くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

1個目。原発事業に「こだわる」日本、エネルギー問題「断捨離」の時は来る?

 このブログでは、筆者の私見として原発によるエネルギー利用の提言と関連事業の転換を願ってきた立場ですが、日本政府は未だ基幹事業として海外に売り込みを弱めるに至っていませんが、この方向性には賛否両論あることを承知の上で記事ると、やはり大きなリスクとして地震大国の日本には向かなかったと考えています。

しつこい筆者はそれをも意識せず、2回にわたってこの乗り越えるべき課題について書いていこうと思いまが、今回はその1回目。

 

 さて現状は、原発事業は下記記事のような事例がで出だしているものの、海外でも例えばドイツのように他の発電へ転換後の事業失敗例や、急拡大するビジネス需要に対応できる電力量の確保で原発以外の選択肢を持たないなどの意見が標準とされ、原発施設撤廃の動きは消極的です。

 

www.technologyreview.jp

加速する「原発離れ」、中国がとどめを刺す可能性

 

そもそも米ソ冷戦時代に急速に拡散した、核兵器配備がきっかけでその情報統制の一角として「核の平和利用」をうたった結果の産物であった歴史的事実を、わたしたちは無視してはならないと考えます。

さらにその平和利用のはずの原発は、 チェルノブイリ原発事故など今も記憶に残る大惨事や、日本は原爆の被災国に加え東北大震災で追い討ちをかけられた立場です。

21世紀 核時代 負の遺産

 

その歴史的事実を背負った日本が、核燃料を武器に原発システムの拡散を担っているのは国内は基より海外でも、奇異に取られ日本の信用性に疑問を持たれる要因になっています。

こうした業界に働く人々は想像以上に多く、それに関わる政治家や企業幹部だけに止まらない「核・発電ビジネス」の必要性は、すぐには転換が困難なのは考慮しなければならないにしても、長い目で見て日本に住む多くの人々ににとって優良な収入源では無いように思います。

 

うがった見方をすれば、核による被害を受けたその分を核によって元を取り返そうと躍起になっている現れとも見れる国の行動と、一方で核への精神的な柵によって過剰な平和へのこだわりに走る国民相まって、出口の見えない迷走をこれからもつづけていくのでしょうか?

結局は、グローバル時代に対応するノルマを抱え乗り切るのに必要な電力エネルギーを代替えする手段が現れるまで待つ姿勢を続けていくのでしょうか? 

 

日本人がクリアしなければならないのは、技術的なハードルよりも高い「精神面」に代表される、現れることが無いであろう“確実性”なる幻からの脱脚こそ全てのような気がしてなりません。

この転機が訪れたのちには、技術面では他に類を見ないこの国は、意図も簡単にそのエネルギー問題をクリアできると信じて疑わないのは、筆者だけでは無くもっと多くの方が居と思うのですが……それを証明するためには、まずは一つのハードルを超えることから始めるしかないですが、それが果たして実現できるかどうか、その答えは2回目に出せるかどうか、乞うご期待ください。

 

 

新しいオシゴトから見える「未来の姿」

 

昨年大いに話題になりましたが、「youtuberになるのが夢」と目を輝かせてインタビューに答える子どもたちを見て、時代の変化を感じた方は多いと思いますが、それも通り越した今年も新しい仕事が注目される時代になりそうです。

Youtuberが仕事のイメージを「労働に汗する」から、仕事もコスパを追求する時代に入ったことを指し、「プロ・ゲーマー」や「ドローン・オペレーター」などのITインフラを前提とした新しい仕事が注目される時代に、私たちは仕事の未来について考える必要がありそうです。

 

japanese.engadget.com

愛知県春日井市にドローンの屋内大型練習場がオープン! 2月から技能講習も実施 - Engadget 日本版

 

地元名古屋の衛星都市にもついにといいますか、ようやくドローン・オペレーターの正式な養成施設が誕生しましたが、ドローンによる今ある仕事への応用は、さまざまな業種に広がっていて、特に超絶な担い手不足に悩まされる農林水産業などの一次産業への貢献は大きく、期待も大きいだけに需要が高まっています。

