日本に外国を持ち込む気質もたゃーぎゃーに。
すっかりブランドとして定着した京野菜や、今開発が進むジビエ料理などの郷土特有の食材たち、東京でも江戸野菜を売り出そうとするワークショップが進んでいるとか。
江戸っ子気質なのか、ぶっきらぼうな試みを見るに連れ、思いはあっても他力本願的な日本人の姿がダブって見えるのは、海の向こうの人々や文化との付き合い方に、不慣れな姿をそこに見るわけです。
単に経験不足なだけなんでしょうが、彼らが生きてきた背景に関心を持てる自分にするには、どうすればいいのか、考えましょう。
むしろ、このイケイケの空気は外国人が、精神的に日本人の一歩を踏み出す瞬間を、今かと待ち望んでいるようなもどかしさも感じます。
モーラムとタイ人みたいな、ご当地ソウル音楽や食堂、ショップなどの憩いの場を設ける動きは、日本人の中でも20代30代の若者から、個性化に目ざといところから関心があって、深堀りするのがトレンドになっておるとか、ムーブメントがある一方で、コミュニティは減っているそうで、メンタリティの違いが顕著に実感されるそうで、日本人のコミュニティに入りにくい空気を超えられず、悪循環になったり帰国を余儀なくされるケースは未だあるとの事。
子どもに至ってさえ馴染めない環境は、まず日本人同士でさえ悪しきムラ社会的メンタリティの変化を自分から作っていくにはどうすればいいか、身の回りから一歩づつ改良したいですね。
海外文化におおらか、と言いますか、節操がないのは、大昔から日本に住む人々には、当たり前だったのでしょう。
何と言っても神道なる概念は、玉虫色という美辞麗句に表されるように、それを適度に助長してきた経緯が証明しているので、とやかく言わなくとも何とかなってきたのかもそれません。
ただ最近外国人が増えるに連れて、物言いと言いますか、影響力を示す外人の声も避けられない時代になる一方では、特に商業・産業を中心に見直しが求められつつあるようです。
日本から見た外国というフィルターだけでは、ITの発達した世界にあってはより日本らしさを示したた上で、異文化を受け入れる姿勢が待ったなしで求められています。
しかしながら、私たちは頭で考えているより器用に受け入れられているでしょうか。
この面での責任を追わずに済むであろう高齢者世代ならまだしも、現役世代や若者達までもが、その拒否の空気を引き継げば、このまま精神的鎖国になりかねないだけに、新しいインバウンド関連の試みをニュースする情報に、意識して耳を傾ける習慣を持てているでしょうか。
自分は関係ないとタガをくくるうちに、自らの生活範囲を狭める羽目にならないためにも、海外の文化や習慣、宗教に機会に触れて関心をもつのは、今の日本を生きるのには、習慣化しておきたいスキルでしょう。
最近では、外国人を身近な場所で見かける機会が増えている実感が強い人ほど、その意識化はとても役立つはずですが、私たち日本人は異文化の人々に対しては、とてもシャイで消極的です。
イングリッシュネイティブにいきなり話しかけ、異様な顔をされたという経験は、歩み寄る積極性を阻む体験となりますが、この極端な行動を求める話ではなく、普段通りに席を譲るとか落とし物を拾って渡すと言った、普段の親切を機会がある時に外国人にしてみるだけの事です。
日本人に施してイヤな顔されることを、外国人でもイヤな顔されるのは同じですし、むしろ外国人のほうが、日本の文化礼節を最低のマナーとしてわきまえているケースも、結構見かけます。
私たちは異文化をリスペクトしすぎる余り、へりくだって失敗したりします。
子供時代から鳴らされていないので、やむ無しのですが、気負わずにニュースや文化の話題から、身近な外国人のバックボーンを考察していけば、自然と硬さも消えるんじゃないか、と思う次第です。
訪日外国人がすでに、お仲間が来やすい環境を作ろうとしている時代ですが、日本人がそれを出来ていない現実に、もっともどかしさを覚えるのです。
防犯などのネガティブメンタリティがフォーカスするのは当たり前ですが、その反面にあるポジティブなメリットにも目を向けて、外国人のアクティビティを積極的に実践してはどうでしょう。
日本らしい日本とは?リンちゃん誘拐事件から見る。
観光立国として舵を切る日本
