くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

熊本城復興400年の歴史、25年かかっても威光を取り戻す

  熊本城は400年の歴史があるそうです、その城への思いは震災によってますます堅固なものとなっていますが、城への思いは名古屋でも城のエンターテインメントとして表現されています。

 

 日本の歴史観光を取り扱っている地域の、観光客へのアプローチはさまざまな方法を取っていますが、名古屋で始めた「おもてなし武将隊」と言う新しい試みは、今や10か所以上の地域に広まり、役者の演武によって地域の人々に愛着心を強くしてくれました。

 その中でも創始者の名古屋と、熊本は加藤清正と言う共通の名将によって大きくつながっています。

 

 実際にも「名古屋城おもてなし武将隊」と「熊本城おもてなし武将隊」は双方の地で交流していますが、筆者前者しかライブを見たことは無いですが、後者もYoutubeで拝見して、優劣つけがたいほどのパフォーマンスを見せてくれています。

 むしろ熊本の県民性でしょうか、一見無骨ですがじわじわと湧いてくる力を強さや男気が感じられ、好感が持てる程です。この点では元祖もうかうかしていられませんね。

  

 さて、震災での注目を集めたことで、熊本県民の実直さやアツさがクローズアップされてきましたが、彼らの思いとはどのようなものでしょうか。

 

「城は熊本の宝じゃ。」

 と言ってはばからない県民性は、日本人が本来持っている思いと相容れるところがあって、幾度となく共感を誘います。 

 城は400年の間に幾度のピンチを潜り抜けてきました、その時地元の人々の知られざる思いとは何だったのでしょうか。

 

 熊本市内のいたるところから見える、熊本のシンボルは漆黒な勇壮さを楽しめます、昨年では160万人が訪れた、国内随一の観光人気スポットでもあったのです。

  行幸橋(みゆきばし)加藤清正、名古屋でも有名な槍の名士が立てた城づくりの名士でもあって、彼の功績が大きかったと言われます。

 

 加藤清正は幼くから秀吉に仕え、父のように慕って育ったこともあり、清正の忠義は信用され、その功績をたたえられたました。

 慶長三年1593年秀吉の死後、豊臣の天下を脅かそうとしたときに清正は自分の領地に築いた熊本城を根城に息子を移させ、豊富復帰の準備もしていた、最後まで秀吉に傾倒した将君でした。

 

 さて、熊本城の最高で20メートルという石垣が立派な敷地は、大阪城のそれを想像させるスケールの大きさ、筆者大阪城の石垣は見ましたが、それに違わないとはさぞ立派なのでしょうね。

 扇の勾配と呼ばれる安定感と美しさを兼ね備えた実用性の高い石垣は武者返しの石垣とも例えられるように、迷路のような通路の構築は、防御の城として機能する機能美も有する興味深い城だそうです。

 

 昭和35年に再建された天守は美しく、高さ30mを超える勇壮さは、今更筆者が言うまでもありません。

 他にもこの城見せ場が多く、今でも小天守が幾つか残ってますが、かつてその他にも60もの小天守級の櫓が立ち並ぶ、難攻不落ともいえる規模だったそうで、宇土櫓(うとやぐら19メートル)は立派で、彦根城松山城と同じ規模の大産の天主とも呼ばれるそうです。

 

 東京ドーム21個分敷地の中に、何十もの石垣、大小2つの天守と、60もの櫓が攻めるものを萎えさせる程の鉄壁な造りは、城の在るべき雄姿を今も残していますが、遂にはその機能や威力を発揮される事無かったと言います……。

 熊本城への市民の思いは、今震災に遇ってなお強く、復興にその地震のモチベーションを重ねる姿に、思わずムネアツになリます。

 

 この地は大きな活火山を二つも有していて、かつて何度も震災に遭っていますが、寛永2(1625)年、江戸時代のはじめの熊本城築20年後に大地震が襲いました。

 記録では、一日中続いた揺れは強固な城や石垣さえも砕き、崩れ、誘爆も手伝って壊滅的な被害を受け、寛永9年(1632)新しい殿様、細川忠利が訪れた際に、立派さを江戸城のほかで見たことがないと言わせしめるも、その被害を受けたまま放置された城の有様に愕然とし、ようやく修復が実現しています。

 

 当時の計画図面には石垣27か所、櫓28か所、門壁合わせると80か所という大工事と察せられますが、地方小国で余裕のない中でも、資金を捻出して立て直しています。

 しかし同時期に幕府からは、外様に対し江戸城造営の全負担を熊本藩に勅命が下り、巨額の資金ねん出を前に、熊本城の修復はとん挫するかにみえましたが、藩主の思いはそれをゆるさず、藩の貯金・不足分は借金で賄い、10年もの工期を擁しましたが、同藩は見事粘り腰で見事両方を実現させました。

 

 江戸時代だけでも8回の震災に遭っており、安政の大地震、元年1854年が最大だそうですが、その苦難にもあきらめず代々の藩主にその復興の精神は受け継がれたと言います。

 江戸太平の世以後も、細川藩はすでに城の本来役目はなくなったものの、その思いを失うことなく熊本のシンボルとしてあり続けました。

 

 一般道からもうかがえる石垣・櫓の崩落に見るに耐えませんが、各地の城郭を持つ観光地などから、多くの支援金が送られるなど、雨降って地固まるでは無いですが、その共感ぶりはそういった歴史を持った熊本城へのリスペクトなのでしょうか。

 

 しかし熊本は、明治維新の10年の西南戦争で、ついに戦いの舞台になりました。

 立てこもる西郷軍の攻めに対し、ろう城する藩士にとっては、難攻不落とも言える本来の性能をいかんなく発揮し、西郷にして。

「官軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」

と言わせしめた堅牢ぶりは、皮肉にもその時証明されたと言います。

 

 その後は、度重なる地震においてその国力を失った熊本は、城を放置せざるを得ませんでした。昭和2年には漸く宇土櫓は修理を敢行、それを一目見ようと市民が目にした光景は、哀れな天守閣の姿だったそうですが、

 一念発起した市民は、いつの日か天守を再建したいと誓った。

 現実となったのは、戦後昭和30年代全国では、岐阜城和歌山城広島城名古屋城など再建する地域があったものの、一人の名士が5千万円もの寄付をしたことで、その名士金融業を営む松崎吉次郎氏の熱い地域への思いに、漸く再建のめどがたったのです。

 

 その報道に、瓦募金など募金活動が、再建に一役買いたいと市民も参加へと運動が始まり、昭和34(1959)年ついに起工されます。

 この城も、明治に撮影された写真を基に、鉄筋ではあったが外観は忠実に再現され、35年9月熊本城天守が落成、83年ぶりにその雄姿をよみがえらせたます。

 

