くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

人口減による国内少子化対策を考える。「なも研7」 :二部作の①

 

 今回のなもなも研究所「なも研」は、日本経済・景気をうらなうのにとっても大切な、少子化対策のあれこれを考えます。

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 国内の人口減少が以前からも分かっていたにもかかわらず、数十年にわたって人口増加や、バランスを考えた雇用対策が消極的だったことが、ここにきて十年来景気の予想通りにはいかない低成長ぶりに、政府は目先の対策に走らざるを得ません。

 

 低成長ながら、一見このデフレを乗り切っているように見える景気は、皆さんがすでにお感じのように何か潤っているようには感じられない、という全うな感覚に反映さえている通り、それはある意味超崖っぷち日本の危機意識を持っても、言い過ぎではない状況なのかもしれません。

 

 この不思議な景気感覚は、比率としてはじりじりと減りつつある、かつての安定所得を享受する中間所得層が、景気統計の主流をなしているため、実際の全所得層のそれとはギャップがあるからだと考えられます。

 この見方を穿って考えると、全体としての景気は決して良いものではない事を、私たちは直視していくことから始めないと、本来の景気回復はかなわないような気がするのですが、いかがでしょうか。

 

 今の景気につながる流れは、1960年代のベビ―ブーム世代の若い爆発的な動きによって始まり、日本の景気や大きく社会を変えて来増したが、そのさらに子世代は今その動きを変えようとする起爆剤になっているようです。
NOを突きつけた若者の今

 何度かのベビーブームを経て一億数千万人を達成して以来、それを下回るじきが20年以上続く日本。
 今後の人口推移統計で、2060年には8600万人まで減少すると予測されているようで、日本の将来推計人口は現在から2050年には、

高齢者(65歳以上)3395万から3767万人
働く世代(15~64歳)は、7681万人から5001万人
(2012年、国立社会保障・人口問題研究所)

 昨年安倍政権は、子育て支援政策として希望出生率1,8%実現を掲げて、子どもの個性を伸ばす教育再生を目標提案するなど国内人材目減りによる国民への危機感を緩和するために、満を持して1億維持を戦後はじめて発表しました。

 たとえば子育ての処方箋としての、個人の自由へメスを入れる、超少子化を徹底検証
時代背景
合計特殊出産率でみると、

 

1947年第一次ベビーブーム(団塊世代)で4.32倍、

60年、70年は2倍で横ばい、その時期は人口抑制へ動く。

 

 第二次ベビーブーム(71~74年ピーク)で、その後徐々に下がり、1989年には、1,57ショックと呼ばれる超低出生率を記録することになります。

 この背景にはさまざま原因はありますが、女性社会進出で子育てと仕事の両立が困難になったり、生活に子どもを考慮しない者が増加傾向にあるのもその一つ、さらに抜本的な対策を取らない政府も大きな要因だったように思います。

 

 1992年ウエルカムベイビー政策を打ち出しますが、その後予算増えず出生率も低下、しかし世間の流れは好景気が継続している意識が高い割に経済格差の広がり・企業の海外進出や中小企業の経営悪化がつづいており、実際の景気はその思いを他所に低迷していたためか、多くの人が期待した第三次ベビーブームは起きませんでした。


 今では誰でも自覚している、経済悪化傾向で非正規雇用増加、共働きや結婚しない若者の問題は、惰性で続いた好景気の継続感も手伝って、問題化されてこなかったのがその対策に遅れが生じた原因とも言われます。

 出生率は2005年1.26まで低下し、当時の政府はやっと予算増加、その効果で多少増加するも期待値を下回り1,42にとどまっています。

 巷でも当時言われたゆとり世代・草食化する男子などのキーワードが顕著だった時期の、30代前半の未婚率男子47、3%女子34,5%に達したことが、負のイメージにつながったのかもしれませんが、2000年から2014年までで、1.5を上下するにとどまっていたようです。(人口動向統計、厚生労働省2015年)


 こうした少子化が進んだ理由として、世間が人の結婚・子作りにあれこれ言わなくなるなど周りからのプレッシャーの減少という社会的な風潮の変化や、仕事をやめなければ出産・子育てがままならない企業風土。

 核家族化で子育てに想定を上回る資金負担がのしかかるようになったり、好景気感覚が恋愛対象は高額収入男子のみ(300万年収以下では論外)など実質経済と釣り合わない歪んだ結婚観を生んだ事も一つ。


 周りからは生んでほしいと期待される一方で、若者に広がる 不安や古い慣習そのままの社会・経済的抑圧も重なるなど、実際は8割以上は結婚を希望しているにもかかわらず、現実は40%にとどまっています。

 大学までの教育費、生活費の重荷に2人以降の出産に躊躇する夫婦が多かったり、結果景気上昇の起爆剤として期待した第三次ベビーブームが来なかったことや、子どもを増やしたら報いるメリット感が目減りして、むしろ結婚するリスクの方が大きいという認識が、根付いてしまいました。

 

 昨年4月からこども子育て支援新制度(待機児童削減・3人以上子持ち世帯負担軽減)や、今年4月から親世代からの支援促進(3世代同居へ住宅改修費控除・結婚出産費一括贈与、対象拡大1000万円まで非課税)さらに、児童・家族関係給付費も2013年度では5,5兆円と増額し、現政府は具体的な対策を打ち出しました。

 しかし参院選の宣伝対策だと揶揄される向きもあるなど、今のところ私たちにはその意気込みや期待感が伝わってこないのも、まだまだ本格的に本腰を入れていないとの感覚から逃れられずに、一歩足を踏み出せないのが実情のようです。

 

 他国と出生率関連統計を比較すると、GDP比で半分、3分の一のケースもあるようで、GDPとのバランスの悪さが特徴のようです。
 フランスでは、1990年代半ばに、1.66が最低を記録後、大胆な対策を講じた
2010年の15年程で1980年代以前の水準以上の2.02まで向上させたそうで、政府の対策は見事成功しています。

 

 その成功例の制度をみてみると、徹底的なお金の支援を掲げており、出産手当に始まり3歳迄基礎手当、9月に貰える新学期手当で2人目だと家族手当追加。

 子ども二十歳までの減税含め手当は、1人で600万円、2人では1900万円、3人で3900万円と、フランスが子を増やすのに積極的な国だとわかります。


 今の日本の税収面などの制度は、子どもを持たない人には不公平で、だからと言って個人に責任を持てと若者に押し付けるのはおかしな話ですし、人口比率の高い団塊世代を中心とする高齢者層が、福利厚生の面で若者層への分配を減らしていて、負担も大きくなっています。