観光国として盛んにアピールを始めた日本で、さまざまなおもてなしに工夫を凝らすニュースが、毎日のように報道されていて快調な滑り出しをしています。
課題は、観光やインバウンドマーケットでの話なのでしょうが、パリや香港のように著名な都市を中心に、その国らしさが薄れている印象を持つことが目立っているようで「らしさ」と「快適さ」の両立です。
観光国としてメジャーな地域では、ひところと比べると英語・中国語(海外なら)が蔓延し、その国らしさらしさを求める観光者からは、違和感を覚えた人も多いはず。
筆者も台湾で日本語を忘れて楽しみたいという目的があったのですが、実際には英語でなくても日本語が要所で通じて、その気を削がれたりしましたし、友人がパリへ旅行した話でも、市内なら日本語がそこら中で通用して、便利だったと話してくれました。
その意味ではエキゾチック・ジャパン〜♪ ともてはやした日本は、少なくとも観光面で日本らしさが薄れている印象は、インバウンド施策で訪問のリピート化を目指すには、今から考えなければならない課題です。
さて、観光立国の条件で合わせて考える必要がある、もっと切実な問題にも触れなないとなりませんが、観光立国を目指すうえで表面づらだけを装う以前に、国際化社会の一員としてのスタンスを、今一度見なおさなければなりません。
過去にも触れている国内少子化や東南アジアの中心的役割を目指す日本にとって、海外人材の積極的招致とその家族の国内教育、イスラム教などのかつて馴染んでいない海外文化の受け入れは、むしろ受け入れるというより私達が積極的な学びとして、生活の要素として組み込まなければならないことです。
前世紀末に強化された不法在留者の取締で、当時と比べ半分にまで減ったという話ですが、国内少子化での人材不足を訪日外国人で埋めようとしている今では、米国でも移住者問題にもあるように、単に不法在住=悪というアナログな単純話では無くなる算段が高くなりそうです。
そうでなくとも、全うに在住している訪日外国人への配慮は、前世紀の外国人への意識とさして変わりない、イマドキの現状や空気との乖離をなんとかしなければなりませんが、未だ検討段階という悠長な旧世代さながらの意識なのは、世代交代が進まない課題も見え隠れしてそうです。
愛知)SNS武器に外国人実習生支援 愛労連の榑松さん:朝日新聞デジタル
出稼ぎインバウンド労働
連れて来られた子ども、来日してから生まれた子たちは、ニュースに出ることが増えて認知度がましています。
ブラジル人のビアンカさんは保育施設員として、自身が求めていた子供の環境充実という理想を、実現しようと奮闘する、アナちゃんとの交流を通してNHK番組「U−29」で紹介されています。
またFTA制度を通して、アジアを中心に外人人材派遣の導入を図っている人材派遣大手パソナの看護師や家政婦ヘルパーの活動をニュース。
緊急時の一時的な雇用でなく、日本人と同等の福利厚生の整備は、不可欠だとして指摘されていますがその中で、日本人のみならず途上国からの海外移住者の子供への差別・虐待では、千葉で起こったリンちゃんの誘拐殺人事件は、記憶に新しく痛々しい事件でしょう。
【千葉の女児殺害事件】発見前に2ちゃんねる書き込み「用水路に女児の死体がないか」|ニフティニュース
一概に「日本らしさ」を決め付けるのは賛否両論あるとは思いますが、日本の持っている博愛性と謙虚さという、歴史の反省に裏打ちされた心の財産は、日本らしさのイメージとして外国人に評価さているのも事実です。
分け隔て無くしかも奢らず、波風を立てることを良しとしない国民性が根っこにあるのかもしれませんが、それば海外の人から見れば稀有であり良識と捕らえられ、誇るべきことです。
まだ記憶に新しいこの事件は、ごく一部の鬼畜が起こしたマイノリティな事件と称して記憶の墨に追いやるか、真摯に向き合ってより襟を正していくかの選択を、切れ味鋭い刃物のごとく、私たちに突きつけているように思えてなりませんが、その刃にどう切り返すかはさまざまです。
ただ少なくとも、人材不足に直面する国内の社会において、これから無くてはならない訪問者を迎える上で、私たちひとりひとりが答えを出さないといけない課題です。
地域多様性のシンボル、郷土メシの強み
名古屋メシと最近盛んに売り込んでいる郷土ゆかりの人気飯グルメですが、その地域の特色が色濃く出る給食でも、配給されるニュースをみました。
