映画レビュー『君の名は。』地方と東京との関わり
公開されて既にたくさんのコメントが寄せられている、話題のこのアニメ映画『君の名は。』都会と地方が舞台となるこの作品のレビューは、同時に筆者ブログの趣旨にピッタリでした。
映画を見るまで
筆者は今まで、ローカル関連であっても映画やドラマは滅多に記事にして来なかったのですが、前回記事でカミングアウトしたので切り替えてコメントさせていただきます。
前置きとして、同名邦画の名作との比較はしないで、純粋にアニメ作品についてだけに絞り込みますね。
実はこの映画の監督さんをつい最近まで知りませんでした、たまたま話題の中でabemaTVでこの映画の公開前に、監督の作品を一挙放送を知り何となく見始めたのが始めで、その作品をイッキに一晩で見通した翌日、最新作映画『君の名は。』を見たんです。
ここまで自分たちの普通の生活と、非現実の世界観が違和感なく感じたドラマは久しぶりでした。
見たあとの温かい気持ちはなんだろう? おすすめしたい気持ちともうしばらく自分だけのものにしたくなる気持ちがまぜこぜになっているのが今の率直な心境で、不思議な充実感を与えてくれた二人の少年少女を、忘れられなくなっています。
この映画、相当濃い内容で実は1回しか見ていない筆者は、どうしても何かで補足しなければ、十分堪能しきれませんでした。
そこで、見つけたのが……
映画以外の著作物を読んで
ご存知の方も多いでしょうが、加納新太氏なる原作者の一人と、同原作者・監督でもある新海誠監督の手による小説が並行して執筆・発行されています。
筆者はAmazonで購入しました。
前著は監督自身が製作中の間を縫って執筆しているだけに、とても新鮮で生き生きと文章化されています。(後著は、表題通り作品で語られなかった部分を埋めたものです)
筆者は映画を見てから読んだので、映画を記憶からトレースしながら読んでいたせいもあるかも知れませんが、逆の人はこの小説をどう受け取ったのでしょうか? 気になります。
既に映画を見た方は、お感じになったと思いますが、新海監督の真骨頂である「風景描写」の演出と、人物と舞台に広がる空気感の卓越した表現を、小説でもとても繊細な表現でしかも簡潔に書かれているのは、監督の類まれな情報分析力に舌を巻くばかりです。
都会と地方の落差を高校生の目線で捉えていて、これがリアルにイマドキの若者世相を捉えているのかはここで取り上げませんけど、ここまで多くの人に受け入れられたのは、それなりだったとは誰もが認めると思います。
都会目線で描かれている理由
下に貼った記事リンクが発端で今回の記事を発想しだしたのですが、確かに都会目線なのだけど、
今の時代、東京から発信された文化が流行となる仕組みがあって、その仕組みに抗う意味を持たせない空気がありますが、その空気を意図して肯定的に見せているんじゃないでしょうか。
それよりも実感したのは、都会ー地方に関係なく当たり前の常識を持つ高校生が描かれていて、ホッとする事。
神社は消失するものの、太古から受け継がれた結びの心はしっかり受け継がれ人と人が結ばれて未来は創られていく、という究極の真理は、都会も地方もなく今でも共通なのだという結論を、しっかりと受け取れるこの映画の、多重世界として捉えられたその舞台に、飛騨が選ばれたのは、嬉しい事でした。
その根拠を筆者なりに勘ぐるに、新海監督は長野県出身で、田舎の舞台風景は諏訪湖の風景が元になっている、では地名が飛騨になったのは、輪をかけ筆者の想像でしかないけど、脚本設計に参加している加納新太氏の出身が愛知県だったため、土地勘のある中部地方が盛り込まれたと思っています。
こうしたアニメ作品の舞台として、実際の地方が聖地化するビジネスモデルはすっかり定着しましたが、この作品では、敢えて地方モデルを複数から取り上げて、聖地化の可能性を見た人に委ねたと捉えることが出来ないでしょうか。
また、監督がインタビューで答える中で、作品の時間を今時の客に合わせて極力削った中で、省かれた父娘や母と祖母の関係の部分と、父と息子の都会的な妥協する関係を想像出来る点は、地方のしがらみの窮屈さと、都会の合理的な親子関係を具体的にしなかったことで、考えるキッカケにもなるでしょう。
アニメ製作期間としては短い部類のこの作品は、時間に変えられない多くの思いを凝縮して、最も効率よく製作された良作で、日本の文化として世界に評価されたアニメのこれからを示す、指標になるものと感じます。
CGが発達してデジタル化による合理化が進んでいる業界ですが、3K化の現実も垣間見る今、今後も新海監督のような才能が少しでも多く現れてほしいものです。
『君の名は。』が、感動のウラで消し去ってしまったもの 無邪気にこの作品を楽しむことへの疑問
東野圭吾作品の翻訳者から見た「日本語英訳」の難しさと魅力 コタツはどう訳す?
創作業界アニメも大変だけど、小説も
小説でも海外出版を積極的に進める動きは目立ってきていますが、上の記事で知ったことでは、日本語から外国語に翻訳する際の、日本特有の言葉のをどう置き換えるかで、相当の苦労があるようです。
筆者もゆくゆくは海外読者へのアプローチはしてみたいのですが、村上春樹さんのようなご自身で翻訳までされる方とは、差がありすぎるので、夢また夢ですが究極は原作者が苦労してでも、自身で翻訳したほうが、本来の意図が伝わるのではと思っていますが、翻訳を依頼する場合には、作品に向いた翻訳家との出会いは、評価の程度を大きく左右するのでしょうね。
ITやAIの発達で、コンピュータが小説書いたり、絵画を創作する時代ではありますが、創作は人として出来る最後の砦であって欲しいですから、人もコンピュータやネットを賢く使って、今まで出来なかった新しい連携を模索していかなければならないのかもしれません。
自分なりに名古屋を伝えるために、ブログ改造
くろま流✕NAGOYA式ブログご拝読、ありがとうございます。
来年のリニューアルを目指し、今年あと残された期間に実験を繰り返す意味もあって、中途半端な時期での宣言でございます。
ブログを始めてから一年経ったころから、ブログの見直しを少しづつ進めていましたが、今後も改善や自身の目標の具体化に合わせて、変えていくつもりでいます。
カイゼンのいきさつ
実は筆者、暇を見つけては小説を書いていますが(当ブログの隅っこに公開した小説ブログのリンクが、ひっそりあったりします)その小説で地元愛を示していけないか、とかなり前から考えていました。
ブログを始めたのも物書きに関わるきっかけを作りりたかったのと、自分はどのくらい物書きが続けられるのかを試したい気持ちからでした。
名古屋市には、観光文化交流局文化歴史まちづくり部文化振興室企画事業があって、名古屋界隈を舞台にしたショートストーリーを募集発表していますが、その試みも気になっていたり、そもそも小説を書くきっかけは、子どもの頃に見た「中学生日記」というNHK名古屋制作の番組や「アイコ16歳」という堀田あけみさんの青春小説や映画など、舞台になった名古屋の街に関心を持ったことからでした。