 訪れた市民は、その力強い姿にその偉業をたたえあったと言いますが、戦後の名古屋城でも同じようなことがあっただけに、とても熊本の人々の当時の思いは共感できるものです。

 こうして、今に続く熊本城の雄姿は400年経った今も、継承されていたのですね。

 

 また昭和36年、平御ひらおん櫓は41年馬具櫓などの店主を取り巻く櫓も順次再建され、平成17(2005)年には飯田丸五階櫓再建されました。

 そしてその集大成が、平成20(2008)年の本丸御殿再建であったと言いますから、名古屋城の復元ととても共通した点が多いように思えて、ますます共感できます。

 

 熊本城の本丸御殿は加藤清正の執務生活の場、一番奥には贅をつくした金箔を施した絢爛豪華な部屋には、秀頼をかくまうつもりだったとも言われているそうです。

 本丸御殿は、今回の地震の犠牲にもなりましたが、被災復興もままならない今でさえ、市民の思いは熊本城に向けられていると聞くと、その思いの深さに感銘します。

 

 今、天守閣を再建しようとする名古屋市には、同朋とも言える熊本からの、木造再建を望む熱いエールさえ届いています。

 熊本県民の、その面々と続く城を思い続ける精神に、恥ずかしくないような街のシンボルにしようと、河村名古屋市長は、不退転の覚悟で臨むとますます息を荒げているようですが、さてさて名古屋市民へ熊本市民の城への思いは、どこまで届くのでしょうか。

 

 これからが、楽しみです。

 

甲府が裏路地からまちおこしと東西・南北の地域動線ブレイクスルー

 

 さまざまなきっかけによって、地域起こしの工夫はされていますが、都市部近郊地域の町おこしは、どのようにすすめられているのでしょうか。

 

  街おこしはどこから始めたらいいのかを考える上で、得意分野を伸ばすといった発想や、災害に遇って多くのインフラを再構築しなければならなくなったっり、話題性や社会ニーズを満たす試みを進めたり、いろんなアプローチが考えられます。

 

 一例では、映画でも洋画・邦画どちらでもロケ地に使われた地域は、観光客の注目度が高まることからも、ロケ地として積極的に映画関連会社に働きかける自治体も出てきていると聞きます。

 売上が下がっている商店街が心機一転観光ツアーと組んでイベントを組む取り組みも見られましたし、地元の中高生達が休有テナントを借りて、彼らが考案したオリジナル商品で注目を浴びた例もありました。

 

 名古屋では終戦後の空襲で焼けた市内を一から整備して根本的な再区画をしたり、最近では円頓寺商店街の積極的な取り組みは、何度もブログでも紹介しています。

 自治体が企画した例では、河村市長肝いりでかつての広小路露天街復興を試みた限定の経緯もあって、それぞれ狙いは悪くないものの、何れも思いと景気や世相にどうマッチさせていくかが課題となっているようです。

 

 そういった例で、微妙な地理的な条件下に置かれる甲府市の記事を目のしました。この地方はので知る人ぞ知る伊香保温泉が一世を風靡した名勝地ですが、昨今はあまり話題になりにくくなっているようで、取り上げて見ます。

 

産経ニュース20160725
sankei.com

30分で甲府中心街の路地、横丁を巡るガイドツアー(こうふ元気エージェンシー提供)
 人口約19万人。全国の県庁所在地で最少の都市は…。戦後生まれの「鳥もつ煮」がご当地グルメと知られるが、中心街はかつてのにぎわいを失っている。そこで、地元NPO法人が、街の魅力あふれる「路地、横丁」を武器に町起こしに乗り出した。

 「人口が減り、郊外に大型店も出店し、甲府の中心街が元気を失っていた。昔の活気を取り戻したい」。NPO法人「こうふ元気エージェンシー」を立ち上げた市職員、土橋克己さん(43)まちの衰退に危機感を抱く。

 甲府市の人口は、平成28年6月現在で19万1799人。昨年の国勢調査では、全国の県庁所在地の中で、人口が最も少なかった。

 NPOが最初に取り組んだのは、昭和25年ごろに甲府で生まれた名物「鳥もつ煮」を活用した地域活性化策。NPO個人会員で市職員の10人が中心となり、平成22年9月、B級グルメによる国内最大級の町起こしイベントといわれる第5回「B-1グランプリ」に参加し、ゴールドグランプリ(金賞)を受賞した。

 直後には、市内で鳥もつ煮を扱う十数店舗に行列ができたという。日本ハム系の食肉加工メーカーが数年前に行った郷土料理の全国調査でも、鳥もつ煮の認知度は40%近くに達した。

 「もしB-1で金賞を取っていなければ、認知度は5%にも満たなかった」(土橋さん)というほど、受賞は大きな成果をあげた。

 26年5月、土橋さんは活性化策の第2弾として、甲府市中心街の路地、横丁の良さをアピールするグループをNPO内に立ち上げた。その名も「甲府!ん(こうふん=興奮)路地横丁楽会」。

 昨年7月には、飲み屋など16店を厳選した「甲府横丁マップ」(16ページ、300円)を創刊、第2号(別の16店)と併せ、約3千部を販売した。

 活動内容は月1回の会議「教授会」で決める。6月下旬の教授会では、今月立ち上げる楽会ホームページの内容などについて意見交換。メンバーで落語家の三枝亭二郎さん(46)が「最も見られるスマートフォンの対応をメーンとし、トップ画面は地図から入ろう」などと提案。方向性が固まった。

 土橋さんは路地、横丁の魅力について、「その懐かしさ、優しさ、猥雑(わいざつ)性こそが、来訪者や観光客が求めるもの」と力説する。中心市街地を南北に貫くエリアには、北からオリオンイースト通り、柳小路飲食店街、甲府グルメ横丁、春日横丁、オリンピック通り…と路地、横町が続き、人情味あふれる百数十の店が軒を連ねる。

 楽会はこれまでに、テレビやラジオ番組で「路地、横丁」を紹介し、PRイベントも開催。今後は、JTのNPO助成金を活用してマップを無料化し、2年前から試行中の楽会員による「路地横町ガイドツアー」も、本格的に展開したいという。土橋さんは「鳥もつ煮と路地横丁という他地域に勝る2つの原石に磨きをかけ、まちを光らせたい」と力を込めた。(甲府支局 松田宗弘)

 こうふ元気エージェンシー 甲府中心街の再生を目的に発足した。84人の個人会員が参加する。顔ぶれは会社経営者、会社員、公務員、落語家、学生、大学教授、県議など多士済々。「甲府鳥もつ煮」と「甲府路地横丁」を地域資源と位置づけ、車の両輪として活動している。

 

