くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

女性は3歩下がって歩け文化の反動

日本の人工の半分以上は女性である事実を、もう何十年も前に知っていながらも、その優位性を活用できていなかった今にあって、多くの成功例を持つ他国と大きく経済発展の面で遅れをとってしまったのは残念な事実です。 

 その事実とは、以下の記事の通り企業に入社した女性社員が陥るモチベーションの低下ではっきりとしてしまいましたが、このごにおいてもこうした統計が偏りや信憑性が無いなどの声が未だ起こるのは、このささやかながらの統計が誰もが実感している社会の空気のほんの一例でしかないことを認められないのかもしれません。

 

president.jp

なぜ女性は入社1年で昇進する気が失せるのか | PRESIDENT WOMAN | “女性リーダーをつくる”

 

 多くの女性は言うまでもなく、男性の認識においても実質的な男女雇用均等法の効果の不備には憤りを感じている段階だと普通に感じられる中で、本来経済効果を最大限追求してしかるべき国内企業では、男性社員を当たり前のように酷使し、一方で配慮と言いながら女性社員活用を拒む不合理に明け暮れるのは理解に苦しみます。

大手企業の偏った成長戦略が仇になる一方で,ITインフラの普及で、振興企業の台頭が起き、旧体制企業よりも男女均等の職能リソースを有効に活用する動きが一般化してきたことで、不合理な企業習慣は改善されるようにはなってきました。

 

しかし、いまだ戦後から急成長した現企業の作り上げた社会慣習は、世代交代を待つしか大幅な改善ができないのでしょうか。

表題の女は3歩下がって歩くと比喩されてきた男女格差は、女性の待遇に主眼を置かれ使われてきましたが、実際はそれほどに単純でもなく、多方面にその原因を求めて解決すべき過大なのかもしれません。

 

例えば、教育の段階から初期には儒教が導入され、目上には配慮をする姿勢を強調された時期に受けた教育が、縦社会の骨組みを強化しましたし、子供は女が育てる適正を強調することで、男は競争本能を満たすべく軍隊的な統制によってコントロールしやすい競争意識が植え付けられています。

筆者も含め一見当たり前のようにその正当性を疑いもせず、競争に勝つことが男の本懐とばかりに、とことん本能を利用され、女性が本来担えた筈の人材の空白を埋めさせられた結果、男性人材の疲弊化が甚だしくなっています。

 

男性は疲れ女性は抑圧ばかりが貯まる職業環境が示す効果を反比例させる企業の共通した動きは、どこから起きてなぜに標準化したかに問題の根本があって、それを中心に改善をしなければ効果の方向はバラバラになってしまいます。

今後、新興企業の合理的な人材活用の動きが、旧体制の慣習にどれほど食い込んで正常化していくかは今持ってわかりませんが、できる人ができる所からできる時期に少しづつ変えていく意識は持って行動に表すのは、決して諦めてはならない未来の糧になるのではないでしょうか。

 

 

経済発展の軸になる、主力発電見直しのチャンス到来?

新潟の假屋崎原発の再稼働の協議で、一部廃炉の方向性も示唆されるように、これまでのような原発による発電効率の主張は時期によってはトーンダウンされるケースが出てきたことは、発電事業の利害が複雑になってきた傾向なのかもしれません。

これまでも何度か国内の主力発電のあり方について、可能性を考えてきた中で以下のようなアメリカの意見が、出されたのを目にしましたので、改めて国内発電のあり方に触れてみます。 

 

wired.jp

すべての電力を再生可能エネルギーで供給する鍵は「地中」にあり:地熱発電の展望と課題|WIRED.jp

 

 世界でも最も経済的合理性を徹底する国であり、日本の指針に大きな影響を持つアメリカの発電方針の模索についての記事ですが、日本が実質原発一択の空気の中で、この大国は柔軟な経済的合理性があれば、躊躇なく実行できる点で、日本政府の行動がどれほど偏っているかを感じずにはおれません。