ストーリーもたくさんありますが、いままではなかなか発想と名古屋が結びつかずに、書いては止めが繰り返され、なかなか公開にに踏み切れないことがありました。
ストレートな記事紹介も一つの表現方法ですがえ、もともと好きだった方法で名古屋やその周辺の雰囲気を取り入れたドラマとしてアピールできたら、自分らしい方法がとれるのでは? と考えるに至りました。
一番の問題はブログで地域紹介をしてきましたが、文章を書くのに慣れてきた事で、いたずらに文字数が増えてしまい、読みづらい体裁になっている点で、文字を減らしたりもっとまとめればいいのですが、むしろ文章をまとめるのはもっと大変なのは、ブログを書いていらっしゃるひとなら承知のことだと思います。
また、書きたい記事も膨大になり、情報のまとめやテーマの絞り込みがうまくできなくなっていて、並行して進めるはずの小説執筆に影響が出ています。
カイゼンの内容
今後の方向性ですが、まだ具体的な段階ではないのですが、小説と連動した地域の記事づくりができないかと模索中で、その方向へこのブログで少しづつ変えていきたいと思っています。
定番のテーマ「MRJ」や「歴史観光」などは、別リンクでまとめて本ブログにはリンクで更新のお知らせをすることにします。
整理できたあとは、自分らしい表現方法として小説との連携を進めて、よりテーマに親近感をもってもらえるような発想もあり、くろま流とあるように自分らしさを模索していきます。
しばらくは、現状のレイアウトを続けながら、新しい方法を混ぜつつ変えていきますので、読みづらいなどご不便もあるかと思いますが、より文章量もテーマに合わせて変えていこうと考えています。
名古屋市への評価が少しでプラスになるように自分なりに考えて、失敗もしながら一歩でも成長していきたい思いは変わりませんが、今後とも、ご愛読お願い致します。
黒馬隆人
自動運転市場での日本が、世界に挑む産業の生命線
自動車運転の自動化は、大きく分けて自動運転システムの開発と自動車単体の開発がありますが、自動車では国内のメーカーも独自の仕組みをオプションで提供しだしているようです。
肝心なのは、地域ごとに、または全国的に自動車運転を可能にする環境システムで、信号や交通管理にまで波及するため、特に既得権益の厳しい国内は統一が困難と思われ、世界標準となればほぼ日本がその標準になる可能性は低いと言わざるを得ません。
そんな中でも、国内の人口減少による人で不足は、流通や運輸のサービスの低迷を呼びかねないために、トラックやバスなどからでも自動運転車の実用化は、待ったなしと言っても良いでしょう。
自動運転技術の現状
自動運転完成度レベルは5段階儲けており、自動運転のパイオニアであるアメリカ合衆国の「国家道路交通安全局(NHTSA)」が定義したものが標準になっています。
レベル0は、車の運転にコンピューターが全く介在しない状態。
レベル1は、自動ブレーキシステムやクルーズコントロールなどの機能にコンピューターが部分的に介在。
レベル2は、コンピューターがハンドル操作に関与する状態。
レベル3は、条件さえ整えばドライバーが監視する必要のない半自動運転。
レベル4は、完全自動運転が可能な段階です。
今のところレベル2から3の達成を目指して、各自動車メーカー大手がしのぎを削っている状態で、国家プロジェクトを進めるドイツが頭一歩抜け出ているようですが、自動車業界の外の、IT大手Googleが一気にレベル4に躍り出ようと、ビッグデータを解析し膨大な走行実験中です。
ただ、自動運転システムのみ開発する企業や、自動車を含め開発する企業、はたまた都市交通システムを含めセットで開発する企業など、企業戦略は様々な青図を描いており、2020年意向を目標にまだまだこの先どの企業が覇者になるのか、予測がつきません。
日本国内の取り組みとしては、交通網も含めた自動運転システムの構築を進めていますが、その実現には根幹になる制御データの一つとして、道路網の位置情報と、信号や取締システム連携が必要ですが、地図のデータをデジタル化するのには、膨大な人間による調査ととのデータの入力が不可欠なのです。
過疎の街を救う壮大なプロジェクトとしての完全自動運転の実現は、考え方によっては早期実現が可能で、実際に広大なクローズドである大型商業施設内では、既に来客者の移動に使われていますし、さらに少数移動であればゴルフ場内のコース移動に利用されています。
つまり、公道以外の限定された区域内の移動に限定できれば、低速で移動で問題なければ、目指す技術の開発は敷居を低く低予算化が見込めると言う事です。
またしばらくはシステム管理や、交通網監視などに地方の雇用が見込めるなどの副産物も生まれてくる期待が持てます。
一端データ化できれば、GPSで位置を精密に測定するだけで誤差を補正できないため、自動車にカメラやセンサーを取り付け、誤差を補うわけですが、その他、道路上にマーカーに当たるビーコンを設置したり、車に、予めマーカー情報を記憶させて照合したりしているようです。
こうした自動運転のシステム化は、今しばらく時間がかかるでしょうから、その間に物流を除いては、移動手段のミニマム化も進んでいくと思われます、特に日本では人口減少と道路網の過疎化においては、自動化の前により簡易な位相手段と相手のコミューターが求められるでしょうし、EV化も小型車のほうが開発負担も少なく現実的です。
自動運転実用化の早道とは
また多くの乗客をまとめて運べるバスや、鉄道網もハイブリッド化していくと思われますが、公共運送の発達はヨーロッパ諸国の方が進んでおり、日本は学ぶところが多いでしょう。
ただ日本国内でも、今過疎部で重宝されている小型で低床のミニバスは、至るところで見受けらますし、2台分の輸送力を発揮する連結バスやRTなど、既存舗装路を利用出来る交通網は、経路の合理化だけで実現可能なものです。
トヨタ自動車のお膝元愛知県では、トヨタが力を入れている水素燃料電池車の開発に伴って、官民合同で水素燃料供給に関するシステムの開発を進めています。
水素燃料電池車がEV車の主流になるかは、もう少し様子を見守る必要がありますが、国内でも比較的大掛かりな事象実験が絡んでおり、世界で見てもこれだけの積極的な事業化は類を見ないため、世界に与えるインパクトはそれ相応にあると思われます。
秘密性が高く何かと噂を呼んでいた、米APPLE社の自動運転車構想が、主要開発者の脱退で頓挫しているように、こういった大手優良企業でさえ先行き不透明な状態に陥りかねない、自動運転市場はこの先近いうちに何らかの決着はつくのでしょうか。
かつてない移動手段の根本からの大改革だけに、これまでの資本構造がひっくり返りかねない節目に、この先行方は誰にも予測ができませんが、日本も今が正念場と言えるでしょう。
消すな職人技、生き残りの秘策。特集の込める思い
私たちの国が世界の中でも今までは技術面で優秀だと評価されてきましたが、情報技術の発達で世界が丸見えになっている現代では、果たして優秀なのでしょうか。
愛知県は全国でも屈指の製造産業のメッカのひとつでもあるのですが、地元TV放送局でもその優秀な技術を持つ企業を紹介しています。
