たちを責める人がいて、彼らは甘えと捉えていると言う事実に戸惑い、
『自分が生き残ったことで、犠牲になった人がいる。』
その事を気に病んで、自分は生まれてこなければこんなことにならなかったとコメントした少女。
彼女の様な人達が少なからず居て、誰がどう癒そうがその人は一生十字架を背負って生きて行くんだろうというやり切れなさ。
前者では新しい問題を抱える予感を感じさせ、後者では、これからがスタートなのだと言う再認識を突き付けています。
私達は理解しなければなりません。
痛ましすぎる現実を乗り越えるにはその人が、その気持ちと正面から対話できるようになるまで心の春は訪れません。
それは自分への生と死と闘う挑戦です。
『私達が生きていくことが、亡くなった方への恩返し』
彼女達の新たな覚悟は心に刺さりました。
今も生きる糧である米粒の様な自分の生きる意味を、一粒一粒、日々生きながら拾い集め生きる姿は、痛ましくもあり逞しくもあり、新しい問いかけを私達に投げかけています。
それでも、一日今年の特集番組やレポート記事を拝見すると、漸く五年目にして少しづづ春を迎える準備ができた人が増えてきたのかな、とちょっぴり嬉しくも思います。
現地に関わる方たちにお願いです。
生きるのに精いっぱいだとは思います、それをあえてですが、
ネットをフル活用して私たちに今後も引き続き、
生き残れたあなたたちにしかできない報道
をしてください、教えてください!
手記や、撮りためた写真・動画をYoutubeやブログで公開してください。
お願いします。
筆者も気持ちを新たに今後も独自のコメント発信したいと思います。
彼等の新しい門出を拝見し、筆者も地元愛を深めました。
自分が立っている地元の大地に、立っていられる事がどれだけ幸福なことか、
それを思うと身が引きしまります。