以前にも書きましたし、多くの日本人が薄々お感じの通り、日本での地熱発電の開発は、最も経済合理性のある発電手段として最も発展しても良いはずの選択肢でしょう。

 

この手法は、ある時期かなり注目されましたが、その当時施設建設の候補に選定された地域がたまたま温泉観光を主体にし、設備建設によって温泉の室が低下すると言う研究結果によって地元の同意を得られなかったとして、政府による地熱発電の開発をやめてしまった経緯があります。

ただ、この一連の政府の作業は、明らかに中途半端で他地域の調査や技術的問題の改善について他の道を探ろうとせず、地域の資源活用と国民の電力メリットの可能性を狭めてしまったままであったわけです。

 

今回アメリカのシンクタンクによって、地熱発電の有用性について発信されたことは、地熱資源においてアメリカより有利である日本で、この動きに乗る良いちゃんであるはずで、地熱制御技術は日本が最も進んでいるはずですし、アメリカでこの技術を更に精進させるメリットや、そのフィードバックで国内でのメイン発電の切り替えにはずみをつけやすいチャンスになっていないでしょうか。

この流れに問題になるのは、本来国内基幹産業保護を目的とした政策や事業体が組み上げている規制や仕組みが、逆に新しい国内事業の障害になり得る現実です。

 

一般的にはこれらの障害は、既得権益やひどい場合は陰謀論者の道具に加担するような有様ですが、問題の核心はそこでは無く、国内行政の縦割りの常習化で仕組みの改革への事務作業が複雑化し、達成までの行程自体がモチベーションを下げていることや、むしろ財務省財政出動の消極性や、活用提案の低レベル化にあるのではないでしょうか。

こうした政府の組織体制が、旧態依然となっている事実に対して、新しい改革や時代に応じた事業再編成をしにくくし、それが転じてますます本来優秀すぎるほどの管理体制だけが強調されていくことが、本末転倒な改善の矛盾に拍車をかけているようです。

 

話は戻しますが、戦後GHQの意志にある程度沿うように作成されたもの日本国憲法の条項の見直し是非問題においても同じですが、アメリカの利害に沿わない経済活動にはたとえ正当な国益が含まれる事業においては忖度する行政者が少なからず発電事業においても存在し、国益の純粋な追求は大幅に遅れた今において、災害時にも安定した電力供給をできるインフラの独自開発は、最優先の国策であってしかるべきで、組織体制の見直しをする上でも、日本に最も適合した発電事業の模索と開発は、同時に問題解決する上でも、良いチャンスになっていないでしょうか。

 

燃える若さとしぼむ若さ、それを見放す某省と大人

登美丘高校といえば、筆者世代には涙がでるほどのイケイケダンスで、ダンス大会を席巻して一大ブームを起こした集団として、記憶される高校生たちですが、ついにというかとうとう他校が王座を奪ったとのこと。

ちょっぴり残念ではありますが、夏を賑わせる高校野球と同じで勝負の世界であり、こうした切磋琢磨が新しいムーブメントを生み出していくのですから、むしろ歓迎すべきことかもしれませんね、今後も大いに盛り上がってほしいです。

 

fundo.jp

登美丘高校を破り、全国高等学校ダンス部選手権で優勝した「同志社香里高校」のダンスが美しい! | FUNDO

 

さて、その一方こうした未成年たちの夢を追うべき大事な期間である夏の今時分は、夢をつかもうにもつかめない子どもたちに撮っては、9月1日が恐怖の日だと知ってショックを受けました。

いじめや大人や社会からの理不尽さや抑圧に耐えられず、多くの学校が迎える夏休み明けの初登校日に、悲しいことに自殺者がピークを迎えるというのですが、これほど若者の自殺傾向が偏っていたとは知りませんでした。

 

確か数年前にはお隣韓国で就職もおぼつかず将来を悲観して漢江へ身を投げる若者がニュースにあった時期がありましたが、この国でも理由は異なるにしろ若い命が消えていく傾向があるのは、残念でなりません。