工場へ行こう!|テレビ愛知
こうした、地場産業に焦点をあてて地場の産業活性化を盛り上げる試みは、おそらく各地のTV局でも実施されているとは思いますが、この番組もドラマ仕立てありで子供から大人まで楽しめる、良い内容になっています。
さてその中で、テレビ東京、ガイアの夜明けを久しぶりに拝見しましたが、今国内で四苦八苦する優秀だった技術文化の現実を見せつけられましたので、内容をトレースしながら地域創生と私達の残すべき技術文化を考えます。
優秀な日本技術の精度
東京葛飾区 葛飾区 ここに 創業65年の老舗企業があります 北星鉛筆 鉛筆を作っています。従業員28人の小さな町工場ですが、年間2000万本以上の鉛筆を作っていて国内生産の10%を超える数です。
専務の杉谷龍一さん。ここ40年ほぼ変わらないやり方で鉛筆を造り続けてきました。一番大事なのは芯を入れる為の溝を掘る工程で、板を2枚合わせて覗き込んでいます。
溝を掘る位置をいかに微調整するのかが腕の見せ所で、道具は長さ5センチほどの砥石を使い 溝を掘る歯を1/1000ミリ単位で研いで調整しています。少しでも中心からずれていると鉛筆で書いている時に、芯が折れてしまうことがあるのです。
品質を左右する大切な作業。完璧に貼り合わせられた板に接着剤を塗り、芯を入れ もう一枚の板を貼り合わせます。それを切断すれば 鉛筆の出来上がり、職人の腕がよくわかるのが外国製品との比較。北星の鉛筆は当たり前のように芯が中心に来ています。一方中国製の多くはズレていて書いている最中に折れやすいといいます。
しかし日本の鉛筆は少子化やペーパーレス化の影響で生産量が激減しています。ピークの昭和44年と比べるとなんと7分の1です。まわりの創業者が次々と廃業していく中、北星は生き残りをかけて新製品を発表しました。
それが「大人の鉛筆」100万本を超える 大ヒット商品です。押し出すとシャープペンシルのような鉛筆の芯が繰り出されるアイデア商品。長年培ったノウハウを活かして開発しました。持ち運びしやすく 鉛筆のように書き方次第で濃淡を出すこともできる、大人のノスタルジーを刺激しました。
これまであえてシンプルだった大人の鉛筆、それに模様が付いた新製品がラインナップされようとしています、それは和風テイスト。そこにも狙いがありました。これから増加を見込める外国人観光客へ日本の文化と高い技術をアピールするためです。新しい大人の鉛筆は9月末に発売 される予定です。
老舗靴メーカーの創意工夫劇
私達が履いている靴が出来上がるのに、一体どれぐらいの会社が関わっているのか? 皆さんご存知ですか。靴はアッパーとインソール、アウトソールの3つのパーツから出来上がっています。では靴は3つの会社で作っていると言うと、そうではなく、アッパーを作るだけでも材料裁断、それを縫製しますし、インソールはさらに幾つかのパーツに分かれていて、それぞれ別の会社で加工したものを貼り合わせて出来ています。アウトソールでも材料裁断からパーツを着ける会社がそれぞれ在ります。さらに、3つのパーツを組み立てるのが別の会社です。一足作るのに材料調達を含めると10以上の会社が関わっているそうです。
しかし現在国内で流通している靴の日本製の割合はわずか8%、多くの会社が窮地に追いこまれています。そんな中、日本の靴業界に新風をおこそうと果敢に挑む人たちが居ました。
神戸市長田区この街は日本有数の靴の産地として知られていて、中小ざまざまな関連企業が集まり、パンプスやブーツと言った婦人靴の製造に強みを持っています。
そんな街で話題の靴が手がけたのは地元出身、Jay Jayジャパンの社長安藤友介さん。取り出したのは見た目普通のスニーカー、ジッパーで上と下がくっついている靴ですが、ソールからアッパーを外せると言う靴です。
着せ替えができると言うキャッチフレーズで、ジョニーアンドジェシーブランドで2015年から発売。価格はソールが6000円から、アッパーは3990円から70種類もあるアッパーを揃える。
「海外旅行に行くとき、パンパンに荷物を詰め込むが、靴は履いているもの1つだけ。気軽に持ち運びがでくきれば面白い靴の切り口になる」このユニークな着せ替え靴、靴の街長田だからこそできる製品だと安藤さんは言う。
安藤さんのアイデアを形にしたのが、長田に工房を構える大谷巌さん職人歴30年、図面を見てサンプルを作る専門家です。安藤さんが持ち込んだ新しいアイデアの打ち合わせ。セパレート、切り返しをやってみたいと、大まかにソールと二分割したアッパーのイメージを説明、それを大谷さんはすぐ理解して、即興である材料でものの一時間でサンプルを作ってしまいます。
「形にするには大谷さんがいないと絵にすら書けない」と全幅の信頼を寄せるほど、無くてはならい存在。
大谷さんも安藤さんにはあ自分と同じアツいものを感じる、と共感し協力歯ていると言う。新しいユニークなアイデアが、世に認められれば、何か起爆剤になるのがこの業界ですと語る。
靴職人大谷さんが若い安藤さんに期待を寄せるのは、最盛期長田地域で昭和50年代には8000人の従業員を抱えていたが、今年では2000人、生産量もピークの5000万足あったものが、平成過ぎから激減、今では2000万足を切る低迷さだからこそ。
東京銀座、エストネーションで腕利きのバイヤーの展開するセレクトショップを訪問、接触する安藤さんは着せ替え靴の商談に。対応したのはバイヤーの田中成美さん、メイドインジャパンと言うのはクオリティー的に安心できる、と材料・品質面は合格するが、履き心地に違和感が。つま先が当たるような感覚を指摘され、締め付けられるような感覚あると。つまりジッパーに指が当たらないように保護するウレタンインソールのつま先の、ドーム状の覆いががつま先に当たって違和感を感じたようで、インソールを根本的に見直す課題が出た。
6月大阪市中央区、ドリーム・ジーピーと言うインソール専門メーカーに即日相談。ソールの試作づくりに、足に優しい設計で知られるメーカーに相談を持ち込んだ。30000人の足のデータを利用して、出来るだけ多くの足に対応できるよう再設計し、かかとのくぼみを深くする事で、足がつま先にズレないよう工夫。その結果つま先にゲートを作らずに済み、ジッパー対策はソール周辺にフチを付け、足を取り囲むようにしてある。
7月下旬、インソール改良に向け新しいアイデアを大谷さんにサンプルを依頼、それは靴とサンダルを両立させるものだった。
8月、それを引っさげて安藤さんはアメリカラスベガスへ、リバティフェア、百ものブランドが出展し一万人のバイヤーが集まる見本市に打って出た。新製品は現地バイヤーにも評価は高く、20人のバイヤーと名刺交換し、おおきな収穫を。
9月、東京新宿店舗エストネーションにも着せ替え靴が展示され、大きく目を引いた。
縫製工場を救う取り組み
ファクトリエでは縫製工場に自社製品を作ってもらう仕組みを考えました。
通常縫製工場はメーカーから発注受け、それに合わせ服を製造し、メーカーへ納品するが、ファクトリエでは縫製工場と共に製品を企画し工場の名前で販売。工場の自社製品のために自社で設定した適正な価格で販売できるのが強み。
