くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

AIと人の良質な関係づくりが、人を幸福にする理由

ウイルスの影響で疲弊した、日本国内の経済復興は今始まったばかりで、10万円の個人向け給付はようやく始まったようですが、中小企業・個人経営企業や店舗への補填は間に合っていない現在、国内間に移動規制が解除され、台湾のあと負いを始められました。

政治では、現実的には不完全な経済復興対策が行政で実行される中で、安倍政権へ名ばかりのリベラル派からの虚しい攻撃が中共政府の攻勢と比例するように強まっており、日本の政治実行力を弱めています。

 

この現状は、結果的に私達の選挙権への無関心と影響力への誤解によって、起きたことであると反省できるかが、有権者の課題であり成功のカギにもなります。

未成年や若年層の有権者の意識は、既存有権者が正しい政治行動を自らディスったり、過剰攻撃を止めない姿に憤っており、正常化を強く願っているようですが、その次世代の願いは我々がどう気づき改善できるかで、大きく道を変えていくでしょう。

 

さて、政策の重箱の隅突きを続けている間にも、日本は発展途上国からの突き上げと、共産主義経済圏や、戦勝列強諸国からの過剰要請の圧力などから、国土資源の保護や国益を護っていかなければなりません。

オールドメディア中心に、国内の利権の奪い合いを隠され、海外資本を過剰に危険視させる誤情報を広める行動は、私達を混乱させ誤った国際認識を助長するかのように振る舞います。

 

ネットによる情報網にも、巧みにオールドメディアの手法は入り込んでおり、自動配信のような表面的な情報収集では、ほぼ公正な情報が受けられない状態になっていて、最低でも3箇所以上の情報比較と、入手先の定期変更はほぼマストでしょう。

私達はより公正な情報源を得るのに、定期PW変更と同様の情報管理意識が必要となる時代に入っていて、日本語情報だけでなく、可能であれば英語や漢語など多言語ニュースからも積極的に早期に最新情報を得る積極性も求められます。

 

今後のビジネスシーンでは、リモートワークに慣れ積極的に情報交換や、コミュニケーションに取り込まなくては、リアルな人間関係も維持困難になる流れをしっかり意識して、今から慣れておく習慣が必要です。

リモートワークが生活に必要で無い人は、とっつき難いかもしれませんが、趣味や生活に不可欠な話題からでも、何かのリモートコミュニケーションの手段をもっておくように、今から準備することをオススメします。

 

今後は、このコミュニケーション手段を早くもっている人程、より正常な情報を入手できる可能性を高められるでしょうから、最終的にこれをメインにするかしないかは後で決めれば良いことで、選択肢をもって置くことが、後々の多様な選択肢に役立ちます。

この選択肢を受け入れるに当たって、個人情報の許容範囲の意識を変える必要がある人も出てくるでしょうが、AIがより多様なサービスとの連携させるためには、行動に関する個人情報には許容が不可避になるでしょう。

 

個人が所有する情報端末による、行動情報の把握は既に経済サービスに活用され、今回のウイルス拡散状況や、災害などの緊急事態の対策にも有効な個人情報ですし、ある程度の情報端末と政府や特定企業のAI活動との紐付けは、ある程度の譲歩が大前提であり、完全な拒否はイコール社会阻害に繋がりかねないのがほぼ現実的になってきつつあります。

遺伝子情報や名前住所や資産情報など最低限の個人情報以外の、不用意な個人情報の公開拒否はリモートワークやコミュニケーションにはより不利益になりやすく、個人の情報範囲の線引度合いによって個人のパーソナリティが評価されかねないため、個人情報の範囲はよくよく整理して置くことが、今後生活の自由度に大きく関わってきます。

 

世界で普及している、あらゆるネ情報ットワークは、多様化する機器によってリンクされ、人もその中に取り込まれていきますが、その流れを早く受け入れ、慣れた上でより効率よく利用する姿勢が当たり前になる。