これをわかっていても、何もしてやれない大人としては無力感を禁じえませんが、災害や多くの苦難を乗り越えて若さゆえのはじけるような勢いを自由に発揮さえできなくなる社会は、よくよく大人が考え意識から反省する必要があります。

 

子どこはどの国でも無力であって、身近な大人たちを模倣して生きるしかない立場であり、ニュースのネタにされやすい性異常者や詐欺・風俗犯罪の利用などの他人による搾取、近親者の暴行やいじめに当該者の目線で気にかけ適切に対処していない現実は、自由社会の偏重であり、都合のいい解釈でしかないのでしょう。

これらの犯罪を減らしていくには、大人一人ひとりが防災と同様に、問題意識を共有していないこともあるでしょうが、いつ何時自分の目の前や生活エリアで対面する現実だと準備できているかどうかなのでしょう。

 

 日本人は良くも悪くも体裁を重視する慣習を持っっていますが、いざ事に当たったときにこの体裁意識が邪魔をする事が往々にしてありますが、平穏で事勿れな状態を基準に行動を取ろうとする傾向は大きく、異常な状態を理解しながらも正常な状態の範疇でしか行動できなくなっている大人が圧倒的に増えている現状がここにでているのでしょう。

常時の対処、つまりあるべき姿や対処方法は、それなりに学識があるのでできいているのに、実際にはその通りにはできないジレンマを抱え、その失敗に後悔はするけれど自分を赦してしまう、それが繰り返さされる以上悲劇は続くでしょう。

 

その一方で、政府は政策で教育福祉への資金投入しないばかりか、緊縮で市民負担を増すことで追い込んでいる悪循環を、ここ30年以上来続けていますので、国内で流れる筈のお金の生産に財務省はい一切対処せず、国民の自助努力のみで経済対策を済ましいる事実を抜きには、根っこからの解決は限界があると考えています。

 若者の自殺者が、単に報道偏重で増えたように見えているだけなら、また問題は変わりますが、たとえ一人でもこれらの犠牲者がいる以上は、たとえ理想でしか無いと言われようと、手を緩めてはならないことであり、日本の未来を大きく左右する究極のミッションなのです。

  

 

 

不安定な世界状況にあって生きる日本正史の意味

私たち住む日本の歴史は国民全員が原則教育で学んでいる通り、世界でも稀に見ない長期の歴史を持った点で、これからも引き継いで然るべき歴史なのは、誰もが否定しないでしょう。

愛国心と言うと、偏った目で見たり、戦争を好む人と決めつける人が国内にも存在することは悲しいことで、素直に生まれ育った国、国籍のある国を愛するのはごく当たり前の感情なのに、それができない風潮の存在はカイゼンすべき問題です。

 

headlines.yahoo.co.jp

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190815-00010006-bfj-soci

 

昨年から百田直樹氏の「日本国紀」のミリオンセラーや、正史である「日本書紀」「古事記」や関連書籍が再注目されたのは、日本にとって改元という年号の節目もあるかもしれませんが、日本の在り方が見直され国民のルーツへの関心が大きかったことを何より示しました。

人にしても国にしても生まれた以上アイデンティティーの確認はだれでも確かめたいものですし、結果愛国心を改めて再確認することに、何の問題あるのかを改めて問いたいと考えました。

 

表題通り、多くの国が不安定な時代にその存続をかけた戦国時代とも言える今において、愛国心の真価を精査する行動は当たり前の行動ですから、その時代を早くから察知し行動に出たアメリカのトランプ大統領は先見の明があったことを証明したわけです。

この未だ手法に納得できない向きには、批判や反感は多いわけですが、民主国家アメリカの総意として認めた上で、日本の行動を決めなくてはならなくなった安倍政権は、多くの歪みを抱えながらも対外的には正気を保っているのは幸いと言わねばならないでしょう。

 

もちろん既存の利害や不利益との兼ね合いで、国民からも多くの不満や実害を生じている事実や、それに乗じた反日本勢の撹乱も高まって、その危うい現状への突破口は見えていません。