シタテルは、セレクトショップと縫製工場を結ぶ取り組みをする。
つまりセレクトショップはオリジナル商品を作りたくても、協力工場を開拓するのが困難だったが、シタテルが仕事を引き受けたい工場を集めて登録し、依頼側の発注を競売する仕組をネット上に作った。
東京都渋谷区、NUTTEヌッテを立ち上げたステートオブマインドショップと地方職人を結ぶ事業を開始した。かつて個人縫製職人だった社長の伊藤悠平さんが2年前立ち上げた。ヌッテは個人が独自の服を依頼するニーズが多いことを活かすビジネスモデル。
伊藤さんが会津木綿という生地メーカーの発掘に出るや、ユニークな素材を発掘し、サンプルをネットで登録した職人に購入してもらって縫製に役立てる仕組みも取り入れた。
これにより地方の優秀なのに仕事が貰えない零細工場や、個人の職人秋田の28年職人歴の縫製職人が、ヌッテに登録しそこから東京アパレルの募集する仕事を請け負ったり、ネットワークを使って富山の個人デザイナーが発注したデザインを、宮城の個人販売者が購入した会津木綿で、縫製し制作費は子供服一着で一万数千円程。
腕のある職人は、経験を活かし木綿をお湯で洗って縮みを見て、乾燥や歪みを測った上で縫製を開始、実験では一割も縮む事が分かったが、その生地の性質を見極めて型紙を修正したり、ストライプ柄のため縮みで歪んだ柄をアイロンで直してから作るなど、熟練らしさを遺憾なく発揮し、発注者は生地代含め二万円でサンプルを作れた。
それを富山の個人販売者が、地元の個人販売を協力してくれているショップで展示、お客の反応も上々なのを確かめて、量産を決定するプロセスが出来上がる。地方の子供服ブランドを立ち上げる彼女は、こうしてセレクトショップ事業も展開出来るという。
ヌッテの伊藤さんは次の一手、染色職人とタッグを組んで、既存服の染直しやオリジナル商品の染色を依頼する事業を展開予定と言う。
今でも国内には伝統工芸や精密技術の分野では、誇るべき技術力である「ジャパン・クオリティ」が残っています。しかし日本の若者の目はITや三次産業、大手企業・公務員の分野に目が向いており、技を伝承する職人への関心は落ちる傾向にあるようです。
もちろんこの傾向をせめることはできませんし、むしろ情報が蔓延する現代では、無尽蔵の情報に振り回される若者の境遇は憂うべきことなのかも知れません。
ただ、技術力を売り物にしてきた産業分野を主軸にしてきた都道府県では、深刻な技術者不足は死活問題であり、更には地方都市の技術力の活用はプロデュース出来る人材もおらず、このままは消滅を待つばかりでしょう。
ここで将来のある新しい世代に期待したいのは、技術力の継承もさることながら、今ある「ジャパン・クオリティ」を世界に売り込むコミュニケーション力です。
かつては、日本人材の多くが一次二次産業を主軸にし、地場の学校教育も卒業後は地場産業を継ぐような流れになっていました。その流れが高度経済成長期に都会流出で三次産業が発展、2次三次産業は大手企業の発展を助長してきました。
その結果日本の高度な技術力は、海外へ届くところとなって今の評価につながっているのは間違いないのですが、中国などアジア近隣諸国へのノウハウの流出で、技術力だけでは競争できなくなっています。
私たちは今後も受け継いた高い技術力とそれを生み出した気質を、どのように継承・活用していくかが問われる時代に入ってくる時代に既に入っている今、教育を通して職業の選択肢の多様性について、伝える術を真剣に学ばねばならないのです。
筆者の住む愛知県は、文字通り二次産業のメッカであり、製造業無くしては成り立たない自治体ですので、この脅威は決して他人事でないだけに、観光事業に力を入れだそうとする一方で、しっかり地場産業の発展においても、各自治体での役割を見極めて堅実に発展しています。
ガイアの夜明けで紹介されたような課題で注目するのは、こういった日本のお家芸を守る側の人材は多くとも、それを世界のニーズにマッチングさせる人材の不足が、技術伝承以上に深刻だという現実的です。
日本も豊かになった今なら、若者は海外に目を向けてもっとグローバルな考え方に馴染む機会が多いように思えますが、冒頭でも書いたように実際は安定嗜好に傾いている残念な情勢です。
公務員など本来は一定量居れば良いし、企業の市場拡張には海外進出は肝なのに国内勤務を切望したり、若いうちから安定しているからと内向きに将来を見据えてしまう世相が、更に日本のガラパゴス化を助長しています。
ものづくり×設計士集団、光学の板橋区再生へ
WBSでも国内に残存する技術を活かす試みを取り上げていて、区役所内に新設した部所に「板橋区ものづくり企業活性化専門員」として大手で働いた技術キャリア人材を、区が確保し、研究費を賄えない地元中小企業のブレーンとして派遣する制度を紹介しています。
iPhoneの高性能化で一眼レフに劣らない表現力を使って活動する写真家の例を挙げ、ある写真家が歪みの少ない広角レンズの開発を依頼した中小企業と、その在籍する東京都板橋区がかつて「光学の板橋」を誇っていた時代の活力をとり戻す試み。
拝見すると、日本の保有する技術がいかに尊く、同時に優秀な技術者の高齢化がいかに危機的なのかを、まざまざと実感できて裏返せば都心の自治体であっても、排水の陣で危機を乗り切ろうとしている姿が、とても印象的でした。
このような「失われる高度な技術・ノウハウ」の維持や、新しいニーズとのマッチングへの課題は、今国内のいたるところで取り組まれようとしているものの、危機感さえ感じない自治体がまだまだ多いことで、国内全体の危機感が希釈な印象がもどかしい現状を、自治体は見直さねばなりません。
まずは、伝承が間に合わない現実に対しては、失われていく尊い技のアーカイブ(保存・保護)をどのようにすすめるのかを、すぐに具体的にまとめ地場企業や職人に提示すべきでしょう。
今あるIT技術で、あらゆる手段での保存はしやすくなっていますし、ノウハウの数値化・データ化は多くの手間お時間を要するので、人口減少の中で安に公務員を増やすよりも先に、せめて増やすのなら保存に要する人材確保を優先すべきでしょう。
一旦保存に間に合えば、そのアーカイブはその地域のとてつもない財産になるのですから、そうしたうえで技術者の人材育成を進めても十分間に合いますし、技術をもっている人々の本望でもあるでしょう。
地方が生き残るということは、都市部の生産能力と勝負することではなく、その地域の培っていた得意分野を可能な限り、保存し引き継ぐことに尽きることに、これらの番組特集は、アツく語っているのです。
『職人魂』 杉田コレクション ダイジェスト
春夏秋冬だけじゃ足りない、地域を甦らせる活用
地域創生で何かと話題になるのは、過疎の住民対策と活性化に尽きると思いますが、国内の地方で過疎地域特有の自然の豊かさや、四季の移り変わりを武器にするには、どのような発想がいるのでしょうか。
日本の春夏秋冬が、過疎地域のイメージアップになるか?