 中長期的な国民の意向を反映させているとは言いますが、実際は1990年から29兆円だった高齢者関係の社会保障給付費(児童の医療費除く)の推移は急激に増加していて、2013年までに75兆円まで膨らむ(社会保障費用統計)(国立社会保障・人口問題研究所2013を基にNHK作成)

 高齢者関係の75兆6千億円に比べ、児童・家族手当は数兆円レベルで殆ど増加していない(2013年で5,48兆円)とバランスの悪いのが実情なのは、驚くばかりですが、これに対し2015年11月に「第1子に1000万円支給」といった現金給付が提案され、50万人が増えると見込んだようです。

 ただ、これはいわゆるバラマキでうんざりする人も多いと思いますが、即効性を認める意見もあって、意見の分かれるところ。

 国内の子だくさんの町、26年速報値で合計特殊出生率2.81を実現した人口6千余りの町、岡山県奈義町の事例。
 2年前60人のこども誕生、2005年には1.41まで低下したものの、2013年急上昇して2.81達成したそうです。
 秘訣は、子育て世代の徹底したリサーチとサポート。
 保育料割引保育料・幼稚園授業料(所得制限無)子ども2人目半額、3人目以降無料

 医療費無料:子ども高校卒業まで町負担、予防接種全額無料(ロタ・B型肝炎ワクチン・流行性耳下線炎など)おたふく・水疱瘡も全額補助。一部助成(インフルエンザ)
 住まいも、40歳未満夫婦3LDK家賃5万円/月、3割安
 子育てへの精神的サポート、子育て支援センター(利用無料年齢制限無)アドバイザーが常駐と子どもとママの寄り合う場所に。

 その他雇用促進、不妊・不育治療費助成など。

 

 これだけの補助をそろえたのは他に類を見ないもので、この街の強みですね。
おかげで3人でもいいかな、という安心の雰囲気が生まれたと言いますが、この空気が国内にないのが、大きいです。 
 同町では、世帯の半数が3人以上子持ちが占める5人子持ち世帯もいて、自治体は通常2倍の8700万円かかる予算を、徹底した経費削減でねん出していると言う。

 役場の職員数は、同規模自治体比較で20人ほど少なく、平均給与も30万円下回る同規模とは6万円の差がある。
 公共事業には高齢者町民ボランティア参加で人件費削減などの努力した結果との事。

 どこでも実施している、施策を幅広く実施
結婚、出産、子育て支援を地道に行う自治体が勝つ
財源は、合併をぜず、福祉節減の対象から外し、ムードヅくりに成功した事例は大いに参考になりますが、本来政府が実施すべきことで、この温度差はとても受け入れがたいものですね。

 ここ定着しつつあるイクメンブームで意識は高くなっているが、現実は効果が出ていないです。
 お金以外にも課題が、夫の家事・育児時間別、第2子以降出生状況では、
出生率は、無し:9,8%、2時間未満:30%、4時間未満:67%、
6時間未満:76%、6時間以上で84.5%
(21世紀成年者縦断調査、厚生労働省2015年)

 夫の1日の家事・育児時間
日本:67分、英米独スエ:軒並み150~201分と歴然(少子化社会対策白書 内閣府2015年)

 男性の育児休業取得率
日本:2.3%(2020年までに13%目標)、イギリス12%、ドイツ28%、スエーデン88%

(21世紀成年者縦断調査、厚生労働省2015年)(今後の仕事と家庭の両立支援に関する研究会・資料、厚生労働省2015年を基に作成※各国事の制度が異なる為、厳密に比較できません)

 育児休暇取得する空気が全く無い、利用できない企業体質(一種の搾取)
重要な地位の大人は、育児経験が無く感覚がつかめていない、高度成長期に育児に関われなかった父親は不幸だったと言う空気に変われば意識も変わるかも。
 超長時間労働の禁止、インターバル規制(勤務終了から次の勤務までの休息時間の保障)で労働時間の削減効果として、マイナーチェンジにもなります。
 これは、休暇しても給料保障されるスエーデンだからできることではあるかもしれません。

 人口回復は、本気で考えるには何が求められるのか? 育児は社会で育てる意識、日本全体の問題との意識をもっと高める教育や報道をすべきでしょう。
 フランスの家族政策・強化であって、日本では少子化というマイナスイメージが強いのは、政府・企業がしてきたもので、改善責任はかせられるべきでしょう。
 専門の省庁をおいて、有力政治家・敏腕政策者を措くべきとの意見も出てきてしかるべきです。
 過去の慣習に引きずられた男女の役割分担意識の障壁の見直しは基より、住民全体で本気度が試される先送りできない問題だけに、待ったなしのこの問題を将来の日本の向上のために共有していきたいですね。

 

 

「ほら、笑おう」 曲の歌詞が踏み絵として突きつけたもの

   昨日、田ノ岡大和君の退院シーンが報道され、尋常でないほど多く人の祝福を受けて車で帰っていきました。悲劇から一転した心温まる事件に思わず顔が緩んでしましますね。

 さて本題です。

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 「ほら、笑おう」現役中学生がつくったこの歌の歌詞に、思わず感情移入してしまったり、逆に拒否反応をを起こしたり、こういったシンプルな歌詞の歌は、見聞きする人によってそれぞれの心の投影になるものです。

 

 いじめは、今に始まらず昔から人の住むいたるところで起こっていますし、誰もが無くなって欲しいと願うことですが、人が集えば複雑な人間関係が生まれ、主従関係が形成され力関係のしわ寄せで、いつも弱いものが悲しい思いをします。

 誰かが自己主張を強めれば、その分どうしても誰かが我慢しなければならないし、その格差は人間関係を円滑に進めるのには、避けて通れないものでもあります。

 

 日本の人々は、国土の限られた土地を上手に利用するために、集落の中で人間関係を円滑にする手段に、お互いを気遣い主張を突出させずに、波風を立たせない気遣いをする習慣を身に着けてきました。

 その反面で、心で発生する感情の問題をこれも器用に吐き出し、人知れず内に収める気遣いも覚えてしまいました。

 

 良くも悪くも感情の起伏を表面に出さずに、丸く収めてしまう能力に長けていると言えるでしょうが、良いことは良しとしても、悪いことが表面に出ない事への弊害は、いじめなどのゆがんだ現象としても顕著に出てしまうのは正直「わかっていても、どうしようもない」ものと、あきらめている人も少なくないのではないでしょうか。

 

 さて筆者は一見自己分析をしてみたとき、虐めた経験が無く虐められた経験しかないなと振り返ってはみても、さて本当にそうなんだろうか? とも思ったりします。

 思い出の中に残っているのは、間違いなく虐められたイヤな記憶だけはハッキリ今でも思い返せますが「虐めた記憶?」は本当に無かったのか、少し自信がない気もするのですよ。