また、増加するベンチャー企業の可能性を広げる場としては基より、多くの既存企業をリンクする場所として、大型展示施設や会議・折衝の場のレンタル事業も増えつつあって、地味ではあってもチャンスを広げる動きは、地方でも盛んになっているのは喜ばしいことです。 

 

www.nikkei.com

愛知県、産業立地計画を改定 スタートアップ誘致 :日本経済新聞

 

 こうして莫大に増える騎乗情報やノウハウは、すでに企業内だけに止めるのではなく、共有部分を拡大して連携によって発展を期待する時代に入り、一部の独自ノウハウ以外は世界とも積極的につながっていくデータシステムへのリンクを加速させています。

www.nagoya-analytics.com

ナゴヤ情報分析データシステム【NIADS】

 

また、こうした個々の動きを効率よく加速させるための、フォーラムが各地で毎日のように開かれ、社外の会議場として活用されるようになりました。

 

aichi2018.01booster.com

あいちアクセラレーター 世界のものづくりにイノベーションを起こす

 

 皆さんの働く職場は、こうした変化に積極的に参加するしょくばでしょうか? これらの動きとは直接関わらない職業もあるので、あまり参考にならない方もいらしゃるかもしれませんが、そうした方も含めて頭の隅にとどめていただければと思いますが、筆者の世代前後の人から見たら違和感さえ覚える「オシゴトの多様性」が、起こす仕事の可能性を考えると、働く意味ともっとたくさんの仕事の方向性を見直してもいい時代なのかもしれません。

今、注目される生活スタイルに「ニート」のイメージが変わるほど注目されているのは、SNSで交渉しながら「タダで奢ってもらう」ことで家なしカネなしでも生活していく人がいたり、敢えて家を捨てバックパックに収まる家財道具だけで、ネットで仕事受注し柔軟に宿泊施設・野宿で寝泊まりして生計を立て、独身者ならではのメリットを生かす人も注目されました。

 

もちろんこれから働く子どもたちは従来通り家に住み、ITの利便性を最大限活用した新しい「スマート・ワーキング」に進む選択がありますし、大人の人でもある程度の仕事経験を生かした「ノマド・ワーキング」も視野に入る時代に、日本は入っていますからハロワ(ハローワーク)で、不十分な職場情報を宛に就活相談する時代でもないのかもしれません。

また、投資・投機による直接お金の運用を通して金融資産を増やす「マネー・ワーキング」とも言える仕事も、ようやくふつうの仕事として認知されてきましたが、これらのどの手段を通してもようのでしょうが、子どもはもちろん大人であっても、少しでも早いうちにこれらのノウハウを学んで経験するのは、とても有意義で生活の可能性を広げる意味において、未来の仕事を体験する入り口になるでしょう。

 

中国製電気自動車の進化と、ガチな日本製造業のコスパ競争

東海地方の限らず国内の主産業は製造業で、海外輸出入の差益は馬鹿にならないために、昨今の貿易摩擦問題が今年の景気に影響を与えていますが、お隣の中国市場は日本にとってお得意様から競争相手に変わりつつあります。

中国市場が今後日本の企業にとって、業種によってお得意様になるのかならないのかを見極めていかなければならない相手となりつつある今、今回は自動車産業の記事を通して今後の見通しを考えます。

 

昭和後期から平成前期頃まで、日本の製品は価格にかかわらず評価され売れた時代で、この時代を経たおかげで「ジャパンブランド」は世界市場で高品質の代名詞として名を馳せました。

そして平成後期頃から現在に至るまでの時代は、高性能高コストは通用しなくなってきて、コストの低い製品を生み出すために人件費を下げるために、新興国に工場を移転しコスパの高い製品を市場に送り出してきました。

 

その立役者となったのがアジア新興国で、その中で中国製のクオリティは群を抜き、コスパもまだまだ高い上に、他国とは人口規模も大きく、なにより政府一党の集中的政策により、今アメリカが騒ぎ出している通り、知財の合法的な奪取に成功したことで、かつての日本よりしたたかに技術力向上を果たしてきました。

先日のNHKスペシャルで放送された通り、中国IT技術力の列強化はすでにアメリカのそれを超えつつある事実を伝え、トランプ米大統領が中国をあそこまで攻め立てる理由も納得できるほどで、自動車においても下記のような製品を実売できるようにまでなっているようです。