そこで今回は、誰もが愛してやまない郷土メシが、これからどのように進化していくのか?を見て生きたいと思います。
名古屋市の小学校 なごやめしの給食提供へ|日テレNEWS24
給食に出るメニューは、世代の代名詞として話題に出ることがありますが、より豪華になっていく傾向があるそうで、それは喜ばしいことではあります。
ただ本来ならもう少し郷土の素材や、本来の昔から引き継いできた素朴なモノであって、全国一律足並みそろるよりは、地域の予算に合わせる意味でもよりローカライズを目指せるのが理想かなと思います。
最近は、郷土の将来を担うであろう子どもたちに、本当に引き継いで貰わないといけないのは何なのか? と言う目線を大切にする方向へ向かっているのは、とても好ましい傾向です。
郷土を意識した結果が、いわゆる「郷土メシ」という市場を育てたといっていいでしすが、この流れは少子化なの転出に歯止めが利かない深刻な課題からくる、苦肉の策であって、地域の経済格差解消の救世主でもあります。
http://www.city.nagoya.jp/kyoiku/page/0000052135.html
地域産業の衰退で、本来財産である子供たちへの経済格差が問題になっていますが、給食費を払えない家庭も出ていて、いかに食材の流通を合理化し、地域循環で採算を保つ仕組みを作るかが求められます。
かつて都市部市場へ優位に働く中央集権型の食品流通は、一部のレア食材を除いては競争が激しく採算が取れないために、地域の一次産業が成り立たなくなっています。
しかし、たとえば同じニンジンやイモでも、味や栄養価に特色があるのに、大量生産式のJA型品質保持の名の下にスポイルされてきました。
時代の流れにそぐわなくなった生産から流通の仕方を、根本的に見直して従来あった地産地消で採算をとる仕組みに立ち戻り、地域食材の個性を見直すことは、その結晶でもある「郷土メシ」という名の新しいブランド価値を、より高めるのに役立つでしょう。
そこで地域の特色を表す手段として、食育を地域の特色として加えるなら、広義での郷土メシとしてアピールできる上に、そのノウハウは海外展開も可能なものですし、地産地消は本来もっとも経済効率のよい流通として真剣に見直す好機でもあります。
むかし肝油と言うおやつがありましたが、美味しすぎて異常に食べたい思いをしたことがありました。これは当時栄養不足を補う上での苦肉の策でしたが、今は食自体も多様化して、時短や効率化を求める人々の過剰なダイエットや、サプリメントのバランスの偏りなどの新しい問題も出ていて、栄養価の高い自然食材のニーズは、世界中で高まっています。
あと、食材に特色を持たせる選択肢として海外に目を向けるなら、国際的な感覚を持ってもらえるよう、フェアトレードで購入した食材も選択の余地はアリです。
東南アジアや南米、アフリカなど発展途上国の主産業のサポートとして、先進国は積極的に提携を結んでフェアトレードを取り上げることは、日本でも郷土地域のカラーをだす手法としてポピュラーになりました。
http://www.city.nagoya.jp/kankyo/page/0000067374.html
最後に、都市部のデパートや屋外イベントで、人気の高い地域特産食品・グルメの話題性は、当に郷土メシの格好のアピールのテッパンですが、最近はご当地グルメショップの「まかないメシ」を扱ったイベントも話題になっています。
こうして見直していくと地域の食材は、在るべくして在って東西南北に広く展開する地理の恩恵と、世界の縮図といっても過言ではない地域の特色を併せ持っていて、地域の魅力の結晶である郷土メシは、世界に向けて地域食材の多様性を強みに変えられる、ブランドとして個性を磨く必要があるでしょう。
平和の名のもとの武力準備を再検証する。
「憲法九条策定の苦難、平和への道」として、NHKで放映された番組の内容に沿ったテーマになりますが、憲法九条の平和という項目が戦後の政治家や有識者によって編み出された、積年の思いであったことを知りました。
昨今では、友人国である新生アメリカの様変わりや、さまざまな軍事的脅威を根拠に、少しずつこの条項の意味合いの解釈が狭められようとしている事に、国民は国防のためならやむなしという平和に対して消極的になりつつあるようです。