 

 いじめのニュースを見るにつれ、その周りの意見を読むと必ず「虐めたヤツは行為を虐めだと自覚していない」という意見が出ています。

 その意見に、虐められた記憶しか無いはずの筆者でさえ、ドキッとしてしまいます。

 

 「本当に、自分は人を虐めたことが無いのか?」

 「都合よく忘れてしまってるだけじゃないのか?」

 「忘れた上で、しれっと他人の振りして、意見をのたまってないか?」

 

 ここまで自己反芻すると、ハッキリと虐めていないと自分を言いくるめる自信がなくなってしまいます。

 

 おそらく、自分の住む名古屋市の西区に住む中学生が自殺する、という記事が話題にならなかったら、このような記事をブログにしていなかったかもしれません。

 事実、筆者はとっくに中学を卒業していて、大人社会の中でそれなりの人間関係を形成できている大人であって、子ども(の理屈で成り立つ)社会である中学校で起こった事件を、客観的かつ正確に判断できる立場にないですし、自分は虐めの対象には決してならない安全地帯から、見下ろすように虐めを見ているのですから、ここに書いていること自体が、フィクションである可能性すら否定できないのです。

 

 ともかく、一旦筆者のおかれている立場を明確にしておいた上で、この問題を語るという前提で書くわけですが、こんな悲しいまでに人を否定する行為の虐めや、その帰結の自殺を見るにつれ、無くなった少年の共感する気持ちや、その死に痛むこころを持津ことが、どれだけ大事なことかを痛感はするのです。

 だからと言って、虐めない立場だからそれに安住する、というのもおかしな話間も知れませんが、生きていればこそ虐めの根源と少なからず闘って、勝ち抜けてきた自負もあり、その立場で言えば虐めに走る側の心理も判るし、虐められる側の苦しさも解る。

 

 だから、筆者としてはどちらかを一方的に批判も肯定もできないのが本音ですので、偉そうなことを言える立場にないのかもしれません。

 しかし重要なのは、仮にどちらかの立場であったとしても、筆者のように中途半端な立場だったとしても、絶対に常に自分の主張を明確にできることが大事で、後悔するようなことをしたのなら悪びれずに反省して二度としないとか、逆に理不尽だと感じたらその気持ちを吐き出せる準備をしておくことです。

 

 人は、生きている以上(極論ですが)虐める立場になることもされる立場になることも必ずあり得るます。でもそのどちらになった場合でもそれを諫めるのは自分だけであって、自分を忘れてしまったら誰も助けてはくれないという現実に、早く気づかなければならないということです。

 

 この名古屋の少年の話を待たなくても、全国で止まらない自殺の根源には、身近に寄り添っていきるからこそ起こるパーソナリティの閉鎖間や疎外感が、本来上回るべきはずの共感・理解度より大きくなってしまってる現実があります。

 

 今「不寛容社会」というキーワードに例えられる、私たちの身に迫る問題があるそうですが、かつてと比べてあまりに簡単に他人の個人情報がさらされて、プライバシーの確保が困難になったり、自ら閉鎖的な集団に参加して人間関係が複雑になることが、とても多くなりました。

 情報社会がもたらす新たな人間関係に、参加者自身が飲み込まれて身動きできずに、その不満が見ず知らずの人の行為を、その人の生活環境を熟知しないままに、自分の環境とたやすく置き換えて物事を判断する弊害。

 

 さらに、その不寛容に悪循環のように同様の感情が重なって、不満だけが一気に往復していくこの怖さ。

 これは、今まで日本が得意としていたチームワームで問題を乗り切る力にも、多大な悪影響を与えかねない深刻な現象です。

 

 本来ある筈の共感や、同情・思いやりという、人にとってとても大切な情緒を安定させるのに大事なものより、今までなら隠し抑えていた不満・反感がネットに一気に加速して攻撃する、新型の虐め。

 ご近所同士顔も見えていれば、いろいろと気遣いもできていたのに、見なくても知らなくても一方的にプッシュ型で押し付けられる三面記事に、いやでも刺激されて反射的に反応できてしまう世の中。

 

 この世のなかでは、よく見かける隣人やいつも学校や会社で出会う友達・同僚とのスキンシップやコミュニケーションがあっても虐めは起こるのに、見ず知らずの相手にはとても共感するなんて無理なのでしょうか。

 

 こういう社会だからこそ、現実にいる身の回りの人々との触れ合いを良くも悪くも体感しながら、自分自身を見失わない自覚が、それこそ生き抜く武器になっていくのは、必然のような気がします。

 

 日本人が、培ってきた人への気遣いで不満の吐き出し方が、不得手になってしまったように見えます。自己主張するのに罪悪感を感じる人が多いようですが、自分を良く知ってないと、過度に自己を抑圧して無意識に結果傷つけては、本末転倒です。

 必ず必要悪は生きる上で必要だと、大人なら熟知しているはずですが、子どもにはまだそのような処世術はわかりません。

 周りの親や先生などの大人がその処世術を教える前に、ネットなどで知ってしまう子供たちが多いように感じます。

 それは大人は知らない子供社会の現実を作ってしまう温床にもなりかねませんし、これが本来あるべき意思疎通の阻害にもつながっているのも事実。

 

 大人は、昔と違っている今の子どもの生きる情報環境に早く気づいて、言いにくいことも早い段階で子どもに諭す勇気は必要ではないでしょうか。

 

 「ほら、笑おう」この曲の歌詞に並べられた言葉は、きれいごとと大人が言ってしまえば話はそれで終わりです。

 ただ、もう一度自分が子どもだった頃を思い出してください、決してきれいごとだとは思っていなかったはずです(おそらく)。

 今はネットや身の回りの情報で、冷ややかな目で見る子どもも少なくないのかもしれませんが、いつしかサンタさんの存在の意味を忘れてしまうように、歌詞にある悲しみを減らすことや、希望を実現するのは正直否定したほうが楽なのを、大人は経験上学んでいるだけに否定に走るのを批判はできません。

 

 それでも、寛容と共感のない世界、潤滑剤のなくなった歯車がぎしぎしと半ば強引に回っている姿に、改めて何かを感じて見直してみようと考えるためには、その純粋さのすべてが詰まっているこの歌詞は、実現させるべき夢としての存在価値が、多分にあるように筆者は思います。

 

 

 

ウーバーに触発されて街で進化する市街移動サービス

 

 2020年、日本にとって外国人観光客招致が劇的にかわると期待される年とされ、国を挙げて、そのおもてなし準備に余念がありません。その中で周りの移動サービスの今を考えます。