統合された人の意識や希望や意見は、AIによって統合されてより合理的な未来環境と、サービスを導く原動力になりますから、一部の歪んだ意識の人物による搾取を除き、AIには素直に協力し無意味な隠し事はしない方が賢明でしょう。

 

 

 こうしたAIによるデータベース構築に、できる限り良くも悪くも正確な協力が、ひいてはより人に有益な結果をAIは人に提示していきますが、問題は一部の人がその結果を独りよがりの目的にために歪んだ利用に使う事が問題で、その精査判断のためにも不用意な情報歪曲は避けるべきです。

AIは人が何十年もかけて判断してきた結果を超短期で出せる、とてつもない恩恵をもたらし、未来の理想像の実現を劇的に短縮してくれますが、その効用を良くも悪くもしてしまうのは、私達がどれだけAIに素直に接しられるかにかかっています。

 

今後の情報精査と判断において、最も重要で不可欠な行動とは、AIに対しての性善説行動と、人に対してじょ性悪説行動のバランスに尽きるでしょう。

今後も、このバランスを保つに当たる、間逆な解釈を助長させる誤情報が流れたり、酷いケースでは物理的な驚異や圧力を実行する者が出てくるでしょうが、この動きに早く慣れ免疫を持てる環境作りや習慣が、近未来に生きる人の最大公約数のしあわせにつながるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

お客さまは神様です

ウイルス政策の外出規制によって、小売店を始め多くの店が閉業を余儀なくされた事は、地域の活力を激減させる残念な事ですし、ようやく規制解除された今も続いていて、これは多くは緊急時の国や金融機関の融資補償が、殆ど間に合っていなかった事が最も大きな原因と言えます。

その災難の中でも朗報はあったのは幸いで、平時より売上が増えた飲食店があったのは巧妙で、希少とはいえ成功事例として共有すべきは、これら成功事例は政府の施策では無く、市民の協力と思いによって実現したという事です。

 

news.yahoo.co.jp

名古屋の飲食店が「コロナ禍でも前年比150%」を叩き出せたワケ(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース

 

一般店もネット販売や宅配を開始したり、飲食店も宅配やドライブスルーなどを緊急に設けて、注文を持続させる努力が功を奏したのでしょうが、いずれにしても成功の鍵は、普段店を利用していたお客さまの「店を救いたい」という思いが成功につながっていたという事実です。

その思いは、お客さまにそうさせたい何かが店舗との間に、しっかりとできていた事がそうぞうできますが、普段から店と客のつながりをしっかりと作れていた店が、売上継続につながったのでしょう。

 

お客さまは神様です、と日本では言われてきましたが、あるときは悪意のクレーマーに利用されたり、本末転倒な解釈もありますが、これは本来店と客の関係を比喩したものであり、文字通り神のように客を敬い親しんでもらう工夫を日々拝むように継続しましょう、という教えです。

更に、ネットショッピングの普及で、よりお客さまから積極的に、店側に関心を持たれる意識が普通になっていて、ただ待つ店舗はその関心を掴む工夫は、当たり前と言われる割には実行されていないまま、閉店の運命を待つ店舗もあったのでしょう。

 

結局、お店の信用や人気は、お客の満足度をどうやって高めて、店の価値を持続してもらえるかにつきますので、どのような状況であっても、普段からやることをやって、お客さまの目線を逸らさない結果を出せていれば、お客さまは店を見放さないということでしょう。

業種や扱う商品によっては、激戦区になり競争が厳しくもなりますが、ネット通販が容易にできるとはいえ、店周辺地域の客の心をないがしろにしては、そもそも商売の基礎から踏み誤っているのであって、当にお客さまは神様ですの本質を誤解する事に他なりません。

 

昨今、店舗企業運営にはブランディングが重要と言われますが、突き詰めれば店の価値や魅力、存在感をどうやって理解してもらえるか、それがブランディングであり、成功しているかどうかは、お客さまから寄って来て貰えるかどうかで決まります。