 この例にある懐古型まちおこしは、興味を引きやすいかもしれません。都市部でも昭和の色濃い飲み屋街などが注目されてきましたが、防災管理上の難易度は高いにしろ、従来からの独特な雰囲気をそのまま活用出来るメリットは大きいです。

 東京でも名古屋でも一時は盛り上がろうとしていましたが、、火災事故でニュースになって、管理の問題で下火になっていたものの、自治体との連携を十分にすれば、地域おこしの士気は高められそうです。

 

 甲府は地理的立地は関東圏に近いものの、名古屋のように今ひとつ観メジャーの光動線からズレていて、観光ツアーからスルーされ易い地域はホットスポットのように全国に点在します。

 こう言った地域は、様々な注目点を補う必要があって、甲府がその好事例になるかは注目です。


 さてこの中京圏では、相変わらずの東京ー大阪間のポイントTOポイント観光は、崩せていない訳ですが、今名古屋市河村市長は大阪府との政党合併を視野に入れているようですが、名古屋は関西圏に参入しなければ活路は見いだせないのでしょうか。

 甲府も東京圏からの人の流れを意識せざるを得ない立地条件だけに、関西への流れを一部でも変えていく工夫を求められています、これは「寄らば大樹の影」という黄金率とは少し違った意味合いかもしれませんが、東京ー大阪間のポイントTOポイント観光は1通りでは無い荷も関わらず、実際は東海道の1ルートだけがどうしてもクローズアップされています。

 

 今何かと注目されている、九州の産業・観光戦略に独立性とその戦略の片鱗を模索していく必要があると思うのですが、九州はこの東京ー大阪間ルートから外れている点で新たな流れをつくらなければならないと言う別の課題を持っています

 東京ー大阪間ルートは現在東海道以外に中央道(線)や、北陸道(新幹線)と少なくとも3ルート存在しますので、それぞれにかかわる都道府県が協働して流れを作りことになりますが、それに加えてローカル空港つまり、鉄道(車)と航空機との連携で人の流れを変えられるかもしれません。

 

  そのためにも、現在のような道府県と首都という縦割りの行政区制度では、動きにくいために、大阪府知事が提唱していた道州制自治権の再編成が必要なのかも知れませんが、この点はかつて橋本元大阪府知事時代から今に至って未だ進んでいません。

 そうなると、自治体はあくまで制度にこだわる向きもアrかもしれませんが、それを待たずに地域利害の共通する自治体から、できるところから協働作業を進めていく必要はあるでしょう。

 

 また少子化で人口減るとわかっている地域は、税収などの住民の生活地盤をいかに安定させるかに、何より頭を痛めているためか、地域の市場性を鑑みるゆとりもないこともあげられます。

 その解決を国に活路を求めて来ましたが、政府の打ち出す地方創生は、いかに地域問題に矛先が行かないように抑えるのが趣旨であって、本来の趣旨とはズレたところにあるような気がしてなりません。

 

 石破元地方創生大臣が、自ら矢面から退いた経緯には、思うように結果を出せない自責の念も大きかったのかもせれません。政府は、この施策には現場本位の創生では無く、中央本位の地方創生を進めた方が合理的と判断しているフシがあります。

 未だ沖縄問題が解決しないのは、政府側の歩み寄りの甘さに依る部分はあるでしょうし(もちろんそれだけで解決する事では無いです)、この事からも地方の問題は地方で解決するのは、自明の理でしょうか。

 

 あまり意味のないどんぐりの背比べ的な順位争いより、地域が世界的な目線で今の市場を知って、人の関心ごとや人の嗜好性とバランスの移り変わりを、しっかり見極めていく努力を自分に課していくことです。

 今では参勤交代で忠誠を誓って、お上から目をかけられるメリットがどれほどあるかを考えれば、一部の議員を除いて皆無に等しい時代である以上、ヨコのつながりは公然と必要なじだいであり、海外では当たり前のロビー活動の技術があまりにかけているのではと危惧されます。

 

 また、地域創生では今までのような人口増加は見込めない以上、活性に必要な人材確保は、もう一つの大きな課題になっています。

 人口減による雇用人材不足に、政府側で外国人材の雇用促進、環境向上協議会の発足がニュースになりましたが、長期的に避けて通れない問題ですが国内では、まだ移民労働への抵抗感はなお強く、門戸開放は基より海外人材の導入計画さえおぼつかない状態です。


 高等人材の取り込みや活用は、既に世界中で取り合いになっていて、来てくださいと言わなければいけないほど競争が激しい中で政府が門戸をあける施策を打ち出していて、留学生就職、日本版グリーンカードで条件を明示するなどの、制度整備を加速するジェットプログラムを深奥させるなど準備は進めています。

 特徴をだして争奪競争に有利な仕組みつくりを始めていますが、地域も今一つその積極的な参加と、必要人材のリストアップを真剣に進めていかないといけないでしょう。 

日本の人口、1920年以来初の減少 - 減少率トップ3は秋田・福島7・青森
順位より大事なのは、
直ぐにふやさなければいけないのか、
徐々にふやさなければいけないのか、
見極めて、地域ごとの問題と向き合う。

 

  人口統計は一般に公開されておりますし、ネットを漁れば専門家がさまざまな問題提起を促していますので、その中で身近な問題として該当する事例を参考にして、上手く巻き込んで官民学連携を利用して、それぞれの地域の問題を浮き彫りにして行けば、問題解決の手立てを得られるでしょう。

背景:人口分布の偏り

人口が減少局面に入るかなり前から、我が国の人口分布は戦後の高度経済成長期を経て空間的(地理的)にかなり偏ってきたといえよう。

下の表1は、各都道府県庁所在都市のその都道府県における人口割合を1970年と2015年について示したものである。各年において人口構成比の大きい都市順に並べている。表を見ると、この45年間で、東京特別区横浜市京都市大阪市名古屋市といった三大都市圏の大都市では対都府県人口割合が減少したのに対して、高松市高知市金沢市大分市など、甲府市岐阜市静岡市那覇市を除く全ての地方都市では県内での人口集中度が高まっていることがわかる。なかでも大分市は25.1%から40.0%、高知市は33.7%から46.3%とそれぞれ10ポイント大きく上回る県内での集中度となっている。

 

 今回は、地域の街おこしの前に考えるべき大雑把な問題提供としましたが、筆者も軽い気持ちで始めた街おこしサポートは、幅が広くて奥が深いことを実感しています。

 その中でも、素人目線でも一つづつ問題提起を地道に続けて行ければと考えています。

 街おこしに関心のある方は、自分なりの目線での前向きなご意見をお寄せいただければ幸いです。

 

世界コスプレサミット・愛知トリエンナーレ、地域を外堀から変える姿勢

 

  名古屋を含む愛知県でこの夏始まった二つのイベントは、開かれた愛知を印象付けるもっとも分かり易い試みですが、特に注目すべきは海外からの参加者と協調して地域をアピールできている点かもしれません。