 

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 東京は、オリンピック会場都市のため、公共機関や広報・案内サービスの充実に相当力を入れていますし、その他地域の都市や筆者の住む名古屋市でも、観光客の増加を見込んで言葉の壁をなくす工夫や、効率の良い観光地巡りや、買い物をサポートする、さまざまな工夫が進められています。

 

 その恩恵は、すでに現在でも国内市民に対しても、利便性の向上が起こっているようですので、その現状を移動サービスを主に見ていきたいと思います。

 

 移動サービスの進化は、タクシーやバス、少し遅れますがリニア新幹線などで実現されるものですが、名古屋は自動車中心の都市づくりと言われる割に、駐車場確保が最もしにくい街だそうです。

 

 実際、郊外を除いて都市部の駐車場事情は、地価高騰のおかげでまとまった駐車場の確保が困難で、大型ビルや広い道路・公園の地下駐車場がありますが、昔から現在に至るまで、大規模に増加した話は聞きませんし、イオンなどの大型スーパーが建設されても、それ以外の利用には限界があります。

 

 具体的には、県外・海外からの訪問者で、知名度の高い名駅やそれ以西の伏見栄、繁華街の錦・広小路・新栄は、車で来ると駐車場探しにぐるぐるしばらく周りことになりますので、筆者でも公共機関か歩いて行った方が圧倒的に効率的と実感するほどです。

 

 名古屋城や、徳川園などの歴史観光施設、県美術館や科学館など文化施設も充実していて、それぞれ駐車場もそれなりにあるのですが、近隣施設や買い物にくる人も併用するため、圧倒的に足りません。

 それが分かっていても、物理的に増やすのが困難なのが現状、最近隙間空き地・休遊地にコインパーキングが点在していますが、一か所に止められる台数は数台・しかも狭くて街に慣れていない人には、使いづらいのが実情です。

 

 ただ、名古屋を起点に自動車で郊外へ遠出を予定される観光者には、自家用車やレンタカー、カーシェアサービスはとても便利でしょう。

 

 将来的には、地元トヨタ自動車が積極的に進める、次世代移動サービスに向けてより便利なサービスになると、期待されています。

 

 しかしながら市内観光や買い物などでは、自家用車での名古屋観光は賢明でなく、地下鉄・市バス・タクシーを活用するほうが圧倒的に効率的でしょう。

 ただ初めての観光者や名古屋に不慣れな訪問客にとって、それでも敷居が高いように感じるところをどう解決していけるかが、課題です。

 例えば、東京ほどでないにしても地下鉄の利用は、乗り換えは容易でないし市バスは安くて慣れれば重宝しますが、市民の筆者でさえ路線の把握と行先の見極めは、結構苦労します。

 今、各公共交通の駅やホームで、サインや案内表示の見直しを事象実験を含めさまざま取り組んでいますが、実用の域には達していません。名古屋駅や、いくつかのモデル駅では、今急ピッチでスムースな移動の可能な工夫が試されています。

 

 名古屋市は初名古屋観光者向けに、また名古屋を効率よく観光したい訪問者向けに、メーグルと呼ばれる、東京でいうところのはとバスのようなバスが市内をめぐっていますので便利です。

 

 市バスはそれに加えて安くて自由度が高いので、市民の足としての機能に加えて観光者向けの利便性を加えることができれば、交通量の整理ができる可能性があります。

 単に観光利用者が増えただけでは、市民の足としての利便性を欠いてしまいますので、時間・曜日毎の便数を増やすなどの小規模の工夫を加えてダイヤを調整できないものでしょうか。

 あと、市民の足として郊外型のデマンドバスの普及もトヨタ中心に進めてくれるとより、効率化を図りやすいかもしれません。

 

 

 

 最も現実的なのは、餅屋は餅屋でタクシーなど土地勘のプロに任せるのが楽ではありますが、運賃もかさむし業界も厳しい状況に立たされていて今後の展開が気になるところですが、最も現実的な移動手段であるのは変わりありません。

 

 その中でも、今ウーバーなどの新業態導入の動きが活発化されており、まだまだ変化が起こりそうです。

 名鉄タクシーグループは22日、中部地方で初めて導入したトヨタ自動車燃料電池車(FCV)「ミライ」のタクシー2台の運行を始めた。 

 「環境に優しい」との触れ込みだが、燃料を補給できる水素ステーションはまだ少なく、遠距離利用には不向き。予約客中心で流しの営業はしないが、課題は多そうだ。

 待機場所の名古屋駅近くの高層ビルで同日午前10時から出発式があり、関係者が拍手でミライタクシー2台を送り出した。すでに10件以上の予約が入ったという。最初の客となった中部運輸局の諏訪達郎自動車交通部長は「車内がすごく静か。

http://www.meitaku.co.jp/mirai.html

 

 余談ですが、名古屋の某メジャータクシー会社には、幻の「金のタクシー」が走っています。運賃は変わらないですが、台数が殆ど無いので、偶然乗れればラッキーなタクシーです。(筆者も乗ったことはないです)乗ると記念のシリアルナンバー付きのカードがもらえるそうで、実に名古屋らしいサービスですね。

 今後も競争原理や、近未来のタクシーサービスが構想されていますので、期待したいですね。

 自動運転タクシー 2020年までに実用化へ | NHKニュース

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160520/k10010527761000.html

無人タクシーも夢じゃない? クルマ業界に技術革新の波:朝日新聞デジタル

 

 郊外へ出たときは、道の駅という観光ポイントがありますが、この道の駅へのスムースな誘導は、各郊外観光地への道しるべですので、さらなる工夫やインフォメーションの充実が期待されます。 

 また、自動車道路の利用優遇制度も積極的に、自治体で見直しを進めてもらいたいことの一つです。

地方創生へ「道の駅」支援 : 最新ニュース : 読売新聞(YOMIURI ONLINE

http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/news/20160329-OYS1T50019.html

 

 最後に国外の事例の話題ですが、欧州やアメリカ主要都市の移動サービスは、世界に先行するかのように進化の一途を辿っていますので、大いににいいところは取り入れて見習うべきでしょう。

 

  まだまだ時間があるとはいえ、こういった公共サービスの工夫は時間がいくらあっても足らないほど難易度の高いものですが、この未曽有の観光発展のチャンスを前に、各自治体が切磋琢磨を期待して、いい意味での競争意識を持って、向上してほしいです。

 

保育園の先にある、子どもたちの未来への共感は?