憲法を自分で作ってみた!明治の日本人が見せたナントも豊かな想像力(畑中 章宏) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
ゼロからわかる日本スゴイ論の元祖『国体の本義』の支離滅裂っぷり(辻田 真佐憲) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
憲法9条の「本当の意味」をそろそろ直視しませんか?(篠田 英朗) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
平和への道が、特に陰謀を語ることなく平和の社会の裏側で見え隠れそているのは、知る人ぞ知る事実として一般的だったりしますが、今回の北朝鮮の軍事行動においても、例に漏れず王道を踏んでいるようです。
日本は、西欧米列強諸国の敷いたその歴史の中で、太平洋戦争を経て平和への選択がいかに合理的なのかを学び、GHQの草案に日本人独自に平和の文言を日本国憲法第九条に盛り込んだ経緯があります(詳しくはNスペ放送参照)。
「北朝鮮危機」はあざとい猿芝居だ! 日米朝「形だけ」の演出(半田 滋) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
その経緯が軽んじられているのではないか? という疑問を改めて浮かび上がらせるスクープであったと感じましたが、今平和主義は景気回復の空気の中で、アウェイな雰囲気であり、次世代の国民の真の参加を真剣に考える重要な時期であり、平和主義をもう一度見直さなければならないと感じます。
日本は、1930年代に起きた第一次世界大戦の特需に端を発して、国の領土拡大を推し進め、アジア諸国への国土拡張を進めた経緯がありました。
この行動は、一説には欧米列強による植民地支配搾取からの開放という名目があったということですが、結果的には軍の外務省情報を無視した暴走(陸軍)をゆるして軍事国家のレッテルを欧米諸国に強く印象付ける結果となったのは、ご存知の通りですが、この二の舞いになるのか心配な方も少なくないでしょう。
次回の総裁選で三期目を達成すれば、安倍内閣は好景気ぶりを土台にアベノミクスの成長戦略が順調に改善されているという名目が立ちますが、今この時期に北朝鮮問題という非常に身近な緊急事態を煽る動きは、自衛の名目での軍費拡大を間違いなく助長するでしょう。
この北朝鮮ミサイル開発の脅威というバイアスは、米国の予め想定された軍事演習行動の正当性だけでなく、必然性までを私たちに受け入れさせてしまいました。
こうした一見気の迷いで動いているように見えるトランプ氏の宣言は、あくまでビジネスマンとしての米経済向上の一貫でしかありませんし、彼に限った限った話でなく過去歴代の米大統領の仕事とは、超巨大産業である軍事ビジネスとセットであり、自由経済向上に不可欠であったことを私たちは忘れてはなりません。
今回の米国軍事行動をサポートすると強く印象付ける安倍内閣の発表は、相変わらず辛辣な言い方をあえてすれば米国の犬としての立場を明確にしただけでなく、本来日本の財産でもある憲法九条で言う、唯一オリジナルである平和宣言の趣旨を極解しかねないプロセスに踏み込んだ可能性を持っています。
一見些細な変化に見られそうな米国とのタッグ組み直しの宣言は、安倍総理がその先にどのような着地点を目指しているのかが、見えてこないと結論づけはできませんが、総理の祖父である元総理が理想とした大日本帝国の当時の空気再構築が、その本筋だとすれば、明らかに日本は反省していなことになりますし、あくまで本筋を日本経済向上に力点をおいて大国とうまく付き合うための一時的方便だとすれば、未来は明るくなると考えられます。
さて、この後アベノミクスの経済成長が、どのように進捗していくのかそれによって地方自治体の浮き沈みも変わってくるでしょうから、トランプ氏の経済理論とどのような関わりを持って安倍総理は、この国の経済を成長させて行くのか? 軍事行動の向こう側に見え隠れするアジア経済の浮き沈みを、見据えた行動を私たちは冷静に見極める必要がありそうです。
ナゴヤはどえりゃー街を目指すの?