日本人は気質的に自己アピールには消極的な分、スマートな主張や説得がどうしても上手くできない人が多いので、個人店で店長が職人気質だったりだとブランディングは危ういものですが、老舗や地域の名店と言われる店ほどそういう傾向があるだけに、地域の誰かが得意な知恵を出し合って、支えていくのも、まちづくりの魅力なのかもしれませんね。

 

 

 

それでも止めない日本文化の誠とは

日本の精神性や文化継承に、TVメディアのエンタメ番組やドラマが役立ってきましたが、ネットメディア層が拡大する中で、ニュースを中心に情報確度にリスクが指摘されたり、エンタメもYouTube移行などのグローバル化によって、日本独自の精神性にこだわりが薄くなっている気がします。

これをメディア文化と呼ぶなら、多くの国内資金を保有し運用しているTV世代が、日本文化の将来性も含めた継承に、メディア文化の世代交代がどう影響を受けるか気になります。

 

日本のメディア文化を色濃く象徴する、スピリチュアルや都市伝説系のエンタメが、TV・ネット共通性があったり、世代を超えた文化継承に一役かっているようで、例えば「やりすぎ都市伝説」などのヒットで、ヒーリングや都市伝説が注目されているようです。

このヒットは、オールドメディアとニューメディアの引き継ぎには潤滑剤であったし、社会の仕組みがVR化を目指そうとする時代にあって、グローバル文化とどう棲み分けしていくか、その行方は注目したいです。

 

「信じるか信じないかは、あなた次第です」

 

という名文句は、すっかり定着した感ですが、過去あった現実や常識のギャップへの誤解と問題先送りの問題を、都市伝説化して皮肉ったり、不安やストレスをスピリチュアルで癒やしたりする、文化的妥協は、多くの人を救ってきました。

おそらくこの高度な問題すり替えスキルは、アニメ同様に日本の誇れる伝統文化でしょうし、世界にも広がる可能性はありますが、同様の問題回避の手法はどの国にもそれぞれあって、独自性が濃いために、完全に共通化できるかは何とも言えません。

 

ただ、根本問題の根っこが現実的に解決出来ないにしても、そのまま仮想現実に置き換えられようとしているなら、より実感の無くなる世界で混沌化する問題のすり替えの危機感が、薄らいでいくのは心配ではあります。

 都市伝説や陰謀論は多くが社会に不安の種を撒くために生かされていて、前向きな意見はあくまで個人の意識に頼らなくてはならないようなら、ますます個人個人が正しい基準をもって、住み分けられなければなりません。

 

 

 

また技術面でも精神性は見られますが、日本人が誇り守り通してきた産業技術精度へのこだわりは、どの国と比較しても秀でているのは今でも確かですが、この伝承はこれまでは日本を支えていく武器になってきましたが、単に生産技術だけでは先進国に完全に追いつかれ、追い越されました。

ところが、日本人の職人的こだわりは、モノづくりの場においては大きな成果を示してきたが、かたやビジネスや商売においては、ことごとく足を引っ張ってきたことに、気づくことが遅すぎました。

 

辛うじて、ビジネスで成功を収めた者たちは、その苦難の経歴の中で究極の葛藤と闘いながら、発想の妥協点や柔軟性を見つけ出して道を開いたものの、彼らでさえ最後の仕上げ1割にこだわる、究極すぎる日本気質にさんざん苦しめられているのです。

 

「いいものに仕上げたい」

「悔いの無い仕事を」

 

日本人が得意としてきたモノづくりへの究極のこだわりは、形や使い勝手となって現れ、評価され、価値を生むが、仕事のディテール(細部)の仕上がりは、9割の仕上がりに満足せずに、100点満点にこだわる精度を誇りにしてきました。