  前回の労働力不足の話題に関連する、将来の仕事の継承者になるであろう、子育て環境改善について記事ります。

 

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 今は、ひと昔のように各々の家庭がその中で子育てして教育もするのがふつうと考えられましたが、これからはその考え方を一部でも柔軟に変える必要がでてくるのでしょうか。少子化で継承者現象の深刻化は、そんな将来の不安を垣間見せてくれます。

「区立公園を保育所に」杉並区の提案に近隣住民が反発 なぜ?
http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/30/suginami-kindergarten_n_10215110.html

 

 

 そんな国内がの本の将来を案じている中で、少子化なのに小さいお子さんを預ける保育所不足で、新設するにも近隣の猛反対の憂き目に遇うという悪循環。

 こんな日本に誰がした! と世の親御さんは嘆くばかりでしょう。

 

 しかも、施設完成を一年延ばされれば、子どもの成長は待ってくれませんから、大変なことですが、政府・自治体は子育てしない住民の意見も平等に見なければならず、予算確保も限りがある中で、住民満足度を上げないといけません。

 地域内に保育施設を増やす、賛成派と反対派のシェアは、反対が高齢者層中心で、賛成派層が20代30代の子育て層ですが、どうしても前者の人口比率と過去の社会貢献度がモノをいうためか、どうしても後者に分が悪いんですね。

 

 ここで、取り上げたいのが先に書いた考えを変えていく時代になっているのではないか? という点ですね。

 この意見も、立場の違いで単純に反対派層の優位性がっ出てしまいそうですが、じゃあ子育て層が優位になるまで変わる必要がないのか? と考えると、肯定したら空恐ろしい未来が待っていそうな予感がするのは、筆者だけではないでしょう。

 反対派の多くが高齢者層だとは書きましたが、当然同じ危惧を抱いている人も多いでしょうし、子どもたちの活気のある声を聴いていると、元気になるという効果も本来あるものです。

 

 若年層でも、子どもが嫌いだったり、無縁だと考える住民はうるさいと感じたりしているようですが、やはり戦後GHQの政策で日本人の意識の多様化・自由化が、ここにきて顕著になってきたのでしょう。

 この意識の自由化が曲者で、自由の裏には責任が伴う事実を放棄している向きは否定できませんし、今回のテーマに沿って例えれば、子育てを他人事にして個人の自由を優先させれば結局自分が高齢化した際に、福利厚生面でサポートしてくれる人がいなくなるということです。

 

 その証拠に、安倍首相は骨太政策、といいつつ消費増税なしでは予算が不十分なために、予算の優先順位を切り詰めないといけない状態の中で、子育て支援を優先する意向を示していることからも、後継者支援は重要課題と認識してのことです。

 

 少なくとも、現政府は過去の財政収支、予算編成を柔軟に修正せざるを得ない状況に置かれているわけです、あとは本当に実施されるかを市民が見守るだけです。

 このように、高度成長政策だけでこの先も乗り切れると現実逃避をつづけてきた、歴代の政府が、漸く借金政策から脱却をめざし目先の大問題「人不足解消」に向き合う姿勢を見せだしたわけです。

 

 今度は、住民もその方向に進む声に真摯に耳を傾け、少子化対策を軸とした福利厚生の向上に協力していく必要が出てきたのではないかと感じています。

 まだまだ先の話しかもしれませんが、「子を産んで育てたい」という人として当たり前の願望を、想像もできない世の中はあまりに不幸すぎます。

 そんな日本にしたいだなんて希望する人は居ないと信じたいところですが、その呼応を考えるだけで「かなわぬ夢」とため息つかなければならない現実は、胸が痛むわけです。

 

 一方では楽天的な意見も出ているようです。

もしかして少子化問題って10年後には解決してるんじゃないの?非婚が進む30代と早婚志向な20代の溝

 女性の意識に限定した条件での仮説ではありますが、私たちが悲観しているほど女性の意識は変わってきているのかもしれませんし、そうなら期待したいものです。

 

 子どもを産むのに産婦人科の減少、産んだら乳幼児を育てるノウハウがいきわたらず不安をあおる、それでも何とか少し成長させられたら、収入の安定に働くために子を預ける場所が足りない……さらにこの受難はご主人が居ても仕事に専念されていれば、子育ては母親に一任される現実。

 

  一方で、その大変な立場として擁護される親御さんに対し、あえて反対する意見もあります。

  単に、子どもをアテにした、大人同士のご都合戦争だという見方ですが、たしかにこうした視点はさまざまな問題の盲点を指摘するのに、重要なものです。

 

 

 保育所建設論議に始まった論争は、解釈によっては子育てにかかわらず、医者事態が使命よりも収益優先で、都市部に偏って地方開業者が減っているとのこと、住民も、不便な地方を捨て都市部へ流入し、福利厚生のバランスがおかしくなっているし、景気が向上しない(正確にはとても緩やかに向上中?)という空気は、消費者にとって景気が悪いと認識され、それに呼応する企業は賃金上げを内部保留し続ける、それを修正指導する政府は、その流れをなかなか修正しようとしない。

 それをみて住民はさらに不安視してバランスの悪さに不満爆発……この循環が長期間つづくと一番影響を受けるのは、これから育っていく将来の担い手、子どもたちです。

 

 大人たちは、この将来の日本のホープ足り得る子供たちに、どれだけその問題解決の知恵を授けているでしょうか?

 いくら大人が表面上いい大人を演じても、子どもは純粋なフィルターのない目で世の中を見ています。貧乏なりに、裕福なりに自分だけ生き残る方法を見せつけている間、子どもは親の生きざま、大人の動向を冷徹に見据えながら、反面教師として学んでいきます。

 むしろ、こうした世相を見て育つ子供たちは、意外と賢いのかもしれません。しかしとても将来今の大人たちに感謝してくれるとは思えないのです。

 それはとても世代交代と言えるものではなく、悲しいことに他ならないだけに、弱者である子どもの立場にどれだけ共感できる大人がいるかが、問われているんだと思われます。

 

 子育てについては、可能な限り多くの大人が直接子育てでなくても、子育て相談できる機会をふやす、単に大人の常識を子どもに押し付けないなどの協力、子どもが増えたことでのメリットをわかりやすく住民に周知する、などの多様な市民協力が必要になっています。

 

 日本がグローバル社会で生き抜いていくには、まず虎の子を育ててナンボですから、今からでも子どもの立場にかえって、大人として何が必要かを考える知恵がもとめられているのでしょう。

 

 

 参考:

名古屋市:公立保育所によるリフレッシュ預かり保育事業(暮らしの情報)

 