「なごやめし」が楽しめる 名古屋城前の新名所「金シャチ横丁」起工式 来春にも開業 | JAPAN style 訪日ビジネスアイ
4月の名古屋市長再選挙で、河村たかし前市長が再選されたことで、名古屋市は2020年に向けて東京で言えば小池東京都知事と同様、インバウンド観光対策と地域景気対策を改善していくことになりました。
河村市長は前政策を基本的に引き継ぎになるので、早速名古屋城木造復元の政策に着手し、ようやく着工工事への準備が始まろうとしています。
ナゴヤのレッテルが市民の意識調査で低いとわかって、自治体は焦りを見せている一方で、市民のそれは淡々としているようです。
ただ、ナゴヤブランドは、愛知に限らず、東海三県のブランドとしての、レッテルとしても評価されますし、相互連携でのブランド設計を意識する必要あるでしょう。
九州では、博多、北九州市が九州の玄関口としての役割に成功しているようですし、インバウンド観光として最近話題に上がる、北海道は地域のブランドとしての押し出しで、注目を集めています。
かつて京都がそうであったように、古典観光を謳い文句に今や不動の地位を築くように、インフラ整備を中心に長い目で成功体験をジワジワ気づく体制を、地域が意識する時代です。
今更言うまでも無いと言われるかもしれませんが、どうしてもチマチマする地域性の主張になりがちな思いは、県から地方単位の主張へ変わるべきタイミングになっています。
高齢者にとっては、不要という意識があってそれどころでは無い、という味方が主流の中で、周知の通り人口減少による行政バランスの偏りを再編すべき時代に、今更ながらも住民は意識のシフトを準備しなくてはなりません。
名古屋競馬場が弥富トレセン移転へ (サンケイスポーツ) - Yahoo!ニュース
名古屋キャッチコピーの発表先送り 天守木造化で再選考 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュ
月給18万円の忍者、応募が激減 売り手市場が影響?:朝日新聞デジタル
勢い余る名古屋ビジネス・観光の再開発ラッシュですが、一部には名古屋は観光娯楽では、どえらくなくてもいいんじゃね? というご意見がしれっと通る空気があるのも、これ名古屋の風潮なんでしょう。
東海3県初の「ららぽーと」、名古屋市「港区役所駅」徒歩2分に着工、三井不動産
名古屋市・ささしまライブ24地区内に複合施設「グローバルゲート」竣工
名古屋鉄道の新ビルがスゴすぎる!南北に400mの巨大ビル
こういったイケイケなタイトルも踊る中、中部という地理的立地は、流行を追うのには、どうしてもレスポンスが良くないのもネックです。
また、市民風土としての質実剛健が特色で、心配される東南海地震や浜岡原発再稼働の対策についての方が注目されがちです。
忘れたくないのは、再開発で流行を追った結果、関東圏の企業や海外資本流入によって、名古屋らしさを失うことに抵抗があるのかないのかですね。
これは東海地方に限らず、どの地域でも変わることと引き継ぐことのせめぎあいのバランシングは、存在意義そのものを問われるアイデンティティの価値に当る課題です。
地域によっては、企業や人の流入によってゴッソリ変わってしまうかもしれませんし、そのほうが幸せになれるかもしれません。
今後グローバル化する日本で狭いけどローカライズの価値がどれ程の評価につながるか、若い世代が中心になって住む以上は、真剣に自分の立場で考え直すべきところまで来ているのしょう。
ハッカソンに透けて見える、新しい教育のカタチ
ハッカソンという新しい言葉を、愛知で初春に行われたイベント記事で知りましたが、ハッカソンってなんのことでしょう?
「ハッカソン」多彩に 新製品開発や教育・採用にも :日本経済新聞
かいつまんで言えば、ソフトウエア開発者たちが集中してプログラミング制作の技を競うイベントのようですが、今までオタクだけの世界だったプログラミングで楽しむことや、実益の出る子どもから大人まで楽しめる、オープンな取り組みと言うことでしょうか。
楽しみながら、仕事を創り出す。
今までは思いつけなかった探し方。
中京テレビ×ハッカソン
中京テレビハッカソン「HACK-CHU!」に審査員で参加しました。 | toyoshiの日記
スマホアプリで選んで作る絵本でメッセージ 家族の絵本
お風呂をクラブに、のミラーボール クラブロ
PC操作苦手母さんに使えるボタンやレバー操作ボックス パソコントローラ
最優秀賞は?