少子高齢化の時代には、様々なインフラの合理化が叫ばれるようになっていきますが、合理化される上でも住居の間引きや、高齢者向けに立て直すためには、単に自治体が税金だけで賄うにはあまりにも心もとないものです。
その実現には何らかの事業化によって、採算が採れるようにしなければ頓挫してしまうでしょう。
一般的に思いつくのは、住宅メーカーによりリフォーム事業を行うか、不動産企業と介護起業者との提携による有休不動産の転用などが考えられますが、今のところそういった事業を進めようとする企業はあまり見受けられません。
やはり自治体の明確な用途地域計画が提示されてこそ、民間企業は採算が取れるかをはじいて事業化していきますので、いかに早く自治体が動いているという安心感を持たせなければなりません。
他にも過疎地域の活用には、いろいろ考えられると思いますが、今回は土地や風景、季節を取り込んだ活性化で地域の魅力を上げていく方法について考えます。
ある地域では、夏は得意だが冬は……とか、その反対だったり、春夏秋冬を通して安定的に収益につながる手法は悩ましいところですね。
過疎化する地域に今後も住まう場合、昔から過疎化する部落というのはあったように、消え行くまちに住み続けることは、始末の問題などある程度覚悟が必要になるでしょうし、支える人たちのほうが減る以上、生まれ育った地域を諦めなければならないケースのほうが圧倒的に増える筈です。
不幸にも災害で生まれ育ったまちを離れなければならなかった人も含めて、故郷を去る選択は大きな負担であり、精神的にも痛手ですが、それを余儀なくされた時に、何を残して行くべきかを考えなければならない機会が訪れるとしたら、どうでしょう。
いみじくも筆者がたまたま見たアニメ「君の名は」でも山間部の街が流星の落下で消滅するシーンがありましたが、村祭りの日に多くの人々が消えるシーンがあります。
アニメでなくとも同じような現実が神戸や東北・九州で起こりましたが、災害でなくともダムの建設や人口減少でまちは消えていくのです。
突然の災害ではどうしようもありませんが、事前の計画でまちを去らねばならなくなった時に、シンボルなり記念碑を残したまちもありました。
過疎化の進む地域は、自然豊かな場合が多いですから、その自然の良さを生かして魅力を引き出せれば、まだそこに住まい続けられるかもしれません。
また、過疎化した山間部や地方の豪雨による被害防止の治水対策、地方雇用の促進に、ダム建設を再考しても良いのではと
元国土交通省河川局長 竹村 公太郎氏(別記事抜粋)
日本には非常に多くのダムがある。大きなものでは、国が直轄している多目的ダムから、都道府県が管轄している小さな砂防ダムまでさまざまだ。そのどのダムについても、水力発電に利用できる。
ダムが大きければ発電量が大きくなるし効率も良くなるが、小さいダムでも発電は可能である。ダムの高さが10mクラスの小さな砂防ダムでも発電は可能で、100k~300kWほどの電力は簡単に得られる。
たとえば200kwというと小さすぎると思われるだろうが、実際にはバカにならない。なぜなら、砂防ダムの場合、ひとつの渓流でいくつも存在しているからだ。仮にひとつの渓流に5つの砂防ダムがあれば、そのすべてで発電できる。200kwだとすると5つで1000kwになる。
さらに、ひとつの川には、いくつもの渓流が支流として存在する。支流すべての砂防ダムの数を合計すれば数十になることも珍しくなく、そのすべてのダムを発電に利用すれば、何千kwにもなる。この発電を、過疎に悩む水源地域の活性化に生かすこともできる。
こうした状況が日本中の川で存在しているわけで、一つひとつの川のダムの発電量が数千kwでも、日本全国で見れば膨大な電力となる。日本には多数のダムがあり、全国で新たに中小水力発電に利用できる箇所は、調査によってさまざまな数字を挙げているが、どれも数千のケタに上る。
たとえば、2011年に環境省が行った調査では、出力3万kW未満の水力発電を新たに開発可能な場所は2万カ所以上あり、そのすべてを開発すると、総電力は1400万kWに上ると試算されている。
中小水力発電の潜在力は非常に大きいのだ。
ダムでまちが消えるというのは、ひところでは悲しいイメージではありましたが、咽喉減少していく地方にとって、ダムの活用を考えうのはむしろ一つの選択肢と考えられるようになってきたということです。
その他にも、継ぎ手の減少する林業では、間伐材の活用用途も増えてボイラーなどで小規模でも、火力発電や暖房などの熱エネルギーを賄う利用方法が注目されていますし、温泉施設のボイラーに利用されたりしています。
大自然の景色を観光が、農村・林村のイメチェンに。
先日久しぶりに香嵐渓方面へ車を走らせ、足助城へ行ってきましたが、何度来ても三河の森は癒やされると実感できます。
愛知県の東に広大な森林地帯は、三河林業の屋台骨でもありますが、北は木曽ひのきや、信州の銘木が採れる昔から続く名だたる日本の材木生産地のひとつでした。
日本各地には豊富な林材が採れる地域が存在し、木を切り使い育てるというサイクルを引き継いできました。
今その林業が海外からの安い材木に押されて、宝の持ち腐れになっている現実は、足助城の立つ山の上からも、伐採放置した光景を見ることで理解できます。
木とともに生きてきた私達日本人は、グローバル化の波に飲み込まれようとしている今こそ、原点に帰ってアイデンティティを見つめ直し、国内の財産に目を向け最新の技術で利用する、新しい道を進む必要があると思います。
しかしながら現実は、単なる企業利益の追求に始終し、日本の特徴を突き詰められずに、海外との惰性的な勝ち負けに始終する迷走をしているように見えてしまいます。
農林水産物の自給率は異常に低い現実を、真に見なおされていないばかりか、偏った外交による産業構造の歪みは、戦後経済急成長をさせた代償でもありますが、大国の傘から脱皮をはかる上でも、自給率の正常化は大きな命題です。
国としての自給率見直しを推進し、一次二次産業を適正化すれば、まだまだ日本の天然資産の適正消費は可能で、それだけで自給率は格段に向上するはずですが、何が足らないのでしょうか。
地域のまちおこしの政策を、政府は結局は実施しているのですが、結局肝心なのは自治体の個々の方針であり、地域の売り上げをボトムアップするには、景気に左右される事を織り込んで自治を進めなければならいないと言うことです。
政府が発表するイベントや一過性の流行に乗るのは、それはそれで一施策として必要ですが、地域主導で進めていない施策は、注目される分は絶大ではありますが、特別ボーナスとしては期待できますが安定した収益に結びつけるには効果が出せていないようにこの記事からは受け取れます。
サミットの影響「プラス」26%どまり 三重・愛知企業 : 日本経済新聞
愛知の海外進出企業数、昨年末は調査来初の減少
愛知の海外進出企業数、昨年末は調査来初の減少
http://mw.nikkei.com/sp/#!/
article/DGXLASFD09H3J_ Z00C16A9L91000/
ニュースでも騒がれた爆買いで一時売上が上がったのも同様で、予め予測されていた上でその対策を講じられていない企業や自治体は、その不用心さを猛反省できているのでしょうか。
地域の本質や特徴を見極めた景気の基礎体力作りを、地方の自治体・企業は真面目にやらないと、