ものづくりに必要な労働力・技術力不足と外国人ニーズの違和感

 今日も暑かったですが、6/1は名古屋城本丸御殿の「対面所」の一般公開の日でした、今一歩天守閣に続く中継ぎの施設の完成です。

 さて、本題は前回の一次産業の現状に触れたにの続いて、私たちの生活の糧である職業、特に二次産業の今についてですが、日本もデトロイトのようになってしまうのでしょうか……。

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  かつて、世界の向上と言われた中国は、特に日本の企業の精密な技術力を学び・吸収してしれを身に着け、独自の製品開発力を発揮して、オリジナル製品を世界に販売するまでになりました。

 

「我々の技術はすでに日本のそれを超えています。」

 今や、日本のメディアのインタビューに対して豪語するまでに成長しています。

 

 最も誇りとしていた技術力やノウハウを、労働力コスト削減という目先の問題を回避するつもりで海外進出を図った企業や、躊躇なく国内生産の下請け業者を見放して、中国などに大半の生産拠点を移した大手メーカーは、新たな問題に直面しています。

 はじめは、労働力の多さと人件費安さが魅力だった、中国を中心としたアジアの下請け工場は、景気が良くなる一方で人件費も高騰し、かつてのメリットがなくなりつつあります。

 

 日本小規模メーカーや、新興メーカーには中国の技術力を持った下請け工場は、成功のチャンスをつかむきっかけとして注目されています。

 カシオから独立して、UPQ社を起業した女性企業家の話が有名ですが、彼女もたぐいまれなアイデアを製品化するのに、中国特に最近注目される工業都市、深圳(しんせん)の工場を使うことで、一人で家電メーカーを成立させるに至っています。

 

 このようなシンデレラストーリーも話題になる中、既存の大手にメーカーが労働力高騰によって取り出した方針転換は、大きく二手に分かれているようで、一つはさらに人件費の安い東南アジア新興国へ、工場移転をすすめていく刈り取り式を取る企業と、国内生産に主力を戻す国内貢献式を取る企業です。

 前者は今後も人件費コストとの兼ね合いを基準に次々に安い人件費を求めて、主要工場を変えていくのでしょうし、これがもっともリスクの少ない方法だと考えているようですが、一方後者の企業が国内回帰に求めるものは、生産管理リスクが人件費と労働人口との戦いになることを、予想できていなかったようです。

 

 ガイヤの夜明けで、TWINBIRD社(新潟県燕市)や、Knot社(神奈川県横浜市)の国内生産回帰の特集を放映していましたが、まさに後者の典型で、かつて存在した優秀なメイドインジャパンの技術力の、衰退と復活の戦いが企業に課せられたのです。

 国内の大規模工場は、家電メーカーのそれはニュースで示す通り、海外企業買収や縮小の憂き目にあっている中で、国内回帰をめざす企業は中小か、新興の小規模メーカが多く、国内メーカー全体の取り組みとして見ると、まだまだ成功したという印象が小さい状況ではあるのですが、日本企業の一つの未来ではあります。

 これは業態にもよりますが、国内市場に何が求められていくかによって、メイドインジャパンの行方を占うものです。

 

 さて、海外に相変わらず、コストカット頼みをするメーカーはそれはそれでいいとして、筆者が今回関心を抱いたのは、注目するのは国内の生産者を探し求める企業です。

 先にも書きましたが、今やじり貧になった国内の製品開発・生産力と人材は、日本人の人口減少による労働人口の現象と、次を担う若手労働者の三次産業へのシフトの流れで、かつての生産技術世界ナンバーワンだった、匠の国の面影はすでに無いといっても過言でない状態にまで悪化しています。

 

  今後、日本はかつてのように技術大国日本の栄冠を、再び取り戻すことができるのでしょうか? もしそれを目指すのであれば、労働力の確保は急務ですし、技術者・職人を育て上げるのはさらに多くの時間がかかるでしょう。

 また、その栄光を捨てて、培ったノウハウを保存できれば、今後新興国への技術力を活用して、ノウハウの販売をする道を選ぶこともできるかもしれません。

 しかしながら、今の日本の海外での交渉力をうかがってみても、決して優位な立場に立った販売交渉をしているようには見えません。

 

 今、外国人労働力の国内有効活用が、注目されています。

 名古屋市のある愛知県でも、自動車など機会部品生産が盛んで、昔から外人労働力の恩恵を受けてきましたし、観光面でも次のような話題もあって、注目されています。

 

 このような、WinーWinの関係は珍しいのかもしれません。まだまだアジア新興国の人から見た日本は、学ぶべきところが多分にある魅力的な国に映っているようですが、実際にの移住者から見れば、過酷な労働条件の下で不足する日本人の代替えとして働いているのが現状です。

 一方で、受け入れる側の日本ではさらに外国人慣れしていないことから、あまり積極的に海外隣人との同居を好まない傾向があるようで、手続きの煩雑さもありますが思うように雇用者としての受け入れが進んでいないようです。

 政府が、積極的に海外人材の雇用受け入れを促進するとは言ってはいますが、本筋の政策や国民の反応が薄いせいもあって、文字通り積極的に進めているようには見えません。

厚生労働省の「外国人雇用状況」の届出状況

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3820.html

 

 人口の減少と少子化の波は、間違いなく日本国内に海外からの移住者を増加させることになるでしょうし、もっと早くもっと多くの外国人の呼び込みをするべきだったかもしれません。

 

  最近人型ロボットや、労働補助装置の話題が、サービス業界や医療介護業界のトピックになっていますが、現実はその本格的な実現はまだ先であり、むしろそのロボットも人が造らななければ普及しないものです。

 人材を集めるには、魅力あり何かがなければ集まらないのは、私たちも肌で感じていることですが、今いる人材で今ある問題を解決するには、ないものねだりをしている時ではありません。

 

 日本が抱える生産産業人口の確保や、医療・保育・介護人材の今ある不足問題を、国内労働力だけで賄うのが困難な今、海外人材の確保は政府にとって今スグ動くべき最重要事項であるはずです。

 その時に、私たちが向き合うのは、文化や宗教・慣習の異なる人々との交流であり、信頼であるのは間違いないでしょう。

 

 昨日、安倍総理の消費増税再延期の記者会見でも、参院選に向けての政府の地六身として、産業・福利厚生事業への人材確保などの決意コメントしていたた通り、政府が積極的に動くのも重要な約束ですが、消費増税を予定通り実施できなかったアベノミクスにこだわることなく、原因の理解と修正対策を真摯に実施してほしいものです。

 

 経済成長すらままならない中でも、成長を刺激する工夫の継続は、地味ながらも雇用創出の仕方に大きく左右されるものです。

 ただ、国内雇用環境を整備するためには、かつて日本を捨てた企業の国内生産化の見直しと、私たち市民も隣人と共存する心がける前向きな理解無しには、成立しないことを忘たくないものです。