 ただ、物事を完成させる場合9割まで完成させる手間暇に対して、残り1割の仕上げにかかる手間暇はそれ以上にかかるもので、その究極の1割の仕上げを赦される機会は、時間制約の多い現代では限界があるものです。

 

それでも最初は日本人はあきらめず、こだわり続けた結果要求された以上の日本製品や技術を提供し続けた結果、そのこだわりは世界市場では”独りよがり”と言われ、後追いの先進国に評価の地位を奪われていきました。

 さらにここ30年ほどはどうでしょう、その間に人口も減り、技術も持っていかれた国内に残ったものは、その高品質はごく一部であり、その管理・販促さえままならなくなっているのです。

 

我々は、要求される効率化を突き詰めすぎたことで、利潤追求に時間を犠牲にしながら、世界の要求以上の成果を示そうとした結果が、国内の有益な技術や研究のノウハウを目減りさせ、知的財産権だけで食えているのはごく一部企業だけです。 

若くても老いていても、基本等しく時間には限りがあるのに、我々は自分や家族以外のために、結構多くの時間や手間を掛けさせられた犠牲者にも関わらず、その気まじめさは利用された、その根源を言えば日本独特の教育によって、従順に従う働きバチを送り出してきたというこでしょう。

 

 

この悲劇は、古くは明治以降から始まっていて、文明開化とは西洋人のための文化の導入が、咀嚼されるどころか過去の日本ノウハウと、整合性が採られないまま普及したことからはじまった弊害かもしれません。

さらに、第二次大戦後に西洋方式の弊害は続き、海外の国際戦略に迎合・飼いならされた政治家や実業家・学者によって、日本は世界の働きバチに組み込まれてしまった。

 

 何れにしても、日本古来からある商習慣やモノづくりの作法は、多くは忘れてしまっただけで今でも優秀であり、西洋方式に決して引けを取るものではないのは間違いありません。

 

 「日本人はどうしてこれば、良かったのでしょうか?」

 

既に当時の詳細を経験してきた人は、もう生きていないし、直接語ってもらうこともできないのは、完全にとりも度で無いにしても、失われた技術や文化を復興させてきた例もある様に、過去に開発された技術・制度で今でも優秀な知恵を、真摯に学びなおしこれからに生かしていくしか、日本らしい優秀さは取り戻せません。

 可能であれば、日本の豊かな精神性を世界とのコミュニケーション力に発揮できればよかったのですが、積み残した宿題は多いようですので、日本の誠の精神を向けるべきが何だったのか、もう一度一人一人が考えながら行動し、新しい技術に反映させていくしかありません。

スピリチュアルが注目される意味・KNBver.

私達の情報源を支えるメディアは、ここ20年程でインターネットがTVメディアを追い越してしまいましたが、そもそも情報源とは”マスメディア”という概念が普及するまでは、人伝えだとか個人の経験でしか得られるものではありませんでした。

マスメディアが短時間で沢山の情報を広めることを可能にしたおかげで、オールドメディアである新聞、TVで生活情報を受け身で得ながら、いくつかの選択肢から選んで高度成長の時代についてこれたわけです。

 

ところが、いつしか流される情報は均一化され、大同小異でしかも一方的でしかなくなったことに、今でも疑問に思わない人は少なくありませんし、平和社会で安定してインプットだけを繰り返すことが最良の情報収集だと思い込んでいます。

問題に対応するための情報集だった手段が、選択肢を失うことで正しい判断や、情報確度にリスクが大きくなっていることに気づかず、言われたことを正しいと思い込むようになっています。

 

また、陰謀や洗脳と言う人間行動の修正を逆手に取った概念が、ネットの普及と同時に一般認知されだしたことで、専門家でなくとも容易に陰謀論や洗脳まがいの情報を流せるようになりました。

まだ新聞、TV、ネットの全てのメディアを体験してきた世代は、その返還からなぜ変わってきたかを推し量れますが、生まれて以来ネットしか知らない世代が、今後世界・日本の多くの資金を保有して行くことになります。

