くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

 生活に潜む落とし穴、減らない風評被害を拡散しない配慮。

 

 東北震災の際に福島原発から流れた放射能による農作物や魚介類の汚染について、忘れてはならないキーワード「風評被害」。 生活に潜む落とし穴、減らない風評被害について考えます。

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  福島にしても熊本にしても、地震被害で一番のダメージを受けているにも関わらず、あらぬ根拠のない謂れ「風評被害」をこうむることの恐ろしさが露呈し、本来助けるはずが、かえって負担を加えるという悲劇は、見るに堪えません。

 

 私たちの社会生活のなかに、事実無根であるはずなのに印象や、妄言から火がついて、 もっともらしいうそがまかり通るのには、いくつかの原因があるとは思いますが、流すほうも流される方も、大なり小なり事実や客観的情報をうまく整理できていないところがおおきいにかもしれません。

 こうした結果的に「風評被害」につながる事象がニュースのなかに散見されていますが、私たちはこれらとどのように接したらいいのでしょうか。

 

 ひとつの方法としては、自分で直接見聞きしたこと以外は真に受けないのがよさそうですが、目まぐるしく変化する現代において、目先のことだけではとても正しい世渡りは困難なのが現実であり、その不足分を何かで埋めなければなりません。

 あと、風評被害はある意味経過心を持とうとする自己防衛本能の結果、過剰防衛する心理の表れでもあると言えますので、風評被害を完全否定するのもまた問題になりそうです。

 

 では、風評被害放射能や街の機能低下以外のケースも見てみると、何か見えてくるかもしれません。

 例えばあの事件です。

 

 

  はい「STAP細胞はあります!」は今でもご記憶になっている方は多いでしょう。

 提唱者の小保方氏の説明手順が適切でなかったことや、理研のゆがんだ組織運営が原因で、結果国内では「ほぼ存在しない」と太鼓判押されてていましたが、なんのなんの、海外で証明されてしまいました。

 これで、せっかくの世界的な発見を日本の名誉にすることを放棄してしまったのはイタイはなしでした。

 日本の理研が証明できなかったのは、能力がなかったから仕方ないとしても、さんざん小保方氏を個人攻撃した理研や、同業界は今何を考えているのでしょうか。

 幸いなことに、小保方氏はこれだけのバッシングを受けたにも関わらず、奇跡的に研究者生命を絶たれずに済んだのは、奇跡でした。

 

 このケースでは、医学的な実績を失ったことと、自由な研究する風土を見直すきっかけを私たちに思いしらせてくれました。

 

 次に、「食育はだれのため?」「子育ては何のため?」という身近なケースについてみてみましょう。

 食育の重要性は、核家族化したことで親の責任負担が格段に高まった現代で、親御さん特にシングルマザーの子育ての悩みがクローズアップされだしたのと一緒に話題にされることが多くなりましたね。

 自治体の提供する福祉サービスの遅れと、反比例するように親への負担が増加した時代で、情報だけが氾濫して知れば知ったで自動的に常識化し、あたかもそれを守らないと全うに子育てできていない目で見られる親御さん。

 

 相談する先も見いだせず、ひとり子育ての常識という怪物にさいなまれる毎日は先の風評被害に酷似した問題が潜んでいます。

 

 

 これらのケースを見てみると、私たちを取り巻く社会は息苦しい凝り固まった風評に自らを投影して、自分の首を絞めている図式がそこに見え隠れしているようです。

 これは、本来人間は個別のものなのに群れ社会を作らないと生きていけない人間の性なのかもしれませんが、日本は特に歴史的にも慣習的にもその傾向が強いのもげんいんなのでしょう。

 しかし、この慣習は昨今叫ばれるグローバル化の流れにおいては、あまり良いように機能していないようでもあります。

 

 国内の風評でさえ自己解決できないまま、国際関係を強化していくのはとても危険なことですし、この問題の危機意識を持てているかにかかっています。

 ただ一方で日本人は、一旦うまく受け入れられると、それをうまく自分のものにしてしまう特技もあるのです。

 いかに、うまく受け入れ溶け込めるか? これは習うより慣れろというに尽きるような気がします。

 

 英語がしゃべれない、どうしよう。と心配する人が多いと聞きますが、日本人は几帳面なので、正しく答えるのが礼儀と思ってしまうようですが、海外の文化や慣習を無条件に受け入れる必要はありません。英語や専門用語で表面上で仮装したサービスをあげつらって、わざわざ消費者が歩み寄る必要もないと思っています。

 私たちが何をしていようと、海外が日本を評価してさえいれば、歩み寄ってくれるので、言葉が分からなくても、どっかと構えて使える言葉で、誠意ある説明を全うしたり、交渉すれば良いのではないでしょうか。

 


  風評被害は、日本人の几帳面さからくる「こうでなければいけない」という必要以上のプレッシャーが生む幻影がもとになっているのかもしれません。

 いつの間にか「オシャレ」だとか「高級」だからとか曖昧なイメージを世の中は、たくさん発信してきます。それを生真面目に受け止めてしまわず、受け流す知恵も子供のころから培っていくのはいいこだと思っています。

 私たちはいつの間にか、企業やメディアなどのプロのマジックで、その気にさせられる場合が往々にしてありますが、ここで迷ったときは受け流す能力は大いに役立ってくれます。

 受け流して、一歩退いて冷静になって、正しいか正確か? 商品なら買わない、不要なサービスなら利用しない、政治・自治体なら公約してくれる人を見極めて、投票を流せばいいだけです。

 こうした時に一歩上がれる冷静な自分が居ないと、自ら選択肢を狭め風評に流されるし、選択肢を持っていなければそれはとても不幸な事です。

  

 現代は、あまりにも情報が氾濫しすぎて、間違った情報が政府広報でも流れ得る時代であり、専門家コメントは難解で、少なくとも複数のソースから比較する手だてを持つ準備は必要なのでしょう。

 生身の人間に相談できればそれが最も上等ですが、それができなければネットや電話で相談すべきで、新聞でもTVでも客観的な情報は、可能なものはなんでも見聞きしておくべきです。それが例え今役立たなくてもです。
 最終的には他人は責任をとれません、泣いても笑っても自己判断しなければならないのですから、それでも広がるのが風評の恐ろしさだと承知しています。

 

 少し政治的なジャンルにはなりますが、こういった誤解も恐ろしいことです。


 

 今一度、身の回りにある常識や定説を疑ってみるのもいいかもしれません。

 風評被害を乗り越えて、それに備えるための新しい自信の判断基準を、培えるきっかけになる可能性は多いにありますし、重要なのはその結果得られた責任ある結論がでないまま、不用意に伝搬・拡散しないようにする配慮も忘れたくないものです。

 

 最後に最も気を付けなければならない大事なこと。

 それはこうした配慮や気遣いは、日本人がもっとも得意とする、世界に誇るべき得意技であるのも、忘れずに守っていきたいことですね。