 そこで国民がどこまで耐えられるかという経済的な現実と、精神的なモチベーションの持続を保つために、愛国心の過去の功罪と未来の効果について考えたいですが、過去にネガティブな印象を持ち続けたデメリットでしかなかったのではないかという気づきを共有したいわけです。

 

 筆者が愛国心を確認しなおす過程で単純に感じたのは、正史を他国の政府や識者に正誤を正されたり、無効化させられる謂れはないなと言うことで、この他国の……の部分には国内でも”他国の知識思想を疑わない日本人”も残念ながら含まれていて、私たちは正当な国史や習慣さえも、許そうとしない者の存在によって混乱を招いています。

お隣の中国や韓国では、他国他民族は同じ権利を与えないばかりか都合によっては命さえ脅かすのは普通の習慣でしたが、日本では敵でない限り受け入れ権利も与えられていました。

 

もちろんその権利が十分でないのは事実ですが、他国の常識よりははるかに緩いものでありましたが、その権利を拡大解釈し教育や国政にまで干渉するまでになった背景には、日本人の甘さがあったのかもしれませんが、その結果日本の愛国心は地に落ちる今を迎えたのではないでしょうか。筆者は愛国心を持つべきだとか、滔々と啓もうする気はありません。

ただ、その国に生まれたものはもちろん、育った人々が普通に持つだろう素直な前向きな感情を、国内外から批判指摘されるなど全くもって納得がいかないだけで、この感情はどの国の人でも同じであるはずです。

 

この感情は本来、歴史的にも社会的にも、経済的にも恩恵をもたらす基礎になる大切な感情であり、過去の罪によって差し引かれるような量的な財産ではなく、人として当たり前のポジティブシンキングであって、これを阻害する者は民主社会を否定する個人であっても、愛国心が不都合な団体であっても悪意があるとしか思えないのです。

日本国内外で人として普通の感情を阻害しながらも、権利を得ている者や同等の発言力を持つ者が、私たちの直ぐ身近にいるばかりか、自己の主張は押し通そうとしている矛盾が常習化される今に、愛国心は最も簡単で有効な精神安定剤なのかなと思いました。

 

 

 

日本人の良き慣習が巻き取られる日

勝ち組負け組という言葉が、つい最近までメディアでTV新聞、ネットにも頻出した時期も、ようやく最近すたりつつある流行のように下火になってきた気がします。

この言葉が示したのは、良く考えれば競争意識の高揚、悪く言えば差別意識の短絡化だと言えるかもしれませんが、その多用された言葉の中で経験則で私達に刷り込まれた意識がいくつか問題になります。

 

gendai.ismedia.jp

子育てがつらい国、日本。皆を苦しめるその「空気」の正体(中川 まろみ) | FRaU

 

核家族化が普通になって、結婚の目的が必ずしも子供を産み育てることでなかったり、日本国内だけでも家族の価値観が多様化された結果、大人の子どもへの目線に共通項が減りつつあって、子を持つ大人とそうでない大人で見方がすれ違いがちです。

子どもを持てば、価値観の多くは子に向けられるのは当たり前ですが、一方で持たない人は様々なことに価値観を持っていますので、知識的に「子どもは社会でも共通の宝」だと理解できても、行動に違いが出てしまう光景が上の例に出ているようです。

 

勝ち組を意識高く掲げることで、日本人が重視する時間効率の追求は、それへの阻害要因を無条件で疎ましく思ったり、メディア頻出度が高まっただけで善悪を判断する問題意識や、感情を抑えすぎたりリスクを恐れ行動で示さなかったり。

そうした抑圧の一端が、異常なまでの煽りや犯罪行動による自己主張など負の行動として目立つようになったのかもしれませんし、それまでにならなくとも弱者へ当たったり、自分らしい行動がしにくい空気にもつながっているようです。

 

日本人の多くが、平和を愛し相手を尊重し立てる、これほどの人格的な人物像は理想的ではありますが、それを行動できる人は少なくむしろそのプレッシャーから、自分を追い込む悲劇も少なくないようですが、そこから抜け出すにはある程度の覚悟と割り切りが大事です。