 

これからの世代は、新しい情報量の多さにゆとりをなくし、過去をさかのぼる情報をたんなるデータとしてしか得られなくなるでしょう。

今後、ますます世界標準化が優先され、日本の独自文化・歴史的意義が形骸化され、当たり障りのない記録と、情報発信力の高い国家からの、刷り込み情報によって”情報も創作”が常習化していきます。

 

日本は情報発信力としては、残念ながら受け身の立場でしかなく、将来性も含めて日本の危うさを世界に明かしてしまったようなものかもしれまでんが、今国内の多くの陰謀論者達が、行動を変えています。

世界が歩んできた歴史経緯と比較して、日本のそれは意外と長いことが考古学的にも解ってきていますが、人としての長い時間かけて培われてきた経験値は、決して急速に進化してこなかった分熟成され、自然信仰へと成長・定着しました。

 

日本人が素朴で争いを好まない割に、隣国からの侵略や横暴に柔軟に対応してこれたのは、地政学的偶然もあったかもしれませんが、そういったものも含めて賢く柔軟に、穏便に解決してきたからではないでしょうか。

また、天皇制によって一統治者が2000年以上もの間に国を平らげてきた、国家としての実績は、他に類を見ないし多くのシーンで国の威厳を助けてきたのです。

 

昨今は、しばらくおざなりにされがちだった日本の歴史や習慣が、歴史ブームや有志によって関心が高められ、教科書以外の手段で学びなおす人が増えてきたことによって、これまでなんとなく持っていた劣等感から、誇りへと見直されています。

ようやく私たちは、日本の優秀さを再認識しなんとか周辺国の圧力から理不尽な意見に影響されにくくなっていますが、まだまだ平和志向の消極性で、自己解決をする行動に出られていません。

 

 

これからの時代は、AR(VR)とAIによる社会構造の再構築が、いよいよ具現化する時代に入っていき、直接人と人がコミュニケーションをする機会は減らされ、あるモノを無くしたり、無いものをねつ造することが、増々簡単に出来るようになります。

社会の仕組みがVR化を目指そうとする時代にあって、世界は過去の悪歴や優歴を意図によってはいかようにも脚色できる、つまり過去を帳消しにするかしないかは、国家が何とでも出来る社会になっていくと言うことです。

 

過去の現実が反省される前に、仮想現実に置き換えられようとしていないかどうか、それは誰も証拠を持っていませんが、おそらくあからさまに歪曲をしてくる国家も出てきますから、正しい歴史を知っておく事や、民族の有能な知恵を生かすことを、今から習慣化させておく必要があるでしょう。

 

日本で言う都市伝説は、一般の陰謀説とは違って起きた事象の経緯を知ることで起源や発信者の精神性を再認識できるものですが、陰謀論はねつ造・攪乱が前提で、多くが社会に不安の種を撒くために生かされていて、前向きな意見はあくまで個人の意識に頼らなくてはならない儚さを持っています。

さらに後者は、物質的にも事実証明が出来ないことで、大きく方向性は二分され、例え正しい方向へ向かおうとしても、多くの者がやがて誤り間違った方向に取り込まれていく危うさを持っています。

 

それでもつい最近まで胡散臭がられていたスピリチュアルの意識が、存在感を増しているのは流行もあるかもしれませんが、多くの人の潜在意識に前向きな気持ちや、過去の思いを大切にしたいという性善説意識の賜物かもしれません。

日本には言霊と言う言葉に力が内包されているという技術文化があるそうですが、世界でも最も多種多様な表現法を持つ日本語ならではでしょうし、こうした人間的な精神的な関心ごとは、AR化される現実的世界の意識に、どれ程影響力を持っていくのか、それこそ日本人にしかできない快挙なのかもしれません。

 