 

web.smartnews.com

これは安い! 中国の車メーカーが約94万円の電気自動車を発売 / デザインもスペックも実用的で言うことなし!! (ロケットニュース24)

 

冒頭の説明なしでこの記事をご覧になっていたら「中国やるじゃん」程度の印象しか得なかったと思いますが、中国がここまで進化したことで、米中両国に挟まれた日本は、特に企業面で従来の仕組みを見直さなければならなくなりそうです。

特に貿易・製造関連の大手を中心に末端の零細まで、既存の国内企業は中国との関係を見直し歩み寄る必要が出てきたことで、流通システムや交渉様式など西洋式の経済ルールが通用しなくなることを意味します。

 

今、海外取引に関わる日本企業では、大手がようやく英語圏の言語やルールに馴染んできたタイミングで、言語は無論中国独自のルールをも考慮した体制を作らなければなりません。

この点、零細企業でもベンチャー企業はむしろ有利かもしれませんが、それ以外は圧倒的に中国側に有利な条件で、かつて失敗した中国との関係を再構築しなければならなくなりつつあるということです。

 

今の段階では、アメリカが脅威と認識し規制を強化している最中ですが、これさえ遅れをとっている状態なので、日本は今まで通りのアメリカの後陣を配する姿勢では、さらに遅れをとることになりかねないだけに、独自に関係構築を急がなければならない時期といえるでしょう。

地元大手トヨタ自動車を例に取れば、かつて中国市場で失敗して実質的な市場撤退をしたままでしたが、すでに社内構造の改善・旧態経営陣の刷新を済ませ、トップ自ら中国政府との独自交渉を始めています。

 

 

今後、日本と中国の関係は中国優位の流れの中で、避けて通れない課題に取り組まなければならず、巨人トヨタさえそうしたように、否応ない“旧態依然の中国認識の転換”を業種・企業単位で迫られているようですが、今年はそれができるかが生き残りを左右すると言われます。

その改革を進める一方で、中小・零細企業において残された選択肢として、医療・介護ノウハウ、システムや生産工程、製品サービスの品質管理などの業種において、こうした緻密性が優位になる分野は日本に優位性があるため、方向転換に多大なコストを必要としないかもしれません。

 

上の記事の中には、中国マーケットと闘っていく上で、大事なヒントが含まれていて、当ブログでもMRJの記事で申し上げていましたが、製品・サービスの品質を左右する製造ノウハウは、中国独自(限定)でしかなく、電気自動車が中国国内限定販売なのは旅客機でも同様に、安全基準が他国の基準を満たせないという事実を意味しており、今後他国との統一規格・規制の明確化より、闘う術はありそうですね。

ただ、ご承知の通りグローバル市場は物凄い速さで変化・進化しており、例えば通信規格5Gの普及や仮想通貨技術による、通過流通のコストカットで情報やマネーのインフラは日に日に変わっており、それに物流の対応がついていけない時代に、広大な国土を持ち東西隣国とつながる中国は、地政学的にも優位性を加速していく段階で、国内製造業はオリンピック以上に国との連携を強めどう即応していくか、その挑戦に注目していきたいですね。

 

 

 

日本人初「テニスランク1位」に夢見る世界一を考える

初のお題にトライしようとしたら、広告みたいなものがついて申し訳ありませんが、本題はこの下からです。(汗)

「日本人の求めるチームワーク」を、大騒ぎのあの人物の偉業から考えますね。

LINE WORKS×はてなブログ特別お題キャンペーン #チームワーク

LINE WORKS×はてなブログ特別お題キャンペーン「#チームワーク」を語ろう!
sponsored by LINE WORKS

 

大坂なおみ選手がまた「全豪」という一つテッペンを制し、ついにプロテニス選手のランキング1位に到達したニュースを見て、日本人として感動した人も多いでしょうし、もちろん筆者も思いは同じです。

 私たちが単にお祭り騒ぎにモチベーションアップするのも良いのですが、そこから見えてくる疑問もあったし、他の記事と同じ事を書いても意味はないので、一歩下がって私見を記事りたいと思います。

 

www.huffingtonpost.jp

大坂なおみ、優勝インタビューでクビトバを称える「ずっと対戦したいと思っていた」 | ハフポスト

 