ただ、筆者がこの話題で言いたいのは、大人としての寛大さとゆとりをせめて子どもに向けては行動で示してほしいということです。

 

電車でのベビーカー持ち込みの例では、満員電車などよほど物理的余裕の無い場合、手助けしないまでも見守るくらいはできますし、過度な心配や失敗を恐れるにしても、そのまま放置すればむしろ自体は最悪になるだけで、手助けが重複してもそれは共有できる善意として済むことではないでしょうか。

大人は、するしないの選択肢を持ちますが、母親や子どもは選択肢は無いわけですから、その優位性が悪意でもない限り行使するのが大人の役割だと思えるといいですね。

 

大人社会では、往々にして利害が絡んでくると、その利害を最大限利用するために、共益の分断が実施され、孤立した者から順に利害にからめとられやすくなりますが、これは猛獣が獲物を捕獲するときと全く同じで、人の社会でも同様の手法が使われることが多くなっています。

その獲物役の大人は孤立を避けるために思考停止に陥ることもあって、本来すべきことが正しくできなくなることがありますが、大人でさえそうなのに無防備の子どもが餌食になれば、親だけでは防ぎきれるものではないですから、あかの他人の子でさえも自分の将来に係る限り、子どもへの振る舞いは良く考えてしたいものです。

 

日本が戦争を選択した理由

第二次世界大戦終戦を過ぎた今、戦争の意味を考えられたことと思いますが、この日を堺にぱったりと戦争に関する話題が激減するのも事実で、時が経てば経つほど答えを探していかなければなりませんので、改めて日本にとって戦争をした事実と経緯について考えます。

 

どこがが戦争のきっかけをつくったか?

どうして戦争するに至ったか?

 

当時陸軍の独走の動きの中心にいた石原莞爾東条英機の評価は分かれるところであるとしても、一方では連合国となって日本のインフラの弱みにつけ込んで追い詰めた国や、それに乗じて日本占領への情報戦を優位に進めようとした国の工作も加味した立場で、筆者は判断すべきと言う立場です。

 

以下は戦争を反面教師にした経営理念を問う記事ですが、文中参考になった点があり、それをヒントに書きたいと思います。

 

toyokeizai.net

「天才を潰し秀才を重用した」日本型組織の末路 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

上の記事では、次の視点から戦争時の軍や政府・国民の行動を反省材料にしていて、連合国の多くが狩猟民族の系統で、攻めることで国益を確保してきたのに対し、農耕社会だった日本は原則民主的に方向性を決める文化が優先され、争いより話し合いで解決する違いによって、大きな誤解が起きたと見られます。

また、一方では民主化ゆえ、例えば悪天候による被害への責任転嫁が集団の中で大きくなり、人柱や責任者を立てることで解決した経緯は、同時に権力の偏重を起こしタテ社会化へ進んだと考えられます。

 

タテ社会化した弊害はあるにしても、本来のヨコ社会を本望とする私たちが、戦争を完全否定するに至ったのは、極論傾向はあるにしても道理にかなっている様に見えますが、戦争拒否の丸投げは先の例の農耕社会のリスクと同様に、攻められた場合の準備をも放棄する行為でしかありません。

防衛準備の不足を軍国主義化の兆候とうたう意見は現実的でないと気づくべきで、理想の非戦闘国像を御経の様に唱えて済まされたのは、アメリカから防衛を金で買っていた事実を前提にしたもので、その見返りにかつての連合国の不当な要求も受け入れたリスクを忘れてはなりません。

 

 

 ここまでご理解いただけていれば、問題はアメリカによる経済搾取よりも中国ロシア共産国からの思想や教育への圧力など、一見見えない搾取に注目していかなければなりませんが、私たちはその姿なき攻撃を軽く見る傾向が残っています。

初夏に話題にされたあいちトリエンナーレの税金使途の議論においても同様で、本来の意図よりも極論化された憲法解釈により、アンバランスな言論表現の自由への投資が実施された事実を、私達は認めなくてはならないわけです。

 