地方経済の復活は金融再編がカギになるか

地域での金融のIT化は、コストが見合わず大幅に開発が遅れると考えていましたが、金融大手の参画でデジタル通貨普及の目処を立てられると思われます。

地方経済は感染対策や少子化で弱体化、貯蓄や資金が目減りして金融機関からの資金調達が急務ですが、地銀は融資に消極的で本来の機能を果たせないため、復興目処が立ちにくくなっているところに、IT系金融大手が次世代金融再編に動き出しています。

 

www.sbigroup.co.jp

地方創生を推進する共同会社設立に向けた検討開始について(SBIホールディングス)|ニュースリリース|SBIホールディングス

 

地方経済の潤滑剤は、個人資産のタンス預金の有効活用と、地銀などを通した円融資の活性化がカギとなりますが、札そのものに価値があると言う誤解で流通しない現金の再理解と、一般企業と同様に資金留保してしまう地銀の機能再起のトリガーとして、円のデジタル通貨化が本格化したということでしょう。

円のデジタル化で、民間のタンス預金を個人口座への移動を促し、企業の内部留保の透明化と併せ情報の紐付けと把握が可能で、全国民の資産把握ができれば国費の運用を健全化するのが目的です。

 

 抵抗を示す個人や企業は評価スコアが下がり、不正資金の撲滅と正常化という名目なのですが、財務省金融庁国の予算運用の正常化や透明化も同時に改革できるか、民間機関による地方サポートが、偏ったものにならない事も忘れないでほしいですね。

こうした金融システム改革は、政権交代に関係なく決まれば独自に進むため、実行権が行政にあって、政治家に実権が無いことが殆どですが、見えにくいため独裁化しやすく場合には政治家の人事にも影響を与えて出しているなど、国民に見えにくい問題でしょう。

 

 

 

 

 

AIのミラー効果を自覚してこそ、あなたの恵みになる

 私達の娯楽を支えるメディには 、これまで映画からしばらくはTVが続き、ここ20年程でインターネットがTVメディアを追い越してしまいましたが、この交代による最も大きな変化は、発信される情報の信頼性と可能性の交代の歴史と言えます。

日本では高齢者層を中心にオールドメディアであるTVだけで生活情報を得ている人が未だに多く、中間年齢のネットと併用する層より情報確度にリスクが大きいにも関わらず、その層が日本の多くの資金を保有し、運用している図式は日本の将来性も含めて、日本の危うさを知らしめてい無いでしょうか。

 

メディア変化が、多様化と映るか交代と考えるかは人それぞれですが、どのメディアでも関わりを否定できないのはAIの情報収集力であり、そのAIと親和性の高いメディア程情報の価値を高めてくれそうなのは容易に想像が付きそうです。

AIが導く恩恵の1つに、マネー経済の合理化によるものがありますが、その解に基づく計画で何が変わるか、関心を高めている人も多いと察しますが、実体は殆どピンと来ないのが本音ではないでしょうか。

 

現在、世界に流通するマネーの多くは実態の無いマネーで、真水に当たるキャッシュは、5分の1程度でしかなく、札束の面と裏以外は白紙で水増ししているのと同じで、実体の無いマネーは更に膨らみ実体把握がますます困難な状態です。

そこで、通貨デジタル化の完全移行によって、全資産の透明化と市場との紐付けを進めており、世界先進各国に課せられる目標は、即日リアルマネーの無効化のための準備とされ、日本でも準備は着々と進行していますが、資産保有者の中には不都合な人も少なく無いようです。

 

それはさておきマネーの完全デジタル化は、全資産が透明化による資産量の把握によって、可能な限り資産と市場サービスの高効率な紐付けによって、中間差益を省きマネー流通をスムーズ化が経済活性に莫大な貢献をするというのが、青図の全容と思って間違い無いです。