 

世界コスプレサミット」は、今年で14回目を迎えるコスプレの祭典。代表コスプレーヤーのほか、一般コスプレーヤー、コスプレファンが参加し、現在は、名古屋・栄を中心に愛知県内の各所でイベントが開催されている。

 とある様に世界各国から日本のアニメ、マンガ、ゲーム、特撮のキャラクターにふんしたコスプレーヤーが集結する夏の恒例イベントとして定着しましたが、その特徴はあくまでもコスプレーヤーが、自分たちで演出する当にコスプレーヤーのファッションイベントと言う位置づけでしょう。

 世界中に、定着するアニメやコスプレ文化は、アジアで東洋人に拡散、フランスでコアな認識から欧州の気質にも認められ、同時にアメリカや南米やオーストラリアにまで拡散、日本の手を離れた感さえ感じられます。

 

 先月30日、愛知県蒲郡市のテーマパーク「ラグーナテンボス」でオープニングセレモニーが行われた事は、例年の名古屋限定でなく愛知県全体で盛り上げる規模になっていて、今後東海三県に拡散されていく期待も持てる期待度です。

 コスプレーヤー達が会場で「コスプレを至るところで」という意味の「コスプレ、エブリウエア-!」と言い放った合言葉は、当にそれを暗示しているのかもしれませんし、コスプレーヤーに「聖地」としての期待度も伺える言葉かもしれません。

 

 過去最多30カ国もの代表コスプレーヤーが、本気で世界一を競う姿に応えるには、単なる場所提供するバックヤードとしての役割から、イベントを受け入れ参加する夏祭りとしての意識が、求められていくでしょう。

 

 

 

  もう一つが、名古屋の真骨頂芸術の街の祭典の開催ですが、こちらも質の良い芸術文化を根付かせるには、時間がかかるので毎年とはいきませんが、世界中から最新のアートに増資の深いアーティストを招き、手間暇かけて育てるように進めているイベントです。

 作品の展示会場は、毎回特定されておらず、積極的に地元縁のアーティストや姉妹都市のアーティストの参加は基より、あくまで街中の風景との調和を基本とすることがあげられますし、展示が終了すると撤去されることが前提になっています。

 

 彫刻や、絵画などは常設的に他の都市と同じように街中いたるところで、目にすることができるのですが、殊にトリエンナーレの作品は、展示場所選定時に終了後に場所(建物)自体が解体されるところを見込んで選定しているらしく、過去展示されていた場所は、無くなっている箇所が殆どです。

 敢えて後に残さない夏・秋期間限定の条件が、アーティストとしてもある意味特異な条件で作品を展示することになり、短期的なだけに緊張感のある、冒険やチャレンジができる独自の創作環境の提供ができている、と言うことなのでしょう。

 

 この空間と言うのは、日本の伝統芸術で例えれば、ちょうど各地での行われる祭りの神輿や山車などと全く同じものと言えるでしょう。

 ねぶた祭りの勇壮な山車は、芸術性に富んでいて壊すのは本来もったいないほどのクオリティですが、毎年終われば解体し、また次に向けてデザインから製作までやり直していますね。

 

 残念ながら、この地方にはそんな勇壮な明かりの祭典は有名ではありませんが、こと祭りに関して他の地域に勝るとも劣らない山車が練り歩く祭りはあります。

 トリエンナーレは、愛知県に夏秋の新しい限られた条件で花開く、日本の古典芸術の手法と新しい表現手法を掛け合わせた、稀有な芸術活動・表現と言えるでしょう。

 

 愛知県は、歴史文化が大切に保存されてきた土地柄だけに、伝統芸能には増資が深いのもですが、新しい試みには消極的だったのかもしれません。

 そのアンチテーゼとしてのイベントであり、ど真ん中祭りと併せて新しい文芸に積極的に参加する空気を創り上げて来た結果だと思いますが、上のコスプレサミット然りで新しい空気を根付かせる闘いなのかも知れません。

 

 地域に根付いた文化は継承しなければ、その土地の特色は色あせてしまいますが、時代に即した参加する意識はいつの世にも空気として流れているもので、特にこの地にはmなかなか根付かなかったものかもしれません。

 手堅く生きるのは大事ですが、周りから浮いてしまってもどうかと思います。

 

 

 

 愛知県のある中部地方は、東の東京、西の大阪のはざまであるがためか、また地域の気質のためか手堅い生活しやすい街づくりを特徴としていますが、文化・芸術活動においては、その歴史も古く沢山の経験を持っています。

 この点では積極的に、コスプレサミットや、トリエンナーレ、祭りでもど真ん中祭りなどを開催していますので決して保守的ではなさそうですが、先ごろ名古屋が魅力のない街ランキングで魅力に欠けると言われるのは、残念なことです。

 

 そのからこの地域を見る人たちは、正直外からの人には厳しいと思われるようですが、当に国際社会を目指すこの地域としては、課題は多いのかもしれません。

 手堅く身の回りを整える事に始終した尾張三河の人たちが、今後本気で考えなければならない課題は、自分たちの良さを理解してもらう為に、歩み寄りする姿勢なのかも知れません。

 

 正直、魅力がないと言われるとショックでしたし、その結果の原因に思い当たるところも正直あって、否定できないところが悲しいですが、そう思えてしまうのは、いままで仕方ないと目をつむってきたからにほかなりませんね。

 定評のある、住みやすい地域としての誇りはそのままに、いかに魅力の底上げをしていくかが今後の課題と分かって、かえってさばさばした思いでしたが、筆者だけが思うだけでは進みません。

 

 華やかさが、元来ことのほか好きなこの地域の文化性は、海外の人には受け入れられやすいもののはずですので、これらをさらにアピールしていくとともに、目を向ける人々に手を振って迎え入れる積極性上げること。

 そして、国内の人々にも楽しんでもらえる街づくりで「ええがね」と言ってもらえる努力は今後も素直に精進すべきだと、魅力度ランキングをみて思いを新たにしてくれることをせつに願います。

 

 

次世代へバトンを、日本らしさと産業・伝統技の伝道師たれ

  昨今では、企業を中心に個人でも世代交代への課題が迫っており、伝統産業や日本の環境技術・ノウハウなど日本の感性の引き継ぎ例が散見されるようになりました。

 

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 先日、ジャパネットたかたで一世を風靡した伝説の販売士(筆者はそう思ってます)高田明さん、そして今や広告業界で知らない者はいないと言われる佐藤可士和さんのインタビューで、両氏の活動を垣間見る事ができましたが、相変わらずの独自の視点に立つ姿勢は、驚異的とも言えるでしょうか。
 また、父親の先代社長から意思を引き継いだ石坂産業の女性社長の親子鷹奮闘ドキュメンタリーで、引き継ぐ精神のあり方を垣間見た気がします。