 

 

TPP連携停滞中に、6次産業の可能性を知るなら今かも

 今までも産業(農・魚・工・商)の活性化の実施は れてきてはましたが、それらをさらに一歩進めた国の政策として、 農商工等連携促進法と六次産業化法が制定され、主に地方産業の発展推進をすすめています。

 

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 ただ……筆者の個人的に見るには、今まで存在した政府指導の延長と、役所指導の新たな利権システムの確立に見えてしまうのですが……さてさてネガティブな話をするのはやめにしましょう。

 急に地方活性を地方自治体・企業に指導しだしたために、今まで中央の指導を

基にして動いていた地方自治体は、その急変に戸惑っています。その点ではこういったばらばらだった産業連携の集約政策は、ある意味渡りに船かもしれません。

 

 実際、6次産業化(生産・加工・製品化・販売の連携)には、いままでばらばらに動いていた各産業にとって、六次産業化法はその連携の足掛けになることを期待はしています。

 事実、これらの政策が始まって、少なくとも今までにない空気が生まれているのは間違いありませんし、今まで全く場所も業種も異なる産業同士の連携で、新しい商品やサービスが生まれて注目されているのも、当ブログでも何度も消化している通り間違いありません。

 

 特にネットショッピングが市場拡大してきたことで、斜陽化しつつある大手百貨店の苦難は、最近のニュースでも多く問題として取り上げられていますが、その反面百貨店の新しい挑戦も同時に話題になっています。

 取材される姿には、百貨店自身のブランド力や販売ノウハウを生かして、直接1次・2次産業者と商品開発を手掛ける姿は、今回取り上げる6次産業での市場活性化の取り組みそのものです。

 

 一方で、1次産業側からの取り組みは、生産労力に見合わない低利益に苦しむ不人気職種からの脱却がテーマで、生産品の独自化・高付加価値化の工夫に加えて、今まで農協などの安定した販売ルートに依存するものから、リスクを取った卸ルートの開発で、まだまだ数が少ないですが、手ごたえをつかむ業者も現れています。

 

 単一生産品しか商材を持たない1次産業生産者は、6次産業化への考え方は大きく二つに割れているようです。

 

 農業では、TPPによる連携国同士の自由貿易協定によって、今までの根付いた国内生産販売の崩壊に不安を感じて、特に農協関連者は猛反対を始めたため、農水省もそう簡単には、農業近代化の改革は進んでいません。

 明らかに、中間マージンの慣習が肥大化している日本の生産体制は、様々な無駄が多いにもかかわらず、日本の慣習から脱せないままアンタッチャブルのまま今に至った、最も改善しにくい問題になっています。

 

 あと、TPP傘下に組み込まれるの当たって、日本独自の物流の仕組みが、海外の物流システム(事務処理・税金関税処理)との食い違いによる、法律や税務そのものの見直しまで迫られかねない現状に、二の足を踏まざるを得なくなっています。

 それに、食品管理や衛生管理にも国際規格に沿ったシステムを導入したり、意外とその面で日本は衛生的とは言われますが、国際規格においてはその取得が遅れています。

 


 一次産業でも、市場を国内に重きを置いてきたこともあって、ガラパゴ化が足かせになりかねないTPP問題に、無作為に巻き込まれるとせっかくの商圏拡販のチャンスが、仕組みに追いつけないまま、その本来の実力・商品力をアピールできないまま、冷え込んでいかないか、心配の声も多いようです。

 

 生産・加工・商品化・販売それぞれ、日本企業のスペックは高いのは誰もが認めるところではあるのですが「6次化」というキーワードでその連携を試されていくのが、これから日本の産業に課せられた、TPPという次のステージでの成功になります。

 

  その大きな課題を前に、農林魚業の理研温床化だけは避けなければなりませんが、ややもすればまら同じ歴史の繰り返しにならないように、次世代の産業関連者は海外の動向や、市場の反応に常に目を配って国内の一時的な変動に、目を奪われない観察力を身に着けていくのが、課題になるでしょう。

 

 

 先の伊勢志摩サミットG7やアジア首脳参加の会合では、主導していたアメリカが、次期大統領選と重なり、TPP推進に待ったがかかっている中で、安倍首相は積極的に各国へ働きかけをした記事が、華やかなサミット記事の中に散見されます。 

TPP早期発効へ連携 日カナダ首脳「財政出動は必要」
2016/5/24 21:23

 安倍晋三首相は24日、カナダのトルドー首相と首相官邸で会談し、環太平洋経済連携協定(TPP)の早期発効に向け、双方の国内手続きを進める考えで一致した。26~27日に開く主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)を成功させるため、経済や安全保障分野で連携することも確認した。先行きが不透明な世界経済を支えるには、財政出動が必要との認識でも一致した。

会談を前にカナダのトルドー首相と握手する安倍首相(24日午後、首相官邸
 安倍首相は会談後の記者会見で「2国間関係の強化、安保協力の強化、経済関係の進展で合意できた」と述べた。トルドー氏も「日本は貿易の重要なパートナーだ」と強調した。

 会談では中国が軍事拠点化を進める南シナ海問題を巡って、法の支配に基づく行動が重要だとの認識を確認。北朝鮮の核開発の阻止に向けた協力など東アジア情勢についても意見交換した。

 昨年12月に採択された地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」の早期発効に向けた取り組みも確認。日加次官級経済協議の進化についても合意した。

 

 筆者在住地方の愛知県も対策費を準備していますし、G7ではTPP対策に最も懸念材料になる、中国市場の動きに対する総合的な議論もされたと言います。 

 

 

 ちょっとしばらくメディアに上がらななくなって、印象の薄くなりかけていたTPP対策の問題は、いまだ棚上げにされてはいるものの、私たちには多かれ少なかれ影響を与えてくるでしょう。

 夏の参院選でも関連するでしょうし、決して忘れてはならない、今後の国内産業の行く末を占う大事な課題だと認識して、今後もこれら関連のニュースには注目していきたいと思っています。

 

 

 

おまけ;6次化事例

6次産業化の具体的ステップ - アシスト経営研究室公式WEBサイト

【愛知県】「知って」「体験して」「話して」加藤さんのいちごの魅力! : まつのBLOG ~We like vegetables !