彼女は、本当に懐が広い人間なのでしょう、さすが世界一に君臨するにふさわしい人間性を秘めているようですが、その人間性にリスペクトし自己への向上心に活かすのはとても有意義です。

一方で、彼女の偉業に私たちが得るものとして考えたいことがあって、それはこの偉業が日本人初というメディアの煽りは、国内で言う日本人初というのと少し違っているかもしれなくて、彼女は定義上日本人であるもハーフであり、遺伝子上で言っても100パーセント日本人ではない点でそうでないのも事実、こんな言い方をすれば反感を持たれるかもしれませんが、この事実はこれまでに言い慣れた日本人が勝ち取った世界一と言うより、大坂なおみさん個人が勝ち取った勝利であり、

 

「日本人の誇りを掛けて勝ち取った」

 

連帯感のある勝利とはまた違う勝利なのでしょう。

 

大坂なおみ選手が達成する「日本人初」は、日本人が本望とする「共同の成果」でなく。自由社アメリカ的が可能にした「個人の成果」で、彼女は日本への思い入れも強く性格も寛容で謙虚だけに、日本人としての成果の共有を楽しんでいるのであり、自分がさらに高みへ昇れる成果と、その相乗効果を楽しんでいるのでしょう。

その結果共感し祝ってくれるその相乗効果が成せる結果に、彼女自体が驚き困惑しながらも日本人的な向上姿勢に満足しているのでしょう。

 

大坂選手に見るアメリカ育ちの彼女のポジティブさは、日本人が憧れてきたもので、アメリカから得られた発想法は、ある意味ではGHQがもたらした遺産の一つかもしれませんが、現実の日本でこの個人が生み出す相乗効果自体は、今に至っても市民権を得ていない気がするのです。

私たちが目指したものは、個人の力でなく日本人が連携力で成し得たい「結果」であり、もしそれを個人成績である大坂選手の成果にダブらせているのなら、それは本望ではなく大坂選手の「達成」とは筋が異なるもので、日本の国民性が求める「連帯による達成」には、今後の次の日本人世代の努力に期待することになるでしょう。

 

何が言いたいのかというと、

祝福としての喜びは大いに結構だとして、私たちの喜びには本来のハードルの本質を意識し行動することを忘れてはならないということです。

今まで箱社会の日本が世界市場に挑戦してきた姿勢は、個人による成果ではなく、連帯での成果として期待され成長してきた事実から言えるのは、裏を返せば「出る杭」を許さない気質、つまり個人の才能を伸ばし難い社会環境からの脱脚にあるのではないかという問題提起です。

 

隣を見ては、目先基準で相対的に上を目指す姿勢は、現実的な向上スキルではあるかもしれないけれど、一方で個人単位の才能を伸ばすどころか、嫉妬で引き摺りおろしかねない悪い意識として、反省しそれと闘う覚悟の現れてでありたいと思うのです。

連帯で勝ち取る方法が、悪いと言っているのではなく、得意分野を過度に優先させず、本来その一員を構成する「個人の能力」を伸ばす姿勢が、今後の私たちに求められていると、考えてはどうかということです。

 

その機会を、結果として大坂なおみ選手が与えてくれたと考えれば、わかりやすいのかもしれませんが、良い意味で私たちは「個人のチカラ」の底知れない可能性と効果を、彼女を通して見させてもらっているのでしょう。

むしろその大坂なおみ選手の底時からを実感するには、彼女の偉業に習って個人的能力を発揮して成果を出し、それが連携によって倍増する姿を実現させてこそと、言えるのかもしれませんね。

平成の功罪。未来を担うはずの、青年の暴走が意味するもの

 2019年明けて早々明るい話題だけでなく、予測できない未成年や青年加害者の、事故・事件が報道されたのは衝撃的でしたが、統計上減っているとされながらも話題が絶えないのには、何か不足な点があって改善が足りないと考えるべきなのでしょうか、それとも他に原因があるのでしょうか。

まず、毎日流されるニュース・報道の内容は、すでに子ども・青年が起こす事件は、大人が経験してきた許容範囲を超えたことを嘆き、複雑化・予見困難で対処に行き詰まる様子や現状を訴え、さらに「稚拙な動機による生命軽視」「凶悪犯罪」と断定、センセーショナルな三面ネタのように常習化は問題ではないか、という点はあるでしょう。

news.livedoor.com

竹下通りで暴走運転 逮捕の男「灯油で車を燃やそうと思った」 - ライブドアニュース

 