 

 かつて、年商1500万のTVショッピング市場をひねり出した、ジャパネット高田のカリスマの姿は、現役引退後とても気になっていましたが、やはりといいますか当然なのか久しぶりの御姿に、ヤッパリ感がにじみ出るご活躍でした。

 ジャパネットを降りてから、そのままご隠居される訳は無いとは思っていましたが、案の定あの凄まじいまでの好奇心は、終わることなく続いていたんですね。

 

 あの高田節は健在で、全国を行脚し全国に眠る日本に長く続く伝統良品を捜し歩いて紹介していたようですが、高田さんの一見アナログで地道な日本発掘活動は、その実理にかなっていてしかも即戦力として役立っている。

 今までやってきた販売形態はそっくり次世代に譲って、良いものを突き詰める姿勢と新しい可能性を追い求める姿は、当に筆者には理想の姿に映ります。

 

 一方で、現役脂の乗ってきた売れっ子佐藤さんも、新しさの追求の対象を、伝統産業に着目して温故プロデユースを始めていて、歌舞伎や有田焼などの伝統芸能や産業と言った今時のメインストリームとは方向を変えたプロデュースを手掛けていたようです。

 そもそも佐藤さんの広報・広告手法は、プロダクトデザインの手法に近い気がしますが、大衆迎合化させて消費者を巻き取る某大手広告代理店式の手法から、始まっていても踏襲せずに商品そのものから溢れ出る魅力を、素直に色形にする手法が結果的に現代の実を求める風潮に受け入れられているようです。

 

 その視点は、日本製のプロダクトを歴史や文化と言う本質から組み立てると言う、既に専門学校のテキストにしか残らないような、基本中の基本セオリーに忠実な故に、一度掴んだ目を逸らさせない魔法のような魅力を醸し出して来るのです。

 佐藤さんが、自ずと振り向けた伝統産業の奥深さに注目したのは、自明の理なのかも知れません。

 

 石坂産業の女性社長、石坂氏の女性らしい粘りと、先代社長が見越したリサイクル時代にあるべきビジョンを引き継いで、環境に配慮した企業と地域の共存を模索する姿は、当に理想的なノウハウの継承でした。

 父の夢を、見事なまでに自分のやり方で世界に注目されるエコ技術を抱える、未来の産業にのし上げた手腕は、多くの女性継承者に勇気と光を指し示したことでしょう。

 

 筆者は、いま次の日本を作り上げるのに必要な、モノや状態を冷徹に見植えて本質を追求できるお三方の意思が、余すところなく引き継がれることを願ってやみません。 

 決して長いものに巻かれず、独自の目線でたぐいまれな日本の現状や本質を見抜いていく観察力と、それを的確に言葉や文字。商品に置き換えていく転換力は、業種にかかわらず多くの示唆に富んでいます。

 

 これらの類まれな才能は引き継ぐのはとても難しいけれど、才覚のある人々は、伝えずとも自らの姿を惜しげもなく晒すことで、次の才能ある人材に気づかせ、引き継ぐ期間を設けているように思われます。

 中には、スズキ自動車の鈴木修氏や、ソフトバンク孫正義氏のようにカリスマ度が強すぎて、受け継ぎに難儀されているケースも伺えるものの、第一級の才能を引き継がなければ、それはその個人に及ばず日本社会そのものの利益の浪費と、さして変わらないほどの損失と言えるでしょう。

 

 引き継がれたノウハウは、時にはそのままの形に、また全く違う新しい発見への大きなきっかけに繋がっていくのが望ましいわけですが、今の日本でその継承はお世辞にも上手く行っているとは、言い難いようです。

 今までは技を盗むのが常識でしたが、棒グラフで見ると釣り鐘型に見える日本のいびつな世代比率は、そんな悠長な事を言っている余談を許さない継ぎ手の希少さと言う、現実を突きつけていて、バトンを渡すものはさまざまな方法を駆使しなければ、技術継承の袋小路化、行く先は技と言う名のお家断絶が、目の前に迫ってます。

 

 この事実に気付いた者は、ICTを使った技の保存をすぐさま行わないと、歴史の継承と一緒に泡と消え行くのみです。

 日本各地に伝わる祭りなどの地域文化は最たるもの、提灯の鮮やかで仄明るいいるみねー損は、皮肉にも外人観光客の目を離さない程の魅力を持っているものの、華やかさから置き去りにされた文化も、皮肉にも外国人がその伝統を守ろうと、活躍している。

 

 華やかな人の目を引く伝統は、例えば七夕も今年はディズニーリゾートのイベントに組み込まれ、注目され日本の伝統文化や慣習は、伝え方ひとつでかなり大きなイベント事業に育て上げられるという、一つのアプローチになると思う。

 地域の共同イベントで地域を盛り上げ、その衛星ちいきへまた独自の文化のバリエーションへ誘導できる可能性を秘めていて、日本文化の伝統技は、かつての日本の歴史がそうだったように、淘汰や入植によって形を残していくのかもしれない。

 

 バトンを渡す若者に残すべきは、悪しき忠臣を傘に着た年功序列の終身雇用の幻想や、鎖国で染み付いたガラパゴス化した保守性では無く、かつて積極的に海外貿易をして貪欲に世界と行き渡ってきた精神と、その反面アイデンティティーを示す独自の文化や精神であってほしいと思うのです。

 その上で海外の空気を堪能し、帰国後に日本の独自性を肌で感じ、世界との接点の橋渡しを担えるように、政府もサポートを政策に掲げてほしいものです。

 

 海外へ出て、初めて日本へのリスペクトを実感しることは往々にしてありますが、その地域では当たり前の文化食習慣は、一歩外へ出れば決して当たり前でなく、その中には隠れた原石がたくさん眠っているのを、知らなければいけなと思うのです。

  筆者の故郷は岐阜県の多治見市だが、ここでも毎年最高気温を争うニュースで名前を聞くだけでなく、陶磁器・タイル産業のメッカであった絵¥過去の栄光は下火になるも、ここ最近タイルの里として、アピールしだしてます。

 

 地域の跡継ぎには積極的に外に遊説させ、その一部でも地域起こしに目覚めてもらえれば、それは成功だと言っていいでしょうから、これからは、観光も移住も外国人との接触の機会は当面増える一方だから、外国人が求める日本像をを今のうちから、知っておくのはものすごいプラスになるでしょう。

  地味ーな職人の作業は、外人の目にはよく映っているように思える、そのビジネス感は消えゆくそのチャンスを生かそうとするワクワク感が、手に取るように見えてこなければいけないでしょう。

 