こうした反省からも自治体は政府の政策に依存しない体質づくりと、地場を精査した上での主たる産業を保護し、安定させる政策を軸にした基盤づくりがカギになるはずです。
また、
大自然の景色を観光に生かす、農村・林村を甦らせ地元の特徴を際立たせる技
2016/3/31 15:15:546億6千万円をかけて森だけしかなかった山村が、アウトドア施設で復活させていこうと、町おこしに力を入れ出しています。
豊富な木と、林業で培った木の良さをいかした観光施設の創生。
GWにむけて、
福井県池田町
森の中にワイヤーを張って、480mの距離を50秒で高低差を利用してかけ下るアトラクション、メガ・ジップラインを建設中
510mも増設され、これを核にしてアウトドア施設を山の中に作って3700円の利用料金で込み、年間7万人を見込む計画。
地元料理、獅子鍋もモニターに好評
またウッドハウス、ツリーハウスを来訪者と一緒に増やして、リピーターを育てる案もあるそうで、長期的にファンを増やす工夫も盛り込まれている。
その他にも、既に他の地域では、成功例もある。
滑り台1.2km
吊り橋、バンジージャンプ、川下り
季節の変わる自然の豊かさかを武器にする。
元々消えかかっていた、地元独自の無形文化財やf日本独自の風習を復活させる試みも同時に行われ、地元民の意識高揚と地域性を高める工夫も忘れない。
材料も人材全て地元付近の業者や自治で賄えば、雇用も見込める。
以前スキー場の再生請負人の記事を流しましたが、その時と思いは同じで、地域を地域の特色を生かした再生に成功している。
加えて、ここでも単体の自治では困難なら、近隣の自治体と共同で行えばリスクも折半できるし、地域の交流の増加にもつながると言うもの。
また、地域での観光役割の分担も確認しやすい、狭い地域でサービスが競合しては、なにかと不都合な事も多い、これを事前競合でさける狙いも考えられる。
このケースでもそうでしたが、一人の主導者を決めてその独断で進めるスタイルが多いように思います。
発想自体は、片に数人でアイデアを出し合っていると、なかなか核になる部分が定まらず士気も落ちてしまいます、リーダーにはそれなりの負担が大きいですがこの方が重い腰を起こすには、むしろ好都合なのかもしれません。
そこでしか体験できないものを提供する。
参加型のアトラクションで、リピータを育てる。
本来は国か、地域の主要自治体の地域計画のなかで、行うのが望ましいし周りに気遣う日本人らしいとも思うが、ことのほかそこまで中央は手が回らないのかもしれませんので、各自治の積極性が試されているともいえるでしょう。
森の中の良木を見つけるのが困難なように、見慣れた故郷から魅力を見つけ出す行為は、また日本でしか味わえない良さを日本人が発見するのは、結構骨の折れる作業なのかもしれません。
日本は狭い島国と言われはしますが、現在47都道府県に分けられているのは、歴史や政治的経緯もあるにせよ、同じ日本人でも多様性がある国だからでもあります。
つまり、ひしめき合いながらもそれぞれの地域が手を組み、また競争しながら絶妙なバランスで成り立ってきた経緯からも、細かい個性が万華鏡の色ガラスの様に入り混じって調和を保ってきました。
しかしこれは歴史的に見て、時の政府が統一をした以前からバラバラでも一国一国として、調和を保っていた事を今見直さなければなりません。
アメリカで言う連邦制の様に、自治体が治政や交易を独立して行い、小規模な地域でもそれなりに成立していた事実があるのですから、時の政府の集権化がもたらした統一は、独立国から自治能力を削いできたということではないかと思います。
さて、その流れからも「地方創生」は政府がキッカケをもたらしてはいるように見えますが、本来時代の流れからも遅かれ早かれその波は来ていたでしょうから、地域自治は地域住民との民主性にて正面から地域の将来だけを考えれば良いのではないでしょうか。
それは様々なリスクを背負う事になりますが、どの世間でも自由とその責任はセットですし、しがらみを気にせず地場の問題だけに向き合えるメリットはとても大きいように思えるのです。
こうした気風は、中央から離れた北や西の自治体ほど強いようですが、ITで世界の情報を共有できるようになった現代では、単に政府に逆らうとか、無謀な勝負を仕掛けるとかのピーキーな施策をする危険性は十分予知できます。
それよりももっと生産的な手段で活かし合う政策を目指す方向を選べるので、その懸念を持つのはむしろ海外進出に回すべきでしょう。
国内でやるべきは活かし合う事、国外ですべきは個性を際立たせ強調する事であり、その修練に集中すべき時が既にきていると言えるでしょう。
そのためにポジティブに柔軟に、個性を見極め世界の現象を見極め、同じ目的遂行にあたっては、したたかに連携して小国たりともさらに「ジャパン・クオリティ」を御旗に、世界市場でも小粒でもピリリと効く何とかの様に評価される国であってほしいものです。
[参考記事]
「斜陽」×「高齢化」の可能性 新聞屋がドローン飛ばす理由 - Yahoo!ニュース
日立システムズとみなかみ町、農業ICTによる地方創生モデル共同推進で合意 | マイナビニュース
http://news.mynavi.jp/news/2016/02/29/270/
みなかみ町と日立システムズ、農業ICTによる地方創生モデルを共同推進 | BCN Bizline
http://biz.bcnranking.jp/article/news/1602/160229_141594.html
総務省、地方創生とICTで事例表彰とシンポジウム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉:日経BPオールジャンルまとめ読みサイト
http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/02/01/04069/?ST=mobile
野菜でまちおこしを | 東日新聞
http://www.tonichi.net/news/index.php?id=52176
岐阜県:ジ・フーズリニューアルオープンに向けた野菜市開催
http://www.pref.gifu.lg.jp/event-calendar/c_11444/renewopen.html
ラベンダーでまちおこし | 東日新聞
http://www.tonichi.net/news/index.php?id=53075
名古屋港と日本のアジア圏における燃料の未来
国内の産業から私たちの生活を支える燃料の安定供給は、エネルギー産出国でない以上は、一方的な輸入に頼らざるを得ませんが、石油よりより精製コストの低い天然ガスの需要が増大しており、その「燃料」の輸送には船舶が活躍しています。
この入手ルートの海域が昨今某国の国際ルールを無視した動きによって、リスクの拡大が心配されていて、日本はあらたな販路開拓に余念がありません。
数年前突如沸き起こった、アメリカからシェールガスを輸入する手段が消え、中東からの燃料調達だけではリスクが高すぎるなかでの、ロシア極東部からの天然ガス輸入という北ルートの選択は、今まさに行われているプーチン大統領と安倍総理の進めている北方開発の交渉次第です。
また日本の広大な領海域での、固体化したメタンやシェールガスなどの新エネルギー資源の発掘や、エネルギー化への技術研究も積極的に行われ、海洋資源においては文字通り郡をぬいて「海洋大国」と誇れるものです。
