くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

トヨタとスズキがタッグ組む、日本の負けられない事情

二人の経営者の笑顔の向こうに見えるもの

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 読売新聞によれば、トヨタ自動車が世界標準化をねらうのに、必要な相手として選んだのがカリスマ鈴木修会長率いるスズキ自動車だ、ということで豊田章男社長は近くて遠い会社との提携を発表した。

 

 スズキ側も劇的な変化を遂げようとする自動車業界での存続をかけ模索しており、鈴木修会長が技術提携を持ちかけた経緯がある。

 豊田章男社長の心眼に叶ったのは、スズキのサバイバルに長けた柔軟性を買ってのことで、インド市場で成功したスズキの手腕を高く評価している。

 

 しかし実はその根幹には、道祖の企業であるという下地があってのことで、両社の発祥の地である静岡県西部の遠州地方には、挑戦する気概を示す「やらまいか精神」というのが共通の呼び水となっていたようだ。

 そもそもこの2社長、父豊田章一郎名誉会長に技術開発面で恩人となっていて、良好な関係があった。鈴木修会長の子息、現社長の俊宏氏は入社10年前には子会社のデンソーに勤務していた。

 

 豊田社長は、厳しいグローバル競争を生き抜くための「やらまいか」の提携だ、と力を込める。その裏には変化目まぐるしいグローバル市場での生き残りの道を模索していた同社長にとって、意思表示の一環としてだけではなく、一貫した脱自前主義からの脱出を急ぐトヨタの方針転換も事情に含まれる。

 

 トヨタ自動車は、これまで部品メーカーを系列化し高効率の生産システムで内製化によって世界のトップに上り詰めたそれはそれで一つの成功ではあったものの、その豊田にあって、ダイハツの100パーセント子会社化、富士重工業マツダとの技術提携を結び、可能な限り国内企業との連携を図る。

 また世界市場に対してもIT化への対応の為に、通信大手KDDI・米IT大手マイクロソフト、配車サービス大手のウーバーテクノロジーズとの連携や、シリコンバレーにはAI研究所に投資するなど、今回のスズキ自動車との提携を含め柔軟な脱自前を進め、大企業病回避の独自策を打ち出している。

 

 あうんの呼吸を強調する二人だが、もっと俯瞰で市場を見つめると、その提携は他の日本企業の肥大化によるガラパゴス化からの、喘ぎの結果ではないかとすら思えてならない。

 世界から見て日本と言う地理は、文化の僻地とさえ見られる時代に、大企業であっても技術提携で世界の潮流に立ち向かって行くくらいの柔軟性を余儀なくされている。

 自動車業界はその最も顕著な例だけに、企業的にも技術的にも連携に失敗した家電業界の二の舞は踏まない、気概を感じる注目すべき話題に期待は高まるものの、その具体的な動きはなかなか表に出てこない。

 

 スズキ自動車の鈴木修会長もそろそろいいお歳でありながら、その自動車産業向上への執念の凄まじさは、日本の立ち位置への危機感の感じられる中で、豊田社長の同郷の心意気への共感と、車という同じモノづくりへの心いきを、感じ取らせたのかもしれない。

 自動車そのもののニーズが、かつてと比べ激変しようとしている今にあって、モノ造りに対する概念や技術継承への優位性が、IT技術の進化や電気自動車の台頭でゆらいでいて、自動車ではなく移動する家電とまで言われる新しいモノを、どう咀嚼して日本のモノづくりに落とし込むのか、日本の大きな課題だ。

 

 筆者はその点では古い人間なので、鈴木修会長の心意気は大好きで、かつて神様とまで言われた本田技研の創業者、故本田宗一郎氏の意思を継いだ稀有な人物のひとりと考えている。

 本家の本田技研工業は、いま迷走しているが、航空機メーカーという創業者の夢をアメリカで実現して、自動車でも産みの苦しみをしているが、その一方でライバルだった鈴木会長が受け継ぐ日本の自動車社会の在り方を、豊田社長はさらに引き継ごうとしているのかもしれない。

 

 日本のモノ造りの集大成のひとつでもある自動車製造によって培ったノウハウや精神をどう活かしていくかで、激変する業界を含む日本の立ち位置を確保する重要な時期なだけに、ふたりの笑顔の向こうには深い覚悟がうかがい知れる。

 海外ともうまく連携しながら、日本車初の世界のトップ自動車メーカーとしての誇りと意地が、遠州を道祖とする企業があいまみえたのは、ずっと昔から予定されていた巡り合わせだったのかもしれない、と思いたい。

 まだまだ日本は、この業界で負けるわけにはいかないのだから。