これらは、国内での周到な教育や民主制を重んじる国民性を独自解釈で偏った方向へ誘導する地道な活動や操作によって、少しづつ日本の主張を弱める点で、武器こそ使わないにしてもれっきとした攻撃であるし、従来の日本には不利益な洗脳が続いていることを示しています。

すでにお気づきの通り、単純に右派左派で思想を判別できる時代ではありませんし、日本に限らずアメリカでも民主主義なる耳障りの良い表現も、全く信用に足るものではなくなっていて、本来自分がどこに属し何を愛して生きているかだけが判断材料になっています。

 

ヨコのつながりを重視し、いさかいを避けたいという日本人の気質を、今すぐ変えることはできるものではありませんし、むしろそのメリットを日本人の武器とするのは前向きな行為です。

もしそうならば、国内外に居る別の思想の人々を説得していくには、私たちはどうするかを考え行動するのに、相手を学び様々な準備をしておかなければ、理解どころか洗脳・入植されて終わりでしょう。

 

戦争を拒んできた理由は、戦争に加担した結果莫大な被害と後悔を胸に刻んだことが根底にあるのと同時に、その傷を精神的にも物理的にも利用されてきたことに慣れてしまった事実を忘れてはなりません。

私たちは前者にのみ重きを置き、後ろ向きの行動こそ民主的で知的な行動だと疑ってきませんでしたが、70年以上もの歳月を費やしこれからもその呪縛を抱え次世代に引き継ぐのは不当な話であり、遅いかもしれませんが今後は、後者の「日本の未来を貪る者」への対抗策を、論じ行動していかなければなりません。

 

あおり側とあおられ側が噛み合わない、その根っこを考える

今回時流に乗っているのか、同じ自動車トラブルでもひき逃げや飲酒事故がほとんど報道されなくなるほど「あおり運転」が幅を利かせ、各TVメディアが不毛な報道合戦を連日繰り返すと、さすがにお隣韓国メディアも比較記事を書くまでになるらしいですね。

今回は、タイムリーなあおり運転になぞらえて、警察報道市民の反応から様々考えてみたいと思います。

 

www.chosunonline.com

あおり運転・暴行…日本はすぐ顔を公開し逮捕、韓国はノロノロ捜査-Chosun online 朝鮮日報

引用記事で取り上げられた事例の加害者も半国際的有名人になったものだと皮肉りたくなるほど、この事例が突出して異常だっただけに、その連日のメイン記事報道扱いによって、また重要な今報道されるべきニュースが、犠牲になっているようです。

メディア以外でもし市民も同等に注目していたのなら、この国内での盛り上がりは、相当の被害者・加害者、そして被害意識を持った人の多さの裏返しなのだと、改めて驚いてしまいました。

 

TVメディア側の行動で気になったのは、ドライブレコーダーの通販番組よろしく人気売れ筋ランキングや商品詳細に言及し多大な時間を費やす念の入れように、開いた口がふさがらず、被害者にならないためには「これしか無い」と言わんばかりのお節介情報にしのぎを削っているようで、本末転倒を禁じえませんでした。

どの局も通販番組に力を入れているので、こうした販促には慣れているとはいえ、思わぬ話題沸騰に宣伝効果を期待しているようにも取れたり、深読みする人ならメーカーとメディアの癒着の方が心配になる人もいるかもしれません。

 

流石にNHKでこれをやったらアウトだと思いますが、民法ではこれが販促モデルの展開として有効ですし、不謹慎とはいえTV視聴率低迷からのV字アップも狙えるかも知れないわけです。

アイドマの法則のように、販促の成功には初動の驚きや不安をどう広げるかが鍵になることは知られていて、大手広告・芸能企業にグループ化したTVメディアの商的動向は気になるところです。

 

話を少し戻すと、韓国など海外でのトラブル解決については詳しくありませんが、筆者もきれいごとを言うつもりもなく、若い時分は結果的に加害者側になったこともありますし、それ以上に被害者体験もしています。