こうした不幸はあって欲しくなくとも、判断力が未熟とされる子ども達が起こす犯罪は、ここまでメディアが普及する時代の前からも起きていましたし、以前と較べて減っているはずなのに、メディアが普及したことで新しい中心世代への影響力が、大きくなったことも大きいでしょう

この犯罪量と質の印象による誤解は、本来与える印象とは直接関係の無いことへも悪影響を及ぼしているようで、「子どもの凶悪化傾向」を煽ったり「大人の言動の正当性」の理由づけにされているとすれば、社会的防衛力を持たない年少者には迷惑この上ない話と言えます。

 

こうした反省点があるとしたら、その原因は子どもの境遇だけでなく、大人の社会的な混乱や困惑によるものなのかもしれないですし、風潮として定着しつつある凶悪事件の大人たちの印象によって、若者バッシングや子ども環境への冷遇に繋がるとすればそれは不幸です。

事実大人社会の個人化が進み、SNSメディアには他人の悪事面が強調された印象が根拠でコメントした結果炎上したり、避難側・保護側総出で年少弱者に不利益をもたらす混乱ぶりが、浮き彫りにされいます。

 

まだTVメディアが主流だったころは、事件はある程度「他岸の火事」として他人事としたり、好奇心や野次馬根性を満たすゴシップとして受け流す選択肢があったし、身の回りの人以外への拡散も限定的でしたが、今は情報共有者全員がいつでも何処でも擬似的(しかも匿名)に犯罪や捜査に自由参加でき、犯罪に加担するかもしれない責任とリスクを気にかけず参加する節操が、凶悪犯罪ほどその事実を複雑にさせている事に、関連者は気付いていないように見えます。

この風潮はアメリカから起こって亜種メディアを通して拡散しつづけていて、アメリカ文化を模倣する日本の慣習に根付き、その習慣は良し悪し関係なくさらに学習を繰り返えしながら、メディアで供給される悲劇報道の「耳年増」にならざるを得なくなったということです。

 

今年、幕を閉じようとする「平成」時代は、そうしたメディア社会の習慣化によって、良いこと悪いこと全てが強調・刺激として受け入れられた、象徴的な時代だったと受け取れます。

かと言って悪いことばかりでなく、平成時代を束ねた「人間天皇」が癒しを与えた時代であり、昭和の話題・問題作が様々見直された時代でもありました。 

 

 

その平成で筆者が残念だったのは、日本独自の「道徳」と「哲学」が教育面で一時的に力を失ったことでしたが、そのそれでも救われたのはある書籍の再注目で、そのタイトルは、

『君たちはどう生きるか』

です。

 

まだ記憶に新しいので覚えていらっしゃる方は多いのではないかと思いますが、今に生きる多くの若者や大人に、大きな反響をよんだ名作と言えます。

事実当時は売れましたし、何度も読み返された方も多かったでしょう。

この内容の解説はここではしませんが、昭和に起こった若者の社会的な問題を問い、哲学的な視点も交えて根本的に問い直した作品であり、

 

「避けて通れない身近だけれど、目を逸らしてきた課題」

 

を、時代を超え多くの人の内なる問いとして共感された内容でした。

 

この作品が示すとおり、若者たちの社会的な葛藤をありのままに問いかけた結果、多くの人の共感を得たわけですが、その根底に流れる日本人の道徳観や性善説に基づく哲学的な「良心」の在り方を、私たちに再認識させてくれました。

また、今年14日にNHKスペシャルで放映された、

“冒険の共有” 栗城史多の見果てぬ夢

は、同メディアの自戒を込めた衝撃的なドキュメンタリーでしたが、対象者に繰り広げられたネットからの無責任で独善的な書き込みの罪は、大きく問題にされることが少なく、いかに大人が自分に甘く人に厳しいのかを、見せつけられる例でした。

 

最初に揚げた時代的な経緯も踏まえ、改めて連続する若年者の事件を考えると、単なる凶悪犯罪としての偏見表現だけでなく、様々な角度の表現に乏しいメディアや視聴者たちにどれだけ影響を与えたでしょうか。

 

「未成熟な判断力の存在を大人と同じ扱いをしていいのか」

「子どもたちは加害者か、犠牲者ではないのか」

 

この答えに、肯定する人はほとんど居ないでしょうが、実際のところその真意は本当かどうか疑わしくなってしまいませんか?