家族の絵本が優秀賞、パソコントローラが最優秀賞を獲得しました。
この結果が重要では無くて、、参加者は日頃の問題をプログラミングによって解決するワークショップに参加しながら、楽しんで仕事をする姿は、大人だけで無くて、親子参加者も居たように、将来の仕事を創り出す新しい就活の一環として、スタンダードになり得るきっかけになっているようです。
今までの就活に必須だった高学歴と自動車免許取得のように、今後はハッカソンなどのITスキルの大衆化への試みは、国際標準語の英語スキルと共に就活の必須条件となるでしょう。
人口減少というかつてない深刻な対策課題が起こる中で、ITノウハウはそれを十分に補うキャパシティを有していますので、現実を受け入れ教育方針をより効率の良い方法に改善しつつ、当に誰も見たことのない将来性を創り出す未知のシゴト探しは、まるでトレジャーハンターにでもなったような、ワクワク感が起こって来るではないですか。
これはリタイアした高齢者にも当てはまるテーマであり、平均寿命が延びた事で、余りある余生を自分らしく生きる手段としての「知恵しぼり」は、新しいチャレンジとしては低リスクな楽しみ・社会貢献としての新しい手段でもあるのですから、そう考えるとこれからを生きる人は、ますます時間を持て余す暇などないのかもしれませんね。
ハッカソンで王国を救え!メ~テレ開局55周年記念「ハッカソン」×「番組」プロジェクト、詳細発表&参加者募集を開始!|メ~テレのプレスリリース
子どもたちを守らなければならないわけ
子どもたちを大人の搾取から守らなければならないわけは、一般通念的に片つければそれで済んでしまいかねませんが、その重要な意味や価値は子どもをお持ちでない方も例外でなく、お子さんをお持ちの親御さんならもちろん日々の暮らしの中で、子どもたちから多くの事を気付かされていて、実感のあることと思います。
九九を知らない息子の40÷5の解き方が天才的すぎる!その面白い解法とは、、、? – Hash [ハッシュ]
しかしながら、生まれながらにして選択の自由のない、弱い立場である子どもは、どうしても良くも悪くも知恵のある大人の搾取の影響を受け、可能性を失いかねないのが、まだまだ現実と言えます。
おそらく、今の半分でもその搾取から逃れられる子どもたちが居たとすれば、世界はもっと発展を遂げだでしょうし、良い意味で人工増加が進んで人類はもっと大きな発展を遂げてもいたでしょう。
父親が生後11カ月の娘の首を吊って屋根から落とす Facebook Liveで配信
子どもたちが大人の搾取を受ける大きな原因としては、そもそも連綿と続く子ども搾取の歴史に端を発しているのでしょう。
搾取する大人が子どもの頃に周りの大人から受けた搾取が原因で、大人になる過程で決定的なものを享受できずに大人になったことで、享受できなかった部分が子どものまま、成長してしまうためです。
では決定的なもの、と言うのは何かと言いますとある子どもは愛情であったり、
ある子どもは情緒だったりしますが、その受けた搾取の種類によって様々もしくは複数の、子どもが吸収しなければならない大事な要素を、受けられなくなっているわけです。
ただ、この搾取の連鎖を自助努力で必死になって克服されている大人も少なからずいることは敬服するところですが、原則経験のないものを継承することは困難なだけに、私たち大人は同じ大人の中に搾取の過去と必死に闘っている方居ることと、その理解をする優しさのようなものを持って、可能な限りそういった大人への可能性を認めていくと言う、協力も考慮していきたいものです。
こうした問題にこのサイトで筆者が往々にして触れるのは、幼少時のある種の搾取を受けた経験からくるものですが、幸運だったのは両親の愛情を受けて育って来れた事で、家族の温かみと言う部分に関してはたくさんの恩恵を受けて、大人に成れたことです。
なかなかこういった問題は理屈だけでは理解に乏しくなりがちではなりますが、搾取をする側の大人とされた側の大人のどちらの気持ちも理解できる立場であったことが、こういった問題意識を芽生えさせているのでしょう。
子どもの頃に搾取された経験から、今の子どもたちを搾取している、またはしようとしている方にはある程度の同情と、自身の可能性を狭めかねない危険行為を、ぜひとも踏みとどまって欲しいと、切に願います。
よしんば、単に自己の欲望を満たしたり利害だけの理由で、子どもたちを搾取する場合では、その罪の重さに雲泥の差があります。
その社会的・法的処罰においてはもっと国は区別すべきで、子供への犯罪を単なる結果においてだけ判別するべきでは無いと考えます。
その根拠はそもそも動機の根っこが異なるからで、精神的な改善に前向きに努力されている大人と、単なる欲望のはけ口にしている大人では、良心の呵責の度合いに開きがあるからです。
もちろん二元性で片付く単純な問題では無いでしょうが、世界に先んじて少子化の時代に突入した日本は、将来の可能性とその担い手である子どもたちに、今以上に高い関心を持って、たとえ他人の子どもであってもその価値を見直しする時期では無いでしょうか。
資本主義の世の中で生活する私たちにとって、子どもは様々な意味での投資価値のより高い存在になっていかなければなりませんし、ひとりひとりの子どものコスパを高める、社会全体での動きを模索していかないと、これからの経済社会は成り立っていかなくなるかもしれませんね。