  エクスペリエンス・デザイン(産業体験や蓄積の広報化)を次世代へ橋渡しするのは、50代以降世代の担うべき重要な義務でもあり続けると思っています。

 

 

外国観光客の動線を変えるキーワード「ニンジャ」

  夏休みは、小中学生や高校性など子どもをきっかけに、各地の観光地が何かとにぎわう観光には大事な時期ですが、なんかなんか、今年の夏はかなりの偏りが出ています、外に出て集まっていますが、経済効果はどうなるんでしょうか。 

 

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 さて本題です。愛知県と名古屋市は他県と同様に、さまざまな観光事業を規格・運営していて、まず話題集めのきっかけになるのは主に歴史観光と思われますが、その理由は歴史は誰もが知っていることで、それがこの地の尾張三河でああった事実が分かりやすい点にあります。
 つまり、他の地域にないユニークな特徴ですので、産業や自然などより特徴付けしやすく、ブランド化と商品化の条件が揃え易いというのが、その核にあるようです。

 

 元々東海三県愛知。岐阜では、歴史的な史跡も多く名古屋城岡崎城犬山城、人物で言えば三英傑の信長・秀吉・家康のふるさとであり、さらに愛知県戦国時代の名所・旧跡もあちこちにあります。
 三重でも、初夏に伊勢志摩サミットが開催された三重県には古くから伊賀忍者村とか(神社仏閣除く)熊野古道など、数え切れない歴史縁の観光スポットがあります。

 

 そう言った主に戦国時代など歴史縁の観光地を、新しいアプローチで広報したのが、名古屋市で例にとると「名古屋おもてなし武将隊」でしたが、この試みは、メンバー募集から初めてづくしの施策でした。

 この施策は全国でゆるキャラブームの中で、イケメン・イケジョブームを背景に、期待以上の注目と、観光モデルとして認知されるに至ります。


 やはり大きかったのは、イケメンブームに乗っかって、今まで期待されなかった女性層の支援が大きかったのは幸いでしたが、これを機に愛知県でも徳川家康と忍者を核にした宣伝部隊をデビューさせました。

 それが「徳川家康服部半蔵忍者隊」で、かつてないゆるキャラによるものとは違ったイケメンブーム、今起こっている外人ブームの流れに乗って、いま観光施策としてのニンジャ観光をキーワードに展開しています。

 

 この「忍者・ニンジャ」という観光キーワードは、外人にとって特別なもので、日本のイメージキーワードのランキングがあれば、間違いなく10本の指に入るものだと思いますが、その証拠に愛知県が忍者募集をかけたところ、ニンジャをリスペクトする海外の外国人の応募が、殺到したという尾ひれもついて、ニンジャの認知度の高さが改めて浮き彫りになったからです。


 名古屋おもてなし武将隊でも、この春に行われた新メンバーオーディションでは、「織田信長」「加藤清正」枠が突然空いたため急募しましたが、月給18万円+出来高契約社員社会保障完備と求人誌掲載するなど、展開当初から一般の職業募集と同等の募集方法をしているのが特徴でもあります。

 今回募集では、新しい信長役に31歳の元会社員が選出されましたが、決定されるまでには、信長役に20代女性や竹中半兵衛の子孫が挑戦したりと、若者への可能性やチャンスを大いにつくるきっかけになっているのは、観光事業以外のリクルートにも参考になるのではないでしょうか。

 

 これに加えて、外人のリクルートを観光事業から導入するのは、比較的住民への許容度も、大きくなる可能性の高い導入例です。 

 この点からも伺えるように、これから更に増加が見込まれる、海外からの外国人観光客の呼び込みの課題や労働者招致については、私達日本人とは異なった関心や嗜好をどのように捉えて、観光化に結びつけるのかを考える上でヒントになります。

 

 そうした観光事業の取り組みの中で、愛知県・名古屋市歴史観光をトリガーにした広い面での観光誘致を展開してはいます。
 しかし、地理的な条件や、受け入れ体制の問題で関東圏の地の利や、京都ネームバリューに押されて、動線を東海三県に留める試みは不十分でした。

 

 日本人に対して歴史観光で認知度の高さはあるのですが、こと国外からの観光客のには、まだまだ魅力や認知度が薄いのかもしれません。

 やはり大きいのは、多くのツアーに東海三県が東海道線の途中にあるという、地の利的条件で、なかなか効率的な旅行プランに組み込みにくい点は、課題としては大きいでしょう。

 

 海外からの観光者は、東京か大阪の空港から入国するケースが圧倒的に多く、そこを起点または終点にし、西へ東へ移動するスタイルが浸透していて、海外の旅行プランも多くがこの流れを踏襲して、コストダウンを図っています。

 また外国人の合理的なコスト意識と発想からも、効率よく国内を観光しようとする動きに繋がっていて、その点東京ー大阪を起点・終点とした動線上で、中途半端な地域は効率が悪いと判断されることが多いと思われます。

 

 この認知サイクルを改善していくには、単に宣伝して認知度を上げる試みだけでは効果が薄いと思われ、もっと外国人の興味・嗜好に歩み寄る施策が必要な気がします。

 観光地として琴線に触れた場所には、たとえどのような僻地であっても、外国人が訪れている事実からも伺えますので、もっと外国人の関心事に耳を傾け、その嗜好をつかみ取るのがこれからの招致活動に大切な課題です。

 

 その試みの中で、手前味噌ではありますが愛知県のニンジャ募集の施策は、発想転換に一石を投じるものと言えないでしょうか。

 黙っていてもやってくると言われても過言ではない定番観光動線を、その恩恵にあずかれない地域は、偶然性が働かない限り明らかに自治体単独で出来ることでは無いですし、どう変えていくかは新しい発想と取り組みを期待したいところです。

 

 以前からこのブログでも提案しているように、テーマごとの地域連携の重要性を考え、海外で行われる国交のような地域相互の補完関係を構築は、観光にとどまらず産業連携として、地域発展にも有効な手段です。

 近いがゆえに、意外と牽制しあう地方自治体の悪しき慣習は、マイナスになればこそあれ、資産をプラスに変える意識改革は急務で、自発的な融合が待たれます。

 

 戦国時代から続く、国盗り合戦の意識や、国同士の覇権争いはこの課題に対しては、地域相互発展のためにも、終わりを告げる時期なのではないでしょうか。

 

 

 「忍者の子孫」見つかる、滋賀・甲賀市が調査

初の外国人忍者に米男性、愛知県観光局 国際ニュース

 リニューアルされた姫路城、入城料をクレジットカード対応にし、利便性向上させるなど、姫路市三井住友カードと提携し、姫路城の入城料をクレジットカードで決済できるサービスを2月1日から始めると発表。
 使えるカードはビザ(VISA)とマスターカード(MasterCard)の2種類も利用可という試みも。