多くの大人は、理屈や経てきた人生経験を通してこの答えを知っているはずですが、行動はその答えと相反しているようです。

 

 

大人目線で子どもの起こす犯罪を、犯罪として否定しながらも、課題として受け止める日本の法の基本である「罪を裁いて人を裁かず」の理念を実践していかなければなりませんが、今の社会風潮は明らかにその実践を示す方向に向かっていないように見えます。 

 

大人の中にも今の世相に混乱が起こっていて、わかっていても出来ない人から知ったことでは無い人まで居て、多様性の捉え方が一様で無くなったのは、グローバル化する社会、メディアIT化で情報過多一辺倒な時代に、素直で、無垢で、受動的な日本人の意識は、それには大真面目についていこうとした結果オーバーロードし、それに耐えきれなくなった子どもから先に、日本人の性善説的言動から脱落せざるを得なくなっている。

 

その哀れな時代を、ひとりひとりが見えない心の底から少しずつでも、自分をジャッジして改める。

 

宗教観の弱いというか、寛大な神教観の中で生きてきた日本人にとって、自分を裁くというか不馴れな感覚は、メディアからの影響に対応するスキルとして、今後もますます大切にしなければなりません。

筆者から見た平成時代は、昭和の盲目的な性善説に疑問を持たず、色あせた過去の道徳観を変えずに乗り切ろうとしているようでしたが、今年変わる新時代を節目とし、メディアの現実とより良く適応できる柔軟性と多様性を身につけ、メディアと距離を持てるようにしていく必要があると実感します。

次世代トヨタの企業努力から学ぶ、私の目指すべき方向

大企業病からの脱却は、一見個人の努力目標とはかけ離れているように思える方もいらっしゃるかもしれません、しかし直接参考にならなくともその本意を汲み取って得られるものは大きいことは間違いありません、そこで今回は大きな問題から個人的課題の方向性を考えます。

 

トヨタ自動車豊田章男社長の代から、車内改革を進め生産システムを見直し管理職人事を刷新し、国内でが未だ絶賛され生産管理のバイブルとも言える「トヨタ方式」に甘んじることなく、大企業にありがちな大企業病に果敢に挑んで、結果を出してきました。 

その現れはお膝元豊田市で、スマホ予約から配車、降車後の空車の基地へ戻るまでの一連の流れを、簡易的ながら実車で行い成功したと、先ごろ報道されましたが自動車業界の事情が電気自動車開発と、そのインフラを担う自動運転システム開発でしのぎを削る中、そのシステム開発競争もIT産業など異業種企業参入もあって、大資本のトヨタのシステム国内採用が期待されていたり、単なる自動車メーカーの枠を超えるものです。

 

response.jp

都市向けシャトルサービス、ボッシュが自動運転EVを提案へ…CES 2019 | レスポンス(Response.jp)

 

そして、米中経済戦争でグローバルでの経済市場が大きく揺れる中で、かつて失敗した「中国市場」への積極参入をも始めており、その結果は今後の日本の生産企業の大きな指針となり得る点で、注目が集まっています。

表題にある「自動運転システム」の覇権の行方は、ご存知の通り今米中間で争われており、今回のトヨタの英断はその中に何とか食い込もうとする、大企業らしく無い「捨て身戦法」でありそれより規模の小さい企業においては、さらに捨て身の覚悟を要する時代として、自動運転システム課題に代表されるような、企業改革は避けられません。

 

と、ひと通りトヨタ自動車の取り組みをあげてみた上で、わたしたち個人にとってどう解釈し活かせるのでしょうか。

 

まずこの事実は、企業で働く人たちにとって間接的に反映されると理解はできますし、企業で働く以上は会社の努力を待つまでもなく、一個人単位での仕事の認識や改善を必要とすることは、上司から耳タコなほど言われていると思います。

すでに行動に出ているとお叱りを受けるのなら良いとして、実感できない方がおられるのであれば、間接的に影響が出てくると思われるので、姿勢の改善をしたいものです。

 