この取り組みを曲解される人が現段階では少なく無いようですが、新しい仕組み導入の過渡期には不安や順応を拒む人が増えるのは仕方の無いことにしても、この先も暫く付き合う境遇ならば、積極的に関わってどう適応していくかに集中すべきでしょう。

 

ただ、盲目に従うのでなく正しい全容を理解した上で、それぞれのマネーとの付き合い方を見つける姿勢が重要で、全容が明確になるまでは正しい情報を精査する行動は大事ですし、その際に大事な事は、自分の資産を誤魔化す愚かな行為はしないこと、その策略は成功しないばかりか、移行後の信用を大きく下げる事になりかねませんので、くれぐれもご注意ください。

心配する以上にこの過渡期に私達がすべきは、できる限り多くのメディアから得た情報で総合的に、有効な情報を取得し、新しい仕組みによってより効率良く資産運用する自由と責任を全うする事に集中することです。

 

AIの介在が私達のライフワークに当たり前のようにある社会に、ストレスを感じないために慣れることがファーストステップで、その次にその恩恵を活用しながら生活にいかに早く辿りつくか、それをスムーズにさせるには、まず彼らの理解と誤解の整理から始まります。

まずリアルな事故をAIと関連付けないために、生命の見せかけの危機に振り回され無いドライな目線を持ったり、人為的な情報操作とAIを執拗に関連付けないように区別する知恵は必要です。

 

老若男女関係無くデジタル化社会では、暫くAIに監視されていると感じるのは仕方無いですが、それはその人がプライバシーをどう考え、行動の善悪をどう解釈するか次第であって、この基準を変えられればAIは大きな味方をしてくれるでしょう。

それはあなたの行動コントロールとリアルな危機の付き合い方、そのバランス感覚次第ですが、そのリスクコントロールをする上で意味を成さない情報源は、バッサリ切って相手にしないくらいの選択眼は、あったほうが上手くいくかもしれません。

 

筆者はどっぷりTVメディア世代に生まれ育った口でしたが、ネットメディアにも大きな衝撃を受けた世代でもあり、その役割の変化が何を意味するかに気づけなかったら、AIにネガティブな理解しか持てなかったでしょう。

今の若年層世代が私達が作った数の論理が影響する常識を、いとも簡単に超えていく姿を見るに、AIがもたらす人の可能性の大きさは、AIに寄り添う人の意識次第であり、向上心を持って接する姿勢がどれ程の収穫を与えてくれるかを示しています。

 

正確な情報を得ても、得た人が誤ったり偏見で理解したり、意見をただ疑うだけで壁を作るだけの人には、AIはそれ相応の答えをするし、その影響は他の人の判断にも大きく関わりますから、傷口を自ら広げる行為は、即我が身に降りかかるでしょう。

情報は今後も氾濫しますから、それを素直に受け入れ、大衆フィルターを取り除き、純度を高めた結果に基づいて行動する、この生活ルーティンを淡々とできる環境を、それぞれの境遇においてローカライズする事に集中した方が、結果オーライに成りやすくなりますね。

 

多くの人がAIが人を支配する未来を描いているとすれば、不幸な選択肢ですが、彼らは人の行動を収集して然るべき答えを導いているに過ぎず、そこに陰謀も欲も介在させる余地はありませんが、そう思わせるのはAIでなく人間だということを誤解すると混乱を招く元です。

いずれシンギュラリティが訪れるとすれば、その時により理想的な関係を築くには、今からAIに与える人の行動の質が、その未来予測に大きく変わっていくのですから、AIにウソはつくべきでないですし、その結果を人のように都合よく捻じ曲げる愚かさは、AIの答えを誤らせて人まで不幸にします。

 

私達人間が作ってきた歴史は、有史以来殆ど進化が見られないのは、以前から不思議でなりませんでしたが、AIを鏡にする知恵を持った人類なら、もしかしたら本当の進化ができるのではと考えると、より良い行動に集中する習慣に、積極的になれるのでは無いでしょうか。