MRJ工場「FINAL ASSEMBLY HANGER」日本の誇り


 PokemonGo がブームを超えて、現象化していますし、いつも通勤途中にある鶴舞公園は「聖地」と言われ、すごい人が連日訪れてますが、ながらスマホが既成事実化しないよう願っています。

 

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 さて、当ブログの「MRJ」ネタですが、しばらく傍観していたために、だいぶん取り残された感が出ていますので、ここで一気に現状までのまとめをしたいと思いました。

 

 第二次世界大戦後より日本の航空機製作の経緯は、日本復興の勢いを示すとともに、日本のお家芸「技術力」を象徴するものとしての誇るべき歴史を示しているとも言えますし、日本産業が海外進出する上での、先陣としての最高を占う大切な局面に立っているところです。


 従来からアメリカ航空産業と政治の蜜月の関係は、日本再軍備化への警戒心と、冷戦による極東軍事配備の合理化と言う、アメリカ側の目論見のために、軍用機は無論のこと、国産旅客機の開発・産業化の進歩を遅らせることにつながりました。

日本国における新たな航空機(MV-22)に関する日米合同委員会合意

新しい懸念材料として、新しい世代への宿題となる。
新たな米国と日本の軍事提携の蜜月は起こっているのか?

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/goui_120919.html

22日にステルス初飛行実施 愛知県営名古屋空港:経済:中日新聞(CHUNICHI Web)

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2016042190195037.html

 

 こうした戦後の歴史背景の中でYS11以来久しぶりの国産旅客機が生産されるに至ったのは、とても明るい話題でした。

 昨日夕方の地元ニュース番組でも特集放送されてました、イギリス航空ショーでの国産中型旅客機「MRJ」とブラジルのエンブラエル社の「E22」の同クラス販売合戦は熾烈を極めています。

MRJ、欧リース会社から20機受注へ 20年納入で基本合意

三菱航空機MRJの顧客サポートPR 英航空ショーで : 日本経済新聞

http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLZO04577020X00C16A7L91000/

 

 ニュースでは密着取材だったこともあって、航空ショーでの商談の緊迫感が伝わってきましたし、新たな事実としてE22は、20機受注の話題と、MRJと同じエンジンを積んだ実機を空港をショーに持ち込むという、MRJにライバル心むき出しに売り込みをかけてきたようですね。

 昨年の今頃は、パリの航空ショーで受注ゼロという燦々たるスタートに、三菱航空機社長も蒼白な表情でしたが、今年はアメリカで先年末から試験飛行も始まっているうえに、国内の生産体制も整いつつあるので、ライバルがMRJと同じ20機受注の声を聴いても「以外に少ない」と余裕さえ感じられる様子。

 

 ひところに比べてMRJのシェア獲得の道は、見通しがでてきたようですが、連日絶え間なく報道される内容には、まだまだ警戒感と緊張感の感じられる記事が、多いのも事実のようです。

北九州空港MRJの格納庫完成は来年1月 : 日本経済新聞

http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLZO04769950S6A710C1LX0000/

 

 なによりライバルと違うのは、実機は存在するとはいえ、数機しかない飛べる実機全てを米で型式証明認を取るべく、証取得実験に投入しており、商談に持ち込める生産タイプは1機もないために、買う側としては「実績」の無さと、試乗できないというハンディは相変わらずで、MRJにあるのは「ジャパン・メイド」という日本製品の信頼性のみです。

 三菱航空機は、疲労強度試験機による試験を開始していますが、実はMRJは基本設計は1種類ではありますが、席数や重量などで各国の仕様・規格に合わせなければならないルールがあって、結構これが難儀なことのようです。 

MRJ、米の重量制限超過 営業運航できぬ恐れ:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)


 航空機に専門知識のない筆者が、今までの記事などから参照するだけでも、相当数の問題が山積しています。

 ここまで多くの課題をクリアするのには、国策での政府と製造産業という、日本一丸の体制で挑まないと、これから成長産業にするのはままならないでしょう。

 

 MRJのエンジンは、海外製でここが純国産でない残念なところですが、MRJに搭載されている「PW1000G」は、Pratt & Whitney社が開発した小型機向けの次世代エンジンで、現在輸入されます。

 長年エンジン開発をさせてもらえなかったブランクは、国産エンジンでないのは残念で設計は海外でも、製造技術はあるため三菱航空機のおひざ元の愛知県小牧市で、生産体制を組んで他航空会社のエンジン受注で、供給が追いつかなくならない体制も強化します。

 

 生産が遅れた分メンテナンスへの関心も高まり、すでに故障した際の体制も考え出されています。

 将来MRJが生産・販売されたあとの修理体制も、最初に納入が決まっているANAと、提携を表明し、緊急時に各他航空会社へ修理派遣も体制を考えている模様。

 

 将来MRJが発着するであろう、中部国際空港セントレア名古屋駅・栄を結ぶ空港アクセスバス「セントレアリムジン」を1日8往復へ増便 3月26日から便数を2倍へ増便したり、最終便に合わせた、名古屋駅への送迎バスも自称実験中で、将来のMRJとの相乗効果を、最大限生かす運営も整備されています。

 また、地元産業の技術継承も考えています、愛知県小牧工業高に「航空産業科」新設し、技術者養成を積極的に行っていきます。

 

 生産延期ニュースで、なかなか気を揉む「MRJ」の話題ですが、最後には何かと期待してしまうのは、筆者だけではないでしょう。

 依然として、おとなり中国のライバル機の話題も、中国の技術力進化の速さを考えるとまだまだ油断なりませんし、先の地元ニュースのインタビューで、英航空ショーに参加した、三菱航空機の営業責任者は、

「ライバル社の2倍は販売努力を惜しまない」

と言う趣旨の、頼もしいコメントをしていました。


 日本初の、国産ジェット旅客機「MRJ」は、これからも私たちに日本産業の海外進出の先駆けとして、シンボル的な注目を集めることでしょう。

 

MRJとHondaJetに見る事業の“スコープ”

日経テクノロジーオンライン -- 技術者を応援する情報サイト --

 

AI と IoT が呼ぶ未来の販促 マーケティングのリアルとは

 TV東京のビジネス番組WBSで、米大統領候補のトランプ氏の奥さんが演説で、現ファーストレディのスピーチ盗用を認めた後の放送で、その点をキレイに抜いて報道をしていたのは、さすがビジネスソースに特化した番組だと感心しました。

 

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 さて、本題です。 孫正義氏の、英ARM社買収(SOFTBANKでなくあえて孫氏)は今まで予言されていたIoT標準社会の具現化を、より大々的に表明したようなものです。その後、氏がこけるリスクはありますが、IoTの流れは日本ではとり認知が高まるでしょう。