これらに対応うするうえで裏付けになる情報入手は、今のわたしたちにはネットの利用さえできればさほど困難ではありませんが、それさえ叶わない方々にとっては深刻かもしれませんが、それは住食と同等に価値の高い手段のため、何とかしたいものです。(そうした方は、このブログも見ていないでしょうね)

情報価値の重要性は人によって様々ですが、情報氾濫の時代に必要な情報とそうでない情報を振り分けるために、どれだけの時間を費やし努力されているでしょうか。

 

その程度の判別は、上で話したようにトヨタの企業努力を参考にしても良いと思いますが、闇雲でなくより真剣に情報を精査し、それに逸れない自身の行動を検証していく姿勢が有効ですし、唯一かもしれません。

その意味や重要性は、行動をすればするほど現実身を帯び、身にしみてわかると言いますが、筆者もその通りだと実感していますので、身近にもいるであろう実行者の人々を見習いたいものですが、その学びの姿勢には時間に左右されない姿勢がもっとも重要だと考えています。

 

これらの学びを目指す上でもっともらしい言い訳になるのが、

「時間が無い」「お金が無い」「チャンスが無い」

などの無い無いセットで、メンタリストから必ず克服を指摘されるお約束なネガティブ思考ですが、先に情報を詰め込み過ぎて自己破綻するのは賢明ではなく、自身の頭の中で「もっとも自分らしい情報処理の仕方」を、まず自分なりに決めておかないと、上のようなネガティブお化けに意欲を削がれてしまいます。

その頭の整理には、ぜひなんとしても一人で集中できる、まとまった時間と環境を自分で準備し、その中で集中して決めた方が良いと言われますし、それが瞑想・ヨガでも散歩・ジョギングでも釣り・囲碁将棋でも良いので、機会を得た時に試すことをお勧めします。

 

忙しさに溺れない自分を目指して、自分なりに人生の泳ぎ方を会得する。

 

これしかないでしょう。

 

まちづくりに避けて通れない、5Gのキモ

今メディアで盛んに飛び交う話題に、次世代通信規格「5G」があります。

この技術の普及によって、IT環境の劇的進歩が見込まれ、その市場もかつてない広がりを見せると期待されており、企業だけでなく私たちにも下記引用記事のような大きな恩恵が得られるだけに、通信ネットワークがちょっと奥手な人でも、その行方は無視できなくなっています。

 

japanese.engadget.com

「5Gが未来の生活を現実に」 CES 2019全体まとめ:山根博士のスマホよもやま話 - Engadget 日本版

 

今回はあえて「奥手派」の目線に立って、押さえるべき基本的なポイントを記事ってみますが、得意派の方々にも全体像を再確認するためにもご一読ください。

さて、今のところ通信インフラのバージョンは「4G」で、今みなさんが利用している使い勝手で、満足できていればその限りですが、やはり若い世代や企業を中心に次世代への期待は大きくなるのは間違いないでしょう。

 

ところで、次世代規格「5G」の規格を語るのに、選択肢があるのかと言うと。

これはありますが、その選択肢において少なくとも日本人の立場で言えば、究極の選択をこれから私たちは迫られることになることを、無視した選択は危険です。

この選択肢とは、中国由来の選択と、アメリカ(西洋)由来の選択に分けられますが、細かい選択肢(通信会社・端末メーカー)を決める前に、まずこの究極の選択を余儀なくされます。

 

これは関心のある方ならご存知の通り、これは深刻な問題として報道されており、米中貿易戦争と共にその行方が注目されているからですが、日本政府は今のところ米側の方針を遵守する方向であり、新規含む通信企業もそれをトレースするよう求められていますので、このままであれば私たちは原則中国側のインフラを利用することは無いように見えます。

ただ、現在国内で売られているスマートフォンでは、かつてトップシェアだった韓国サムスン製の端末を抑え、中国ハーウェイ製のスマホコスパの良さから売れ行きが大きくなっていて、その端末を使うことが国内の流れに反するという趣旨の記事が目立っています。

 

また、ITサービスのインフラとして大元の通信交換機でも、現在国内で稼働する過半数が中国ファーウェイ製で、各通信機企業へその改善を促されていますが、実際にその指示を履行しているという結果は、未だニュースにあがっていません。