運営ノウハウでも注目されるのが、ノルウェーの進める船舶単位での総漁獲量取り決めによって、獲りすぎをコントロールする方法など、某国を巻き込んで海洋収穫物の管理協定を、どうまとめるかが勝負です。
これによって、沖ノ鳥島に発見された海底埋蔵燃料の資産管理にも及ぶ、海洋資源の国際協定を固めることでの、一方的な理不尽極まりない海洋侵犯を抑止していかなければなりません。
この抑止は日本がイニシアチブをとることが重要ではなく、太平洋から恩恵を受けているすべての国々を巻き込めれば、日本の役割は達成できたも同然で、あとはどこかの国がまとめてもいいことです。
その範囲を食料資産だけでなく、燃料資産も並列して管理対象の枠に入れることが需要で、いくら日本の領海内のものであっても、それをトリガーにして共有割り当てを緩和して、積極的な参加を促す武器になるでしょう。
そのためにも、いまだ残る欧州管轄国との交渉を引き合いに、中国をけん制しつつ枠内に取り込む手腕が必要ですが、ここに私欲前提の交渉ではなく、日本お得意の相互を納得させる三方よしの戦略が求められます。
アジアでは、日本だけでなく韓国やインドでも高い価格でLNGを購入しており、電気料金の価格競争の始まった日本では、今後発電用燃料の安定供給を進める上で、LNGを国家戦略として掲げ、低コスト化を図ってアジアでも一歩先んじる動きがWBSで特集されました。
重油から発生する窒素酸化物なふぉの汚染物質船の業界でも国際的環境規制始まろうとしている、船のLGN化の先駆け、国内では液化LNGを補給できるのは横浜港だけ。
政府も船舶のLNG燃料化へ動き出すニュースがWBSではいけんしたmした。
川崎重工は先をアジア圏LNG需要増大を見据えて、中国でLNG船
IMO規制強化検討2020年アメリカ欧州での先行規制強化を始めており、日本郵船は南通
で川崎重工との合弁でLNG Powerdの大型3800台搭載可能の造船中、まずは欧州への納品へ。
中国は2割コスト低くでき、商機
韓国でもビジネスを韓進重工業の港でLNG(液化天然ガス)供給船を稼働中で、日本郵船は実績を積んでいて業界でLNGの安全性を主軸に、理^だーしっぷをけん引する予定。
名古屋港も中国南部やアジアとの貿易が盛んではあるが、LNG化推進にいつ頃参戦し港としてのあどばんでーじを持つことができるか。
船舶(特に自動車搬送)LNG化は今後のトレンドb時ネスモデルとなるか。
世界でのLNG燃料の普及率を見るに重油からの次世代主燃料に上がっているようだが、窒素酸化物の少ないLNGは、いやでもカナダ・欧州では必須化していく流れ。
これがアジアや中東・中国などの石油圏とどうすみわけしていくか?
西沙・南沙諸島などのような東南シナ海の中国了解主張は、仲介審議ではフィリピンに軍配が上がったにせよ、中国のメンツ政治はそう簡単に認めないだろ。
海域封鎖や、強硬な圧力を今後も一方的にかけてくることが予想される中で、綱渡りのようなアジア圏の海域貿易は、日本にとってかつてないパワーバランスとの駆け引きの大きな課題です。
アジアでも有数の荷物取扱量を誇る日本の中央に位置する名古屋港も、今後積極的なLNG燃料供給基地へのアプローチが急がれます。
港を持つ愛知県・伊勢湾工業帯として火力発電などでも連携を持つ三重県との産業連携は今後注目していきたいところ。
特に伊勢志摩サミット機に、観光産業を促進加速する三重県はこの先工業面でも躍進するチャンスだけに、愛知県と上手く音頭をとって成長化を加速させたいところです。
いづれにしても「海洋大国」日本にとって、海に存在する「道なき道」を管理保護する体制は、中国の"新皇帝"習近平がねらう「日本潰し」、そして「パックス・チャイナ」という野望の圧力の有無にかかわらず生命線になるでしょう。
ひとたびアジア外交面で見誤れば、日本のアジア孤立化になりかねず、外交手腕が問われる時期でもあります。
中国は成り上がれば何でもやる。
中国の軍艦が日本領海に侵入?世界ルールを無視した習近平政権の危険性
AIIB加盟81か国に…ADB上回る見通し
日本は二匹目のイギリスになるのか?
アジアで孤立化する可能性はないかな。
どうしても海に囲まれた国である以上、古代の外交時代から変わらない、したたかな「海洋大国」としての宿命から逃れられない以上、したたかな海の活用をしていくことが、日本の未来を左右するのでしょう。
ジャパン・クオリティの高さと、ブランド評価の低さ
ナビスコとヤマザキがビスケットブランドの袂を別ったのは、海外企業のブランド力と、日本企業の品質維持力が、いよいよグローバルマーケットへの新たな勝負をかける時期に来たことを象徴しているのでしょうか。
結構古くから、日本企業・商品のブランドを育てるノウハウが弱いと危機感を報じられていましたが、これからナビスコやバーバリーのようなケースが普通になっていくと、ブランドづくりと品質管理を両立は不可避です。
ある意味戦後欧米を手本に急伸してきた企業にとって、これからさらなる進化を遂げるのには、企業の本質づくりと製品品質向上の、一本化を軸にしたブランドづくりが、求められる時代に突入したとも言えます。
この問題を今取り上げなければならないのは、そもそも日本がブランド育成が不得手であったことがあげられますが、ひとえに老舗ブランドと言うステータスは、時間をかけないと成立しません。
その時間を金で買って済ましていた時代が長すぎた弊害であり、上に興ったようなブランドと企業の決別劇は、その弊害からの脱却を予兆するものでもあるわけです。
これらの経緯の一方で、国内でも岡山のジーンズブランド発信の成功など、零細企業からブランド作りにウエィトをかけて成功した企業も目立っており、地域と企業のコラボレーションを軸にする、新しい企業づくりが注目されているのはご存知の通りです。
その新しい流れと、旧来の日本企業のイメージで主立っていた、白物家電ブランド色の強かった日本企業のイメージからの脱却と、世界への新しい企業イメージづくりと位置づけを、今後バランスよく構築できるかが注目されます。
ナビスコと離別したヤマザキの戦略はとても地味なものでしたが、ナビスコがパッケージを踏襲しイメージ保持を優先したのに対して、ヤマザキはパッケージはソツないデザインでや名前は新装したものの、味や食感は従来のものを引き継ぎしています。
国内の宣伝も過去出演の女優さんを総動員し、ごひいきにとアピールする日本人の嗜好に沿ったもので、この点も地味ですが手堅さを感じますが、ナビスコは見た目こそ変わりませんが、味が変わっているとの評価です。
ヤマザキが製造していた商品は、工場が確か発表ではイタリアの工場で製造するとありましたので、テイストを海外向けに変えて、日本市場は二の次にしたのかもしれませんが、おそらく今後日本市場ではシェアを落とすかもしれませ。
たかがビスケット、されどビスケットな話で、ヤマザキは今後も新ブランドを大切にしていく方針のようで、果たしてナビスコブランドの海外シェアアップが目論見通りになるかお手並み拝見です。
ところで、国内企業がブランド構築の不得手さが目立つのかを考える上で、最近気になるキーワードがあるのですが、少し話が逸れてしまいますが、お付き合いください。
それは話題になる現象に「東京」と言う冠詞をつける事です、たとえば待機児童問題のニュースで「東京問題」って、待機児童の増加に歯止めが利かない問題は、東京だけがクローズアップされるいわれはないのに、冠に何かと首都の名前がつくのが目立ちます。