 IoTの核になるのが、膨大なデータベース(ビッグデータ)と、その膨大な情報を高速処理するAIですが、先の孫氏がインタビューでもおっしゃていたし、故スティーブジョブズも夢見ていた便利な生活が、IoTで実現され用としています。

 

 私たちに最も身近なデバイスであるスマホ人工知能は、各社から実践投入されて久しく、所有者のコミュニケーションから確実に人の嗜好性を学習していますが、さてAIが生み出す利便性はどこまで人に貢献できるのでしょうか。

 今回はそのAIの実践・活用について記事ります。 

 

 最も知名度の高い話題は、チェスや将棋、最近で囲碁の試合の勝ち負けでAIのチョイスする判断力の新鮮味と、提案のユニークさの秀逸さを私たちは知ることができました。

 このAIの発想方法はより柔軟になっており、学習機能を持ったAIものが市場意向の追随性は高いとまで言われていますので、このまま行けば、バイアスのかかりがちな人間の選択よりも、客観性があって人も納得しやすい結論を導く可能性が高くなります。

 

 紳士服かるやまのAIによるDMマーケティングでは、男性ユーザーに対して効果がでたが、女性向けには課題が残る結果となり、単にAIの活用と言ってもある程度の条件調整は不可欠と言うことでしょう。

 ただ紳士服というバイアスがあるため、ジャンルが偏った結果を生んだ可能性があるので、はるやまのように今後も、素行錯誤の時代は続くと思われます。

 

 また、今後医療業界でも、主対象となる女性の感性は多分に「気まぐれ」「その場の気分」による予想しにくい感性をどうとらえるかが課題で、理論嗜好傾向のAIだけでは読みはまだまだ実用的でないようです。

 

 さらに、ついに日本で配信されたポケモンGOの、AIとバーチャルリアリティの面白さと現実性を、どこまでけん引してくれるかの壮大な実験がスマホを最も得意とする若者中心に、利用されています。

 某ハンバーガーチェーンが、商用参加した形ですが、アタリ必至と期待された公開初日の結果は、こういった販促方法に様々な課題を残していったようです。

 

 くれぐれも、歩きスマホ増加による迷惑な現象にならないことを祈っていますが、その分この実験は、それより多くのAIの可能性を実現してくれる、もっとも現実的で早道な手段です。

 人の生活動線をうまく活用し、マーケットに誘導する発想は秀逸で、それが現実のものとして受け入れられている点を、まず歓迎すべき事例なのかもしれません。

 

 こうして見ると、近い将来AIが人の気分の揺らぎまで予測し、先読みやマーケット・リーディングができるようになるのは、自時間の問題だと受け入れられます。

 その時期を早めるためには、少しでも早く実践投入させ予測経験値を一件でも多く高められるか、生活動線を家庭・街・地域・国の順に、AIは今スマホを介して自動的に収集しつつあります。

 

  そのため、その行動パターンが一見漏えいしているともいえますが、一方で人の利便性を高めるなど、AIはこれからの生活に溶け込んでいくよう期待されていますが、では自己主張せず私たちが意識することなく利用する姿とは、どんなものでしょうか。

 今その活用方法は、模索の段階ではあるのですが、最も身近な生活の中で希望されているのは家庭にある家電・家具などがAIで連携して、家族の嗜好や習慣データを基にした、提案や会話をしてくれる、と言うのが実現したらいいですよね。

 

 さらに、外部のIoTで連携したビッグデータ統計を活用した、通勤手段の選択からその運用、会社や学校で進める予定を事前に案内・準備が着々と進められていて、人はより創造的な仕事や生活ができるようになっていきます。

 先の孫社長のARM買収は、その未来を見据えた巨額投資だったわけですが、明らかに大手IT企業は、この一点を見据えて動いていますので、今後どれだけシェアをとれるかは、生命線と言えますが、あくまで過度な人のバイアスがかかっている間は、公益性を削がれる可能性は残っています。

 

 私たちは、どこが頭を取るにしても、既存の既得権益から解放されて、より純粋にサービスを享受できる社会に代わるきっかけになるし、こういった大規模なインフラ変革は、既成概念のシャッフルが期待できますので、より急変知ればするほどその効果は大きくなると考えます。

 自動運転車のインフラ開発も、まだ仕様の統一そのものが課題になっているため、グローバルなIoTとのリンクによる利便性を享受するには、もう少し時間が必要ですが、ドローンなどの低コストでできるものから、バスや配送トラックなどの、公共サービスのジャンルから、商用化がすでに始まっているのは、ワクワクしますね。

 

 AIは学習機能を持つにいたったことで、人からのバイアスを受けにくくなって、ある意味公平性が保たれる効果や、良くも悪くも偏った個人情報の不法な隠蔽や、高い信頼性の公益セキュリテイで個人情報の公開・非公開気分を一括管理できれば、不要な個人情報漏えいが、管理しやすくなります。

 この管理を人間がする限り、どこかでザルになるのは避けられないでしょうが、どうしてもこの考え方が信用できない層が普及に影響を与えるかもしれません。

 

 こういった直接私たちの生活にかかわるAIシステムは、かつてのように統一の仕様を求めるべきでしょうか? それともここで進化させて、その統合はAIに任せるべきでしょうか?

 後者の方が初期コストも低くでき、実用化も早くなりそうな気はしますが、こればっかりは、主導権を握った企業が決めることなので、いまからでは希望的観測の域をけられません。

 

 これからのAIシステムの進化は、加速度的に早くなります。それを今の人は躊躇していますが、遅かれ早かれ人間は判断しなくてはならない事は激減していくでしょうから、それに合わせて、人はどのように利便性を享受していくか、その上でどう人の創造性を高めていくかを求める時代になっていくでしょう。

 そんな未来が、結構近くに迫っている今こそ、より人間的に生きることがAIにどのように影響するかが楽しみですが、私たちは、その流れにいかに自然に溶け込み、共存しながら生活を向上できるかにかかっています。

 

 今後のAIとそれをつなぐIoTネットワークが造るマーケットは、単なるチキンレースで浪費されるのではなく、よりシェアによる共存性をどれだけ高められるかで、どれだけそのメリットを享受できるマーケットです。

 そのためには、一部の企業が占有する既存のサービスとは異なった、より汎用性の高いものが自然により分けられて、そうでないののは淘汰されていくでしょう。

 

 しかしそれが実現されてくまでには、まずは情報が適度な共有によってより高い効果を生むことを、一見情報共有で丸裸にされるのではないかという、過度な恐怖感を克服できるかが、大きな課題になるでしょうか。

 今はAIやIoTについては様々な憶測が飛び交っている段階ですが、その収まる先を読み切って動いている者がいるとすれば、その考えが生産性の高い思想に基づいたものだと、ぜひとも期待したいものです。