「6次化」で夢ある産業へ : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

6次産業化の達人紹介 - 第6チャネル
http://6-ch.jp/tatsujin/all.html

プランナー情報一覧(登録プランナー数:全171名)|6次産業化中央サポートセンター
6次産業化中央サポートセンターは、農林漁業者等の6次産業化の取組をきめ細かく支援する全国段階の機関です。

6次産業化中央サポートセンター

<上>朝ドラ熱冷め 観光息切れ : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

<下>産業団地失敗 農業に光明 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

東海地域6次化メールマガジン「6サポ東海」第12号(平成26年6月)|東海農政局ホームページhttp://www.maff.go.jp/tokai/keiei/zigyo/6sapomm/6sapo_12.html

岐阜県:岐阜県6次産業化商品の価値PR等委託業務プロポーザル募集

 

 

 

女性の就業率向上は、愛知がかわれば全国もかわる、を考えてみる。

 

  実質上の就業可能人口では、その半分以上が女性と言われていても、実際の就業率は戦後から思うように向上していないと言われていて、今回はその現状に触れます。

 

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 最近どのTV局でもゴールデンタイムに、政治経済討論番組が目立ってきましたが、その一つの番組でコメンテーターが、タイトルの通り、

「女性就業率の増加は、保守愛知がかわれば、全国も意識がかわる」

と、女性有識者がのたまっていらっしゃいました。そんな名指しでむちゃくちゃな、と思いましたし、そこで愛知がプレッシャーかけられる意味が分からなかったです。

 仮にものの例えとしてとっても、そこまで敷居を高くされる根拠が曖昧ではありますが、しかしある意味そう比喩される心当たりはあるなとおもったもの事実です。

 

 女性を働きやすくするには、今ある様々な問題が残っていますが、例えば保育施設の拡充での待機児童数の実質ゼロ化は、よく言われる人口減少問題と根元がとても近いところにありますし、高齢者介護者の介護要員の充実と軽減化もそうです。

 その他には、一部大企業では改善されているような報道も出てはいますが、多くの中小企業などでは、女性の就業条件があまり改善されていない現状があげられます。

 

 まずは、子育て・介護にかかわる機会の多い女性が世界先進国の中でも日本は突出的に多く、子育て・介護問題を複雑にしています。

 名古屋は改善度としてはいい方だと言われているそうで、東京は全く足らない状態だそうですが、それでもさらに潜在的待機児童の話が沸き上がり、まるで全く解決されていないかのような空気は、自治体のモチベーションがダダ下がりな現状に、先の女性識者の言ったことの根拠が含まれていそうです。

 

 愛知県の女性就業率は、2011年には全国ワーストワンだったですが、5年で三分の一まで改善されている事実はまず評価されていいでしょう。

 ただ、女性労働可能者は全女性の36%いらっしゃるそうですが、そのうち働く意思のある女性は3割と少ないのも事実なのも否定できません。

 これは全国的にも多かれ少なかれい当てはまる女性意識と言えるでしょうが、東京を主に全国での女性就業意識が高まっているのに対し、愛知の女性は家庭に収まりたいと考える人が、どうしても地域的慣習から多いようで、全国的に見た女性キャリア志向の感覚よりは結構保守的のようです。

 

 愛知県は以前からも、筆者ブログで謳っているようにモノづくり製造業が盛んで、主に男性の就業の比率が多く、その環境も男性目線で構築された職場が大半を占めていて、女性の職場の選択肢は画一的で、女性が就業しにくい環境といわれても、やむなしな雰囲気はあります。

 女性で北海道や九州など遠隔地方から、東京から大阪までの大都市部への上京や就職が一般的であるのに対し、愛知県は地理・経済的に日本のほぼ真ん中にあるためか、上京といってもチョイ出くらいの意識しかなかったり、最悪Uターンして愛知に戻っても何とかそこそこ仕事があったので、どちらかというと大都市出向かず出不精になりやすい状況はあるでしょう。

 

 さらに女性においては、愛知は核家族化の進行が遅く、2世帯以上の家族が幅を利かせていて、家の世襲気質が強いのもあって、女性は家に収まり専業主婦になる、という意識が子どもの頃から染みついているケースが、全国のそれに比べて多いとも追われますので、女性自身の意識がそもそも独立意識が薄いのも、男性優位の職場改善の遅れにつながっているようです。

 

 ただ、それでも最近は製造現場で、今男性に代わって女性の就業者を増やす工夫がされているのだそうです。いったん働き出せが女性のほうが辛抱強いし、長く働く人が多いようで、特に製造業はごく一部大手を除き中小(零細)企業がほとんどで、体力も限りがあって、設備投資には困窮しながらも女性雇用に対応しようとしています。

 

 しかし、今までの愛知の就職常識が崩れているという懸念のほうが、まだ強いようですし、それでいまだに主たる意識が、転勤を嫌う女性意識が当たり前、転出してもまた愛知に戻って生活する、または家庭に収まるものだと信じて疑わず、今の全国感覚からして、ずれが顕著になっているという見解が、今回の問題の核心です。

 

 それでも今後も親が最悪食べさせてくれればまだ良いのだけれど、今までは可能だったものが、今どのくらいの家庭がそこまでゆとりがあるのか、未だに意識の低い人が少なくないのは、考えただけでもぞっとしますし、全国の意識と比較しても問題視すべきことです。

 こうした、男女含めた産業構造の改善を基本は、それに加え女性の就業参加意欲の向上の工夫を、今までにない未知の問題として、男性型タテ社会の仕組みのひずみが限界にきている現れです、女性型のヨコ社会の透明性の高い職場づくりへシフトしていけるかにもかかっています。

 

 こうした職場環境の急がれる改善がベースになって、男女の真の平等の意味での労働条件・福利厚生の標準化が見直されていきます。

 人間、生まれてから子供を生んで育てるだけが人生ではないにしても、それでももう少し子育てして生活しやすい環境は、改善の余地を持っていますし、先の識者の提案、

「女性就業率の増加は愛知が変われば、全国もかわる」

 という理屈も、ある程度統計的に見直されるに値するのかもしれませんし、そのくらいの意識を保守的な住民が持つことが、今の女性就業の難しさと共通点が多いようにも思いました。

 

 今後期待されるのは、職業復帰の機会を増やす企業体質改善や、女性も働いて稼いで、税金も納めて、その一方で男性も子育てにもっと積極的に加わる意識改善のバランスを意識したうえで、かなり強硬なほどの「夫婦の役割分担」という、子供時分からの刷り込みを一人ひとりが再考して、場合によっては強制的なルール化を、強いなければならないということです。

 

 ただ、愛知県にそれを強いるのはあくまで比喩であり、代表例としてわかりやすい事例ではあります。

 問題の核心は、以前の家庭や仕事の良き(かった)慣習が、これからの時代を担う男女にとっては、足かせにしかならない事実はあって、国内のこういった慣習を保守ほど強硬に考え直す危機感を持つべきなのは、間違いなさそうです。