大阪だって名古屋だって、福岡だって全国的に起こっている問題に固有地名をつけてしまうところに東京ブランドに依存する意識、国内なら何となく通じる、独特の偏りが何かと話題に紛れ込んでいます。
東京の人口集中化の問題をコントロールできていないのに、待機児童の増加の問題を東京特有の問題のように誤解する言われ方で、ますます本筋の原因と対策ポイントが、ぼけていく懸念さえ感じます。
そもそも、日本全体では人口が減っていて、東京の寡占化が起きている問題は、それだけで集中を回避する施策を打つべきで、過度に東京のメリットをあおる政策や、マスコミの情報戦略にも問題があります。
前者では高齢者層の増加を見据えて、資本力を武器に住宅設備を過度に増やし宣伝であおったツケが回って、若年世帯の集中を余儀なくされただけであり、東京の空き家対策でしかありませんし、後者ではメディア企業のパワーバランスが東京のメディア企業が地方メディアより優先件を譲らない構造が、より東京ブランドへの集中化を煽っているに過ぎません。
いずれにしても、中央の政策や報道体制の一方向への流れに特化してしまった流れは、地方での情報や問題の吸い上げに生産性を下げるバイアスの基にしかなりません。
世界は、ICTの劇的な進歩で、一方的な情報や施策の流れはマイナスでしかなくなっていて、双方向の情報共有が適正に行われてこそ、相乗効果が期待できるものなのにも関わらず、この「東京~」というヘッダーキーワードは、かつての絶対的中心地であった東京の迷走を表すものに他ありません。
厄介なのは、その迷走が地方にも何も問題のないかのようにばらまかれていることで、その点は地域の政策やメディア関係者はその問題点を顧みないといけないのではないでしょうか。
特にTVメディアは執拗にネットメディアに対抗心むき出しにしている姿は、その番組内容の空洞化に顕著に表れているのは、皆さんのすでに感じられているところですし、借金を増やす一方で、予算確保をできない中央政策は限界にきており、地方にとってメリットは無く、負担ばかりが増えている現状を地域ごとに顧みないとならない時期です。
漸く一本化された、日本成長戦略をまとめる未来投資会議に期待することは、投資の集中と分散の全国的な取り決めをする重要な会議であるだけに、中央に固執しない地方との連携を含んだ総括的な合議・方向性の取り組みです。
単に東京一極集中化を加速させるような安易な投資にならないように祈るばかりか、政治が極端に介入してこれば、そうなる可能性は非常に高いかもしれませんが、この結果で官僚の狙いが明確になってくるでしょう。
「東京問題」と「東京ばな奈」では同じ冠詞がついていますが、全く混同できない性格を持っているようですので、これをブランドの話と一緒に語るのは少し違うのですが、それだけ「東京」ブランドとして、同じ認識をされやすい報道のし方は気になります。
ただ、悪い話題に対して名古屋とか大阪がつかないのはまだ良識があるのかもしれませんが、明らかに少なくとも国内の認識では過度な主格化があるのは、そろそろ脱却しなければならない節目ではないでしょうか。
この点はどうしても政治や経済の中心が首都に偏っている事が原因ですが、だからと言って首都移転も今更極論ですし、経済も低成長の時代にあって分散と言うのも現実的では無いのは解ります。
ただ長い目で見て、日本のグローバル成長をする上では、地方の成長を促すものではないでしょうから、政府が本気で地方創生を促すのなら、何らか改善の余地が多分にありそうです。
こういった中央集中型の情報や、経済・行政の動きを続けることは、このまま妄信的に続ければ疲弊していく恐れを秘めていて、それを敏感に感じ取って大阪や福岡で起こっている、東京に依存しない自治意識の高まりは必然性があり、合理的な国際化時代の流れを踏襲していると考えられます。
ただし、この流れに意味も解らずまた妄信的に流されては本末転倒でありまずは、地域によってはそのブレーンを育成するところから始まり、地域特性の確立している地域はその特性に沿った自治をしていくことになるでしょう。
いま、地方の住民が注意しなければならないのは、東京主体の情報統制の問題であり、もっともわかりやすいのは「地域の○○ランキング」のような順列を決めつける情報です。
隣同士が近く、実に争う事を避ける気質の私達こそは、都道府県ランキングでその葛藤を晴らすメリットがありますか、その差がそのまま海外の人にとってメリットのある差では無いと言うことです。
これらは、多数決の原理に抵抗のなくなっている私たちには馴染んだ方法ではありますが、たんなるゲームでしかありませんし、その偏りは海外の人にとって共有できる性質のものではありません。
仲間内の話題で盛り上がるのには適当でも、実力を見てもらうのには話半分に聞いても効果は期待できないし、むしろ地域の住民にとっても順位がどこであっても良し悪しです。
地域からでも、東京のフィルターを通さず公平な世界中の情報が手に入る時代になって以来、中央が集中を促そうとする情報は、逆に地域創生の観点からは旨みは亡くなっていくでしょう。
ただし、情報を独自の判断で分析をしなければならない以上、それを可能にできるインテリジェンスの準備は、好む好まざるを経ず、必須の条件になるでしょう。
話はブランドから少し外れましたが、こうした国内でさえある意識の偏重は、日本ブランドを作り上げる上で、大きなバイアスになりえます。
やはり「ジャパン・クオリティ」という冠は、日本の最も得意とする高度な品質管理のブランドの象徴ですし、その冠を掲げてこれから世界の市場で戦っていく上で、一見一本化するのが普通に思えてしまう旧来の発想は、これからの世界進出には足かせにこそなれ、「護送船団方式」や「ガラバゴス化」で謳われたように、日本の偏った視点の象徴として見直す方が良さそうです。
むしろ、限りある人材や技術を集中することには大事ですが、バリアフリーの共有意識がなければできないことで、国内でランキングつけて小競り合いするようではおぼつきません。
小競り合いの競争意識より、バリアフリー意識での共有をもって、世界各地のニーズごとにあった柔軟な「ジャパン・クオリティ」の売り込みを実施しなければ、小国日本は世界の強豪との競争には負けてしまうでしょう。
政府は借金を減らせない不安から税収面の集中化のロジックから抜け出せないまま、地方をさらに税収の手段に変えようとしていますので、そのロジックに必要以上に関わらないようにするのが、これからの地方自治体の方向性になるのではないでしょうか。
そうなることで、政府は地方の向き合い方を本来あるべき姿に、真摯に向き合うようになってもらわなければなりません。
地方にとって地場の主産業をになう産業・企業は、地方の税収面にとってとても重要な位置づけになりますが、これから国内だけでなく海外へも市場拡大を余儀なくされる中で、日本ブランドを地方が総じてサポートし、向上して初めて企業ブランドの向上も期待できるものだけに、今後地域を大事にする賢い企業が増えることが、今後政府に掲げらえた命題になるでしょう。
「ジャパン・クオリティ」と言う名の日本の誇れる冠の認知は、長い月日を費やして世界に認知されたものですし、これとてたゆまぬ地域で活躍する堅実で探求心を惜しまない日本人の、認知されるに必要だった以上にとても長い間を費やして育て上げた、業の集大成なのですから、この軸は日本の生命線であってここに資本を集中せずして、日本の未来はあり得ないのです。