その経験から、現場でしか学べない難しさが数多くあったという事実で、今は映像機器の低価格化。高性能化が進んだせいで、経験則に関係なくリアルなトラブルシーンを見聞きできる時代になりましたが、問題解決には当事者でないとわからないことがたくさんあるということではないかと思っています。

 

まずトラブル発生以前に、そうなる経緯がそれぞれ違うということで、人は一定以上の自己主張ができていないと暴走してしまうもので、普段大人しい人がキレたりその逆がはっせいしたりします。

また事が起きた際に加害者被害者どちらにころがるかはかならずしも一様でなく、明確な判断基準が共有しにくい発生現場で、第三者でさえ難しいジャッジを客観的に運ぶのは困難だったり、感情・利害が絡む当人同士ならなおさらに難しくなるでしょう。

 

その状況において、自己主張を重ねようとすればしただけ合意は遠のくのは誰でも頭では理解できても、今起きている現場での当人の行動は、いざとなるといかに自分が有利にできるかの準備に奔走する姿でしかなくなります。

 

明らかに加害行為が明確でも、相手に白を黒にさせる強要する行為は、ざらにみられますし、被害者の証明は被害者が行うガチでケースバイケースであり、ドラレコの性能の差というより交渉力がモノを言い、同じ事実でも一つとして同じ解決法はないと思っています。

まさに事件はその時に関わるあらゆるものを巻き込んで起こる限り、単にドラレコに映っていれば有利とか、むしろ映っていない部分は、交渉・話術でその場を解決しなければならないわけです。

 

それが難しければ、口をつぐみ即契約保険担当者か警察を呼ぶためにスマホを使った方が無難かもしれませんが、いざ当人同士で解決しようとするなら、試されるのがアドリブ力になってしまいます。

極端な例ではこのスキルの高い人らは、結果を白でも黒でも器用にしていまっているのを体験してしまうと、加害者被害者傍観者どの立場でも、現場の立ち回りの上手下手で勝敗がついてしまいます。

 

結局勝敗で結論するのではなく落とし所ををどこに取るかで行動する、計算力を失敗しながら学んでいくしかないと思いますが、もちろん積極的に絡んでいくというのは論外で、加害者は相手を見て強気に出るので、攻撃的になるのではなく毅然とした姿勢は緩めない、相手の言い分をしっかり聞き分けるはらを決めるのも大事です。

見聞きしたことだけで不安にあおられドラレコを買ってしまったり、事故現場の一部始終を過度に見すぎて被害者意識を増長してしまう前に、例えば警察の初動重視や、高難易度と予想される事案は早期回避する要領の良さを、経験から訓練したり学んだ方が実用的で汎用性は高いのではないという意見もあることをとどめていただければと思います。

 

ドライブは便利になってより気分高揚にもなるおもて面と、故にその責任の重さを忘れがちで人によっては自分の力を過大評価しがちにもなるうら面があるのは、結構忘れがちで、その意識差で簡単に加害者にもなりうるわけです。 

この感情はまる機会は車に限らず現代社会全体にあって、便利さの反面で実力の過信は起きやすくなっていると言うことかもしれないですし、単に自己意識が高いとかの性格以前に男女それぞれに対処のさが良く見られることから、致命的な原因にまで及ばないと解決しないかもしれません。

 

技術向上・合理化で利便性の向上が起こる背景で、企業や消費者にとって利益になるか損失になるかは製品の需要と供給のバランスで決まりますが、精神に起因する損得勘定は製品の様にバランスではなく、個人の状況判断と対応満足度の兼ね合いなので、理性が欠かせません。

かといって普段から少しでも有利に動こうとする人は、本人的には一時的に満足できても、その分不利益が起こると不幸の度合いも大きくなり、自覚がない分感情的になりやすい。

 

一方で、優位を貪らずとも、バランスを重視し理論武装した結果、感情を被り続ければ何時か崩壊し冷静さを欠いて失敗したり、なかなか難しいものです。

人の感情や満足というのは果てがありませんが、事の最後に幸せな人とは、周囲に左右されない価値観の範囲で、自分で満足度をコントロールできる人なのかもしれません。