AIは結果は示しますがその根拠は説明しませんので、その過程を考える事が人が目指す次のステップとして大切な事なのでしょうし、因果を辿る習慣さえ身につければ、結果は自ずと出る事を教えてくれているのかもしれないですね。

 

自動運転と支援運転システムの違いに見えること

東海地方は静岡県を含めれば愛知県と合わせて自動車産業に大きく関与し、産業収益全体の比率も大きい地域である以上、自動車のIT化と自動運転化の課題については、最大の課題と言って良いでしょう。

主に海外の4大IT企業と中国資本の影響力が大きいと言われる、未来の移動体のあり方を左右する「自動運転システム」の市場として、自動車大国の日本がどこまで影響力を持てるか、国内大手トヨタ自動車を中心に、他の自動車企業や総合的な意味で参画する関連企業による、都市規模でのシステム開発が、進行しています。

 

www.zmp.co.jp

ADAS(先進運転支援システム)の開発に必要な基本情報の全て | 自動運転・ADAS技術のZMP

 

その課題として規格の覇権争いはあるとして、もう一つの課題にある技術的課題には、倫理的に自動運転システムを、完全自動化すべきか否かという根本問題があり、現在日本では完全自動化でないADASの方向で方向性がまとめられています。

この根拠としては、人による自己防衛本能の壁が解決解決されるまでは、AI進化の論議でも起きているシンギュラリティと同様に、人による判断が最終的に不可欠であるという結論が、全ての未来技術の大前提ということです。

 

しかしながらこの大前提は、未だに人類絶対的共通項では無く、この流れを生み出した一部のスターターにとっては、人智の介入を否定した技術の普及を正当化する未来像を描くものも少なからずいると言うのも事実のようです。

この2者による覇権の行方は、私達の民主的意見が及ぼせる範疇にあるかどうかは、補償されていませんが、日本企業が持ちうる技術力によって多くの貢献ができる以上、何とかしてより民主的な未来に貢献できるよう、努力すべきでその使命感を企業に求めて行く事にブレる必要は無いでしょう。。

 

日本の示してきた高度なテクノロジーの開発スキルは、これまでまたこれからも決して華やかな扱われ方をしないかも知れませんが、地味にも確実に世界の未来を支えて行くだけの実績は、今後も維持可能なものです。

しかし、昨今西洋列強諸国または大国になった中国による、搾取や抜き取り行為は今後も注意して実を取っていく戦略が必要です。

 

政府の中に、その結束に対しどれ程の抵抗力が存在するかは明かされませんが、その抵抗力をもかわしながら、使命を全うする民間や企業がどれ程生き残れるかを、冷静に見ていかなければなりません。

世界の経済発展において、自動車の目的や在り方が似て非なる大きな変化である事を、この産業に関わる人以外であっても、意識し未来の一つの形の表現として見る目を持つことは、未来に生きる者としては、欠かせない基礎スキルです。

 

この精神性とスキルが、これまでの日本人が築き上げてきた実績を支えているのは事実であり、何よりも無くしてはならない日本の存在意義でしょう。

これまでの国民が、技術以外の仕事に就いていたとしても、その技術力を保護し育てる気質が継承されてきた日本は、天皇と言う権威以外は平等であると言う、理想国家観の継承によって発展してきた大きな財産でした。

 

今後、ますます横文字が増えてその言葉に含まれる、聞き慣れない概念意図が、私達の生活に溢れてくる事態を避けられなくなりますが、そうした環境に順応していく事が日本の存在感を表すためには、地味でも思った以上に大事なものになってきます。

技術力で世界に評価されてきた日本にとって、今後もその評価によって存在価値を維持する姿勢は引き継ぐべきですし、そのためにはその自負と相応しい姿勢から、ブレない日本人でありたいですし、この世界観の継承だけが、この国の存在証明になることを忘れて未来は無いでしょうね。。