中国製の機器は交換機でも端末でも高性能な上に価格も安く、企業や個人にはとても魅力的な商品で、身の回りにも端末ユーザーは結構見受けられると思いますが、アメリカ政府の唱える「中国製通信機器の(情報取扱)安全性」が、どこまで信憑製が高いかは、今のところ半信半疑の人が多いように感じます。

 

これはあくまで私見ですが、中国製の機器使用による中国政府のITインフラにおける優位性は間違いなく比例するでしょう。

それが他社通信交換機経由であっても変わらず、中国国内で生産されている端末(スマホタブレット・PC)を利用している限り、個人情報の価値は重大で無いにしても、有事・通常時に関わらず情報操作・通信傍受に利用されるリスクは避けられないということで、直接でないにしろ間接的には中国側の政策に有利になると考えた方がよいでしょう。 

 

その問題と個人ユーザーの利便性とは必ずしも一致しないので、中国製を使うだけで違法だとかアウェイな立場になることはないでしょうが、たとえわずかだとしても情報の経路として利用されることを承知しておく必要があります。

 この判断は、まだまだ高価な端末を購入する際に私たちを悩ませるでしょうが、それより怖いのは、選択が共有される中で都市伝説的な情報の拡散で、人間関係がおかしくなったり、根拠のない差別意識へと繋がることです。

 

例えば、

「中国製端末利用の日本人への偏見」

「訪日外国人の中国製端末への取扱」

 

多くの日本人の立場から考えてこの問題は、インフルエンザの拡散時と同じような「無責任な情報の流布」の危険性を持っており、それに巻き込まれないようにするには、純国産製品の購入・使用が賢明ですが、ややこしいのはアメリカ政府の主張には、間違いはないにしても公平でない点も問題です。

公平でないというのは、従来通り西洋側の環境に付くことに問題なくとも、中国政府側の情報戦略の危険性と同等に、すでに私たちは西洋側の情報機関による情報戦略に巻き込まれているという事実です。

 

一般的には私たち市民が、その驚異の全貌を垣間見ることはとても困難ですが、彼らの立場に立てばその脅威が、存在しないと考える方が困難なところからも、

「どのみち情報搾取の対象になる」

私たちは、中国にしろアメリカにしろこの犠牲を避ける選択肢を持ちません。

身も蓋も無い話になっていますが、まずこの現状を理解した上で、米中のITインフラ覇権争いの中で、次世代「5G」の恩恵を最大限受けるべく、私たちは通信会社や通信端末の選択をすることになります。

 

だからといって、これからは自活していく以上は老若男女問わず、その選択から遠ざかる選択は人とつながって生活する以上、それがたとえ田舎の自然の中で自給自足を選択したところで無いと言っても過言でない時代に入っていきます。

 

良くも悪くも今まさに、近未来SF映画で見た社会が現実になろうとする時期です。

 

これから新たにITサービスを検討される方々は特に、既存利用者の方々も含めてその選択には、こうした事情が含まれることを知った上で、それぞれがある一定のリスクを承知での選択になることを知っておきたいですし、私たちは今後情報利用の面で、

良い方に利用するのは当然ですが、

 

少しでも悪い方に加担するような行為は、自重したいですね。

その積み重ねが、より良く恩恵を受けるのには、とても大事です。

 

人の目が無いからと、言いたい放題したり悪用し放題をする行為は、結果的にその恩恵を狭めることにつながりそれどころか、

悪意のあるものに良いように流用され、犯罪者に仕立て上げられかねないのですから。

ネットの世界は、今後現実社会よりよりウエイトが増してくるでしょうが、筆者はこの世界に「善良な神」は存在しないと考えています。

在るのは、利用する私たちの行為の結果が、善悪のジャッジとなることだけで、それだけにとてもシビアであり、ユーザーの真意が試される宗教的に表現すれば「絵踏み」の世界です。

 

お節介ではありますが、最後に通信ネットワークの一利用者として肝に命じたいことは、その環境の将来を左右するのは、政府でもなく通信環境でもなく、私たち一人一人であり、その自覚が大事だと考えてはどうでしょうか。

 その成果を見るには、今しばらく待たねばなりませんが、少しでも前向きな結果が出ることを期待して記事を